生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

新元号が出たので抱負を立てた

 ポスティング中に新元号が出ました。時間になったらスマホ見ようと思ってたのに~。まぁ歴史的な瞬間を見逃しても、今や動画でたくさん「瞬間」が上がる時代です。ありがたいね。

 新元号が出ると朝からニュースも特番だらけで、なんかその気になってしまったので4月1日だけど抱負を立てました。

  1. 感情を消費しない
  2. 人に投影しない(人に自分の願望の丸投げをしない、託さない)
  3. 自分で考えて行動する。自分で願いを叶えてゆく
  4. 素直な自分でいる


 まず1の「感情を消費しない」について。

 これ上手く表現できるかどうかわからないけど……。要するに喜怒哀楽すべての感情を無視せず、自分で受け止める、ということです。「無駄に怒ったり悲しんだりして人を攻撃しない」ということでもあります。動物愛護に関わってから、本当に無駄に怒り散らしている人いるなあって思います。いいんだよ、私はしないから(疲れる)。でも時々やりそうになるし、やりそうになっては自己嫌悪に陥る。たぶんね、別のことにとても怒っているんだよね、そういうときって。だったら根本を考えようって思うわけ。

 感情の消費ってググると、快楽消費と感情消費っていうPDFがあるんだけど、これはきっとマーケティングで使われてた手法なのかな。でも、私が言いたいのはそれとは違うもので、うーん、感情を味わい尽くすというと正しいかな。感情なんて瞬間的に湧いてくるものだけど、しっかりキャッチして味わいたいんだな。カッとして人に怒り散らすって味わってないじゃん。じゃなくて、味わう。しばらく自分で楽しむ(苦しむ)。感情の根っこを知ろうと努力する。これをしていこうと思う。※感情そのものは瞬間的なものなので、それを抑えるとか、蓋するってことじゃなくて。だからきっと顔には出てると思う。

 次に2の「人に投影しない(人に自分の願望の丸投げをしない、託さない)」について。

 これね、大いに私はやっていて、丸投げした人をダメに仕掛けていました。塩鯖にもしてたし、亡き妹にもしてたね。超反省。もう絶対やんない。あと、動物関係のTwitterでも見かけた単語が「投影」だったので「おお!」と思ったんです。発端は猫を屋外に出す人ね。今は鍵アカになってるけど、普通の炎上案件です。でも、こんなツイートがあり「なるほどなあ」って思ったんです。

 非常に分かりやすい(=私もそう感じてたらそう思うだろうと簡単に思える)。※注意:できれば猫も犬も室内飼いがいいと思うけど、絶対そうじゃないといけない、屋外で飼っている人は虐待している! とは思わない。そうね、喫煙者みたいなものかな。今や灰皿のある屋外ですら吸いずらい。白い目で見られても漠然と「時代だもんな」と飲み込んでおいた方が平和だと思うよ。

 次3の「 自分で考えて行動する。自分で願いを叶えてゆく」について。

 2ともかぶるんだけど、人に「やってー叶えてー」ってやってるとね、自分でやることないからね(笑)。でも、叶えてくれないと腹が立つわけです。まったく勝手なこったと思うけど、よくあるんだこれが。で、2を「やめる」と宣言した以上、3は必然的についてくるって感じです。全部やる、きっと楽しい。

 次4の「素直な自分でいる」について。

 自分が思ってる自分以外は自分じゃないとしていたら、自分の幅なんて広がりません。どれだけ「えー、私がそう見えた?」と思えても、相手にはそう見えたんだなって受け取る。今日は「フットワーク軽いですね!」って言われて度肝を抜かれたわ。

 あとね、予想しないのも素直とつながるかな。「こうなるだろう」という予想の段階なら害はないんだけど「こうならないとおかしい!!」になると害しかない。いや、でも反発したい気持ちもある。一応SEだったわけだからさ、何百項目あるテスト仕様書、すべてに「予測結果」があって、そうなることを確認するためにテストしてたんだよね。いや、それだけじゃないな。コスいけれど「保証が欲しい」んだよね。行動についての結果には保証が欲しい。1+1だから2になるはずだ、と。-5になっても10になっても「違う、その結果じゃない!!」って言いそうになる。でもな、現実1+1が5になることもー25になることもあるんだよね。断ってたら前に進めない。だから「素直に目の前のことをただ受け入れる自分」でいようとも思う。

