生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

KU:NEL は遠く

 久しぶりにKU:NEL (クウネル)の表紙を見たら、知ってるKU:NEL (クウネル)ではなくなっていて驚いています。そう言えば編集長が変わったとか何とかで、思い切り路線変更したってどっかで聞いたな。にしても、それからしばし経過したKU:NEL (クウネル)はもはや「私たちのお弁当」をやっていたころの KU:NEL ではない。なんで文字の背景がExcelのオフィスソフトで写真の上に文字をのっけたような背景白なんだ。

私たちのお弁当 (クウネルの本)

私たちのお弁当 (クウネルの本)

 創刊からしばらくは読んでいた雑誌です。こんにちは。全然KU:NEL 系ではない私が通ります。

 確かこの雑誌のタイトルの由来は、食うと寝るだったと思う。雑誌のコンセプトは「ストーリーのあるモノと暮らし」。そうそう、序盤のこの雑誌はそこが面白くて読んでいた。モノにもストーリーがあるんだなって。例えば北欧の手編み。成長に合わせてほどいて編みなおすのは、子供のセーターだけじゃないってところが「素敵」と思ったものだ。丁寧な暮らしにも憧れたし、手入れされた使い込まれた道具にも憧れた。

 そんな私ですが、それはまぁないものねだりだったんだなあと痛感した。そういう暮らしをしたい、けれど私の暮らしを見てみたら、私の雑さにも耐えられるハードコアな者たちしか残っていない(あるいは経年劣化が3倍速)。自慢になるほど無秩序な感じで暮らしが成り立っています。あちこちに喫煙具があるとかね(電子タバコ戦争はさっさと終わらせろと切に願う)。

 衣食住のすべてにこだわりを貫きたかったのだが、結婚して誰かと生活を共にするということは、必ずしも自分の好みだけをチョイスできるわけでもなく、それ以前に私はそこまでこだわりがなかったので、おおむね「居心地は悪くない」程度の仕上がりになったようだ。うん、私は居心地悪くないけどな。絵にはならない。

 丁寧に暮らすとか自然と暮らすとかが目に付くということは、そういう暮らしがしたいことなんだけれど、衣食住全てにおいて「ほどほどにひどくなければいい」レベルなので、今までの私は一体何を守るために生きてきたんだと考えたところ、間違いなく家族といることを選んできたんだなあと思った。だって尋常じゃないでしょ、結婚して地元を離れてるのにこの家族の話題率。よほど家族が好きなんだなって思うでしょ。そういうことなんですよ。

 好きなことを仕事にというキャッチコピー、本当にやってる人は一万時間向き合い続けられることをやってるんだよ、と聞いた。なるほど。私なら習慣にできることならばしてしまうだろうね。でも、義務で「はいはい」ってやってたら上達なんてしないわけで、どこまでそれにめり込んでいけるかって話だと思う。そう考えたら、私は何が当てはまるだろうか、と考えたところでもやっぱり「家族」だろうなと思った。

 好きな作品も恋愛ものではなく家族を思わせるもの。家族ってさ、簡単じゃないからドラマが深いじゃない。そして誰もが持ってるじゃない。それがいいんだよねえ(巻き込まれたときはそう思えないんだけど)。

KU:NELの入れ替わりの時、つるとはなも買ったんだけど、なんか違うなと思って継続して購入することをやめた。商業として生き残るには、コアなファンがいればいいというものではなく、きちんと結果を出さねばならないということを痛感した。私が雑誌に求めるもの、それはどこを開いても手を止めたくなるような何かがあるもの。雑誌だからこそ写真を美しく掲載できるし、あの紙質だからこそ長持ちもする。ずっと長く持っていたいと思うような雑誌があれば、また購読するかもしれない(考える人は好きな人の時だけ買う派)。

ポンコツな私

 こんばんは。今日塩鯖は近所の居酒屋に呑みに行っています。私はお留守番。

 さて、アルバイトを始めて数回出勤。職場の皆さんがあまりにも効率的で、私はポンコツ疑惑が浮上しています。私の中でね。職場の人はだれ一人としてそんなこと言わないよ(超絶優しいから)。

 私は派遣社員としていくつかの大企業にお勤めしたこともあるが、従業員数3人ぐらいの不動産屋さんや地方の占い師のところなど、ぼちぼちいろんなところでお仕事させていただいてきた。その中でも群を抜いて、今の職場は合理性が極まっている。むしろ大企業のほうが細かな部分ほど非合理的なものはあるし、行政に至ってはもはや全体的に儀式なのかなと思うほど非合理なものがごろごろ転がっている印象だ。

 以前の私は合理的であることこそ正義ぐらいに思っていた。無駄なこと嫌い、無意味なこと嫌い、慣習だからという理由は最も嫌い。仕事とはいかに効率的にタスクを処理するかだ、とさえ思っていた。けれど今はちょっと違う。仕事って片づけたらいいってもんじゃないなと思うように、というか「片づけりゃいい」というのは仕事に対する愛がないなと思うようになった。

 誤解のないように言っておきたいが、私はパソコン仕事は大好きだ。プログラムを作るのも設計をするのもデータをいじるのも、テストでさえも好きだった。だからそれに取り組むときは「はぁーめんどくせえ」と思う日はあっても休みたいほど嫌いではなかった(夢の中でも仕事をしていたことは何度もあるし、仕事に関する悪夢も見たことがあるが、それでもそれが原因で辞めたいとは思わなかった)。嫌いだったのは、理由が分からない「昔からこうしている」と呼ばれる謎の作業や、誰も決定する気もない会議や、実りのない噂話(やたら比重を置かれると特に)だ。でもそれが原因で辞めたいわけじゃなかったな。一番の辞めたい理由はいつだって「辞めたい(=この暮らしを変えたい)」だった。

