生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

今年の梅仕事2と、高齢者ドライバー

 今日は梅酒を付けた。芋焼酎でつけたのだけど、果たして。3か月後をこうご期待(私が飲めるものになっているのか?)。梅仕事1の梅干しは順調。もう梅酢が上がってきているので、あとは様子を見ながら一か月ほど待って、土用干しして完成だ。去年と同様、今年もジップロックで梅干しである。

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 さっき徒歩で買い物に行った。といってもご近所なので大した距離ではない。しかしそこで気づいたことがある。

 うどん県の歩行者は、年寄りの運転する車にとても気を使っている。そして年寄りは歩行者なんてほぼ気にしていない。なるほど、うどん県の交通死亡事故及び交通事故の件数が多い理由か。

 買い物を終えて歩道に出ようとしたとき、自然と車道も見渡すのは運転者だからだろう。交通量が多い道だけどちょうど車の切れ目だった。私が車に乗っていたら「チャーンス!」と思う。それが、店の敷地から出ようとしている私の後ろにいた軽自動車(おばあちゃん運転)の心の声でもあった。

 ええ、目の前に歩行者がいてもアクセル踏みますよ。だっておばあちゃんは車道を見ているから、私のことなんてアウトオブ眼中(懐!)だもの。

 ま、見えているので当たりはしないけれど、これが高齢者×高齢者だったらアウトだったでしょうね、と思った。

 うどん県で運転していると高齢者ドライバー、高齢者ライダー、高齢者自転車の存在により、法定速度以下の走行を余儀なくされることがままある。子供は視野が狭いうえに行動が読めないと、今朝のニュースで見たばかりだが、高齢者のほうがはるかに行動は読めない。大きく振りかぶってカーブを攻めることも少なくない(っていうか多い)。

 子供以上に高齢者を見たら用心する。

 昨日免許の更新に行ってきた。行く途中で無理な車線変更する車がいるなと思ったら突然路肩(といっても路肩らしい路肩はありません)に停車した。私を含め後続車は玉突き事故を起こしそうになった。おそらく道が分からなくなったから止まって確認しようとしたおばさん二人組であろうと思う。以前は一車線つぶして携帯で話しているおばさんにも出会ったことがある。

 こんな無茶苦茶な運転でも事故に至らない。事故らないこと自体はいいことだが、無茶苦茶な運転を許しすぎるのはどうかなと思う。そこだよなあ、ホント。

今年の梅仕事

 今年の梅仕事、第一弾は「梅干し」です。こんにちは。梅ジュースはどうしようかなあ。初の梅酒もどうしようかなあ。そう言ってる間に梅がスーパーから消えるのです。知っています。

 母が鹿児島生まれなので焼酎をよくもらうんですよね。芋ね。でも私は焼酎を飲まない。だから贅沢にイモ焼酎を梅酒にしてやろうと目論んでおります。じゃ、梅ジュースやめて梅酒だな。

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 台湾に行ったときに、翻訳ソフトや筆談じゃなくて「お話ししたいな」と思って、中国語(台湾語)講座をやってるYouTubeはないかと調べた。そしたら韓国語がヒットした。韓国語は違うんだよ、、と思いつつ、ハングルさっぱり分からないからちょっと見てみた。このユーチューバーはとても頭がいいらしい、ハングル覚える気がなかった私でさえ「やればハングル読めそう、韓国語話せそう」と思った。

 多言語を習得するには、ひたすら繰り返すことがまず必要らしい。そうだろうなと思う。自慢じゃないが「あかさたな~」が4年生ぐらいまで覚えられなかった私だ。覚えられなくても会話できてるしと思ったが、覚えられてないと「あいうえお順」に並べることができない。小学校の間に覚えられてよかった。覚えられない頃にひたすら繰り返す練習をした。それを新しい言語を取り入れようとするときもやるというだけのこと。時間がない、暇がないという言い訳が出てくる間は、本気で覚えようとしていないということだよね。

 そういえば箸の持ち方が炎上していた。私の箸の持ち方は間違っている。と思って改めて確認してみたら合ってた。え? あれ!?