 4月一発目はそんな感じで。みなさん令和もどうぞよろしくお願いいたします。昔はゲン担ぎかよぐらいのペースで元号が変わっていたんだよね、なんか不思議な感じだね。

ああもう辞めたい、と思った朝(辞めません)

 今日は譲渡会です。私は準備と片づけのお手伝い。よくよく考えたら保護もできないメンバーを快く入れてくれているチームのメンバーに感謝。

 今朝は朝一からお叱りを受けた。お叱りっていうかね、考え方についてね。私は自分ちが犬であふれることがないから、やっぱりどこかしらで温い、甘い。人に期待してしまう。だいたい、動物の保護に関わろうと思う人なんて、ほとんどが優しい人だ。かわいそうと思う、何とかしたいと思う、それがきっかけであることがほとんどだ。だからこそ、殺処分への道がきれいに舗装されてしまうのが今の社会だ。

 今朝届いたメールは、近所で子犬が産まれているようだから何とかしたい、でも自分は手助けもお金の支援もできないからなんとかしてほしい。このままでは保健所に行くしかない、というものだった。

 こんなメールは実に多い。

 野良犬の捕獲から譲渡までは、かなりの時間と費用、そして心労が掛かる。捕獲にも費用と労力がかかる(餌、時間。捕獲器を仕掛けたら常に見に行かねばならないし、捕獲機に入ったら早く病院に連れて行かねば。だから費やす時間がすごく必要)。そして里親探しとその間のお世話と費用。病院費用だってバカにならない。メンバーさんは里親探しで連続キャンセルにあい、この子に里親は見つからないのではと眠れず痩せてしまった(無事、里親さん見つかりました)。割り切って無感情にやってる人なんてほとんどいない。みんなそれぞれ抱えたまま、なんとか毎日やり切っている。

 それを知ってはいるけれど、経験していないから私は温いのだと思う。つい、「かわいそう」と思ってくれる人がいることが嬉しくなる。同情して「じゃあ一緒にやりましょう」と言いそうになる。できるわけない、メンバーさんに「手伝って」とも言えない。ならば間違っても手を出してはいけない。

 本当に辛いなあ、嫌だなあ、辞めちゃいたいなあ、と今朝は思った。でも辞めたらもっと嫌だよな、中途半端すぎるよな、絶対できることあるんだからやらなきゃ自分がスッキリしないよな。そう考えて今日の譲渡会に行く。

 きっとね、自分のような立場は動物愛護活動している人の中では珍しいんじゃないかと思う。動物を飼ってもいない、保護もできない、でも関わっている人。でも、こういう立場だからできることってあるんだと思う。だからちょっと頑張りたいよね。

 かなり危ういけれど、今朝思ったこと。私は誰も否定しないでいようと思う。餌をやっちゃう人も、誰かを頼っちゃう人も、拡散しかできないと思ってる人も、地域住民のことを考えず個体管理もせずにTNRだけして満足しちゃう人も、保健所に電話して「殺処分しないで!」とわめくだけの人も、みんな嫌いだけど否定しないで行こうと思った。根っこはきっと似てるから。その根本に持った感情を最高の形で現状を変える行動にしてゆけば、ちょっとは望みがあるんじゃないかと思う。(動物愛護を語ったビジネスはアウトだけど)

 殺処分ゼロ、可哀想な子をゼロに。これは希望だ。パンドラの箱は本当によくできたお話だなと思う。根拠のない希望にとらわれて逃げ道を見失ったり、自分が見つけた希望を人に丸投げすると、たちまちそこは地獄になる。自分でその希望を叶えようとしないと、ただの暴力になる。

 あるとき塩鯖に聞いたことがある。「私がかかわってる問題ってもしかして終わりがないのかな」って。そしたら塩鯖は「命にかかわる問題に終わりなんてないよ」と言った。きっとこれは動物愛護のことだけを指しているんじゃない。

togetter.com

 今日は4巻の発売日。