 そういうわけで(どういうわけで?)、今の職場である。合理性がすごい。どれぐらいかというと「パソコンがこの処理をしている間(30秒~1分程度の待ち時間)にこれをしておく」が決まっているくらい。いかにして待ち時間や空き時間を作らないようにするか、いかにして最小の動線で最大の数をこなすか(それはマウスの動線さえも支配する)、そう考えられている。すごすぎじゃないか? でも、それぐらい詰め込んでも終わらない日もある。現に今日は全部終わらなかった(アルバイトなので勤務時間が短め)。まぁ、作業がどれだけ効率化されていたとしても、突然飛んでくる人間らしいファジーな指示によってなんぼでもひっくり返るのだが。それを吸収することを見越しているからの合理性なのだろうなと思う。

 というわけで、職場にいる一番非合理な人間らしい生き物は私だと思う。間違うし、やり直すし、迷う。最もヒューマンだ(もちろん、分からないところや自信がないところは遠慮なく聞く。間違いを修正するほうがいくらも時間がかかるから)。

 でも、こんなに作業効率を求める人たちだからといって、扱っているものに対して愛情がないわけではない。むしろ愛情があふれまくっている。だからこそこの仕事をしてるわけだよ、小さな「なぜこうなの?」にも誰もが答えられるわけだよと思うのだけど、私はまだそこまで愛情を育てられてないから、ここでもまたポンコツっぷりに拍車がかかる(ああ、オシャレに気を使っていたのはいつが最後だ)。

 今はあまり日数も入っていないので慣れるのに時間がかかっているが、慣れてきたらもっと上手になれるかな。だといいな。っていうか、じゃないと居づらいな(苦笑)。がんばろーう。

キャンプ場でバーベキューで見つけたオセアニアの生き物

 おはようございます。妹ちゃん家族とキャンプ場でバーベキューしてきました。そして偶然通りがかった両親も焼き肉をサラッと食べていきました。場所はこちら。

oofuki.sunnyday.jp

 愛媛県の島暮らしの両親が、石鎚あたりを通りがかるなんてことは今後一切ないでしょう。たまたま香川県のお寺(お遍路)を回った帰り道だったわけです。でも、その日のうちに用事がてんこ盛りだということで、肉だけ食って風のごとく去ってゆきました。両親たちは2泊3日で香川県の寺を回ったそうです(西の一部の寺は済ませていた)。

 さて。

 妹ちゃん家族とのバーベキューは塩鯖が言い出したものです。キャンプではなくバーベキューにした理由は、キャンプスキルがない上に、9月といえども暑い日は暑く、タープもなにもない我らにとってキャンプは危険でしかないからです。それに道具も2人用ばかりだしね。石鎚ふれあいの里バーベキュー場は1コンロ1500円で炭まで用意してくれます。食べ物だけ持っていけばいい。今回は肉を奮発して林ホルモンや和牛を調達しました(野菜とおにぎりは妹ちゃん)。

 バーベキューが始まったらちびっ子たちが食いつくかなと思いきや、奴らは川遊びがしたかったようで、私は妹ちゃんとひたすら肉を焼く係。塩鯖と妹ちゃん夫がちびーずたちのお守り係。そもそもインドア派のちびーずたちが外で遊んでくれるなら、それが一番嬉しいのでね。

 で、妹ちゃんとそこそこ肉を焼いたな、いつ帰ってきてもいいなと言ってたら、あにーず2匹がずぶ濡れで帰ってきました。母(妹ちゃん)絶叫。というのも、三男→次男→長男の順で風邪を譲り渡していたらしく、末尾の長男は風邪気味、数日後には修学旅行という「今一番風邪ひいたらいかん奴やん!!」だったんですね。案の定「寒い」というので、濡れた服を脱がせて、しかし着替えがないので下半身マッパで車で養生。ちょっとした不審者です。

 その間、弟二人は食ったり飲んだり。煙たい煙たいと文句言ってましたが、バーベキューは煙いもんじゃ!! 肉の油じゃ!! 油じゃ油じゃ~! とおばさんは文句を完無視してました(そのくらいにジジババがくる)。

 そして服が乾いて元気になった長男が遅れてやってきて、もっそりと食べ始めました。その姿を見て思ったことがタイトルのこれ。

「これ、オセアニアあたりで進化した、天敵のいない動物に似てないか?」

 そうねえ……という妹ちゃんと、どの生き物か検討した結果(レッサーではない、カピバラでもない)、ナマケモノよりはもう少し動く何か、という結論にたどり着きました。もっそり感と危機感のない感じが「天敵のいない動物」によく似ています。 長男・長女ってこういう生き物かもしれません(下はつねに弱肉強食のサバンナ系)。

 第一陣を食べ終えたちびっ子たちはまた川遊びに戻ってゆきましたが、また濡れて母を絶叫させ、キャンプ場のあちこちにちびっ子の服を張り付けたり吊り下げたりして干しつつも、塩鯖が持って行った竹刀で親子剣道教室をしたりして遊びました。そして夕方、楽しかったねーとそれぞれに帰宅。2キロちょっと用意したお肉は、少しだけ余りましたとさ。

 今回も塩鯖は三男がべったりだったが、帰り際の「もっと遊ぶ! まだ遊ぶ!」という主張が通らないと分かって、塩鯖と一切目を合わせずに帰りました。怒ってたようです。可愛いなあ、妹ちゃんもそういう感じだったなあ。長男は「まったね~~~(緩い)」とオセアニア感たっぷりでした。