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(このギリギリセーフ感)

 昔クロス箸の人に「箸の持ち方すごいね」って言ったら、「あんたもおかしいじゃん! くっだらない!!」とブチ切れられたことがあるのだ。あ、あれ? 罵倒され損だったの?

oishii-dashi.jp

 少し前に、漢字の書き順が違うねって言ったときもブチ切れられたことを思い出した。

 多分「それちょっと変よ」と言ってブチ切れられたことより、ブチ切れられなかった経験のほうが多い。だけどブチ切れられたほうが記憶に残る。だからもう誰にも言わないとしてしまうのは大人げない。勉強した今、言う相手をきっちり選ぶことにしている。

 塩鯖には毎晩「飴ちゃんを口に入れてベッドに入らないっ!!」と叱っています。塩鯖は「そんなこと初めて聞いた! 大人だから喉に詰めたりしないのにバカみたい! わーわーわー!!」とか言わないので、私が傷つかずに済んでいます。ありがとう(でもベッドで食べるのはだめよ)。

みんなが傷という勲章を持っている

 おはようございます。昨日はなんだかんだと13時間寝ました。我ながらびっくりです。ぶっ通しではないですが、中年にしてはよく寝たほうじゃないかな。

 さて。

 先日ツイッターで「里親になるってことは、無料で動物がもらえるということではないんですよと、伝えても伝わらない人が何度も何度も応募してくるんでしょうね。」とツイートしたら、「なぜ単身者は不可なのか」とけっこうしつこく聞かれた。

 きっと「なぜ単身者は不可なのか」の理由を彼女は知っているはずだ。動物愛護に関心がある人ならば、たいていの人は一度は聞いたことがあると思う。単身者、高齢者の人生の波に翻弄され、持ち込まれる個体が多いためにそう規定しているところが多いことを。また単身者は留守も多いため動物の異常に気付くことが遅れ、手遅れになるケースも少なくないことも、動物を飼ったことがあれば知っているはずだ。

 しかし彼女はそうした現状を知っていてなお聞きたいことがあるから聞いているのだと思う。多分「単身」に引っかかっているのだと思う。私が「子なし夫婦」や「子供のいない女性」に反応するのと同じじゃないかと、もうこれ、全部憶測だけど、そうじゃないかなと思っている。

 だとしたら、問題は「単身不可」ではない。いくら一般的で正当な理由を聞いても納得できないだろう。

 こういうことは本当に多い。心に傷を負っていて、その傷を刺激する言葉が書かれていることに対して怒りを感じることは本当に多い。怒りでなくとも、悲しさや絶望を感じて、自分が無力な存在だと思うことの多くはこうした理由が多いのだと思う。

 これを溶かしていかないと未来はよくならないと、私は思う。

 氷河期世代に対するニュースを見ていても思う。私はそこにはまっているから特に「氷河期世代は能力がない」と言われているような気持ちになることがある。確かに私も非正規雇用の期間が長かった。けれど私の場合は最初にしこたま砕かれたおかげで、底辺出発の人並み上がりのようなところはある。けれどその人並みもいわゆる「氷河期世代にしては人並み」程度で、バブルやバブル直後組から見れば悲惨なものかもしれない。

 私の母は銀行に勤めていた。あのまま続けていればかなり良いお給料をもらえる立場になっていただろう。しかし若気の至りで(笑)ミカン農家に嫁いで今に至る。母からすれば、手堅いところに勤めあげていれば、食うには困らない生活が遅れるに違いないと思っていただろう。けれど実際娘が妙齢になる今、手堅いところに勤めていられない人も多いし、手堅いところに勤めていても先行きに不安しか感じない人も多い。

 きっと、思っていた未来とは全然違うところに今来ているのだと思う。だとしたらどうかな。私は好きなこと、楽しいことをしたいと思う。

 私たち氷河期世代は、不要なまでに自己価値に疑問を抱かされてきたところはある。けれど、そんな苦しい時代を生き抜いていて、今ここでまだ生きているんだから、強い存在なのだと思う。それぞれが強い存在。だからもっと誇りを持とう。そして不要な外からの評価を捨て去ろう。

 どこかの誰かが言ってること、ニュースが伝えること、どうでもいいなあって思う。それを思えないのは自分の傷に気づいていないから。ここ、傷があるから痛むよ、というところから始めたほうがいい人が、多いんだと思う。冒頭の単身者不可もそう。あなた(私)は傷ついていることを、まず認めたほうが楽だよと、傷つけられるのは弱いからではなくて、自分に嘘をついていないからだから、ある意味では勲章なんだよと、でもその傷をずっと大事に抱えていても前には進めないから、傷を治して前に進もうと、伝えていきたいよねえ。

 めっちゃ支離滅裂だね。そしてまだ眠いね。私何か覚醒するのかな。サイコフレーム出るようになるかな。