生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

ポンコツな私

 こんばんは。今日塩鯖は近所の居酒屋に呑みに行っています。私はお留守番。

 さて、アルバイトを始めて数回出勤。職場の皆さんがあまりにも効率的で、私はポンコツ疑惑が浮上しています。私の中でね。職場の人はだれ一人としてそんなこと言わないよ(超絶優しいから)。

 私は派遣社員としていくつかの大企業にお勤めしたこともあるが、従業員数3人ぐらいの不動産屋さんや地方の占い師のところなど、ぼちぼちいろんなところでお仕事させていただいてきた。その中でも群を抜いて、今の職場は合理性が極まっている。むしろ大企業のほうが細かな部分ほど非合理的なものはあるし、行政に至ってはもはや全体的に儀式なのかなと思うほど非合理なものがごろごろ転がっている印象だ。

 以前の私は合理的であることこそ正義ぐらいに思っていた。無駄なこと嫌い、無意味なこと嫌い、慣習だからという理由は最も嫌い。仕事とはいかに効率的にタスクを処理するかだ、とさえ思っていた。けれど今はちょっと違う。仕事って片づけたらいいってもんじゃないなと思うように、というか「片づけりゃいい」というのは仕事に対する愛がないなと思うようになった。

 誤解のないように言っておきたいが、私はパソコン仕事は大好きだ。プログラムを作るのも設計をするのもデータをいじるのも、テストでさえも好きだった。だからそれに取り組むときは「はぁーめんどくせえ」と思う日はあっても休みたいほど嫌いではなかった(夢の中でも仕事をしていたことは何度もあるし、仕事に関する悪夢も見たことがあるが、それでもそれが原因で辞めたいとは思わなかった)。嫌いだったのは、理由が分からない「昔からこうしている」と呼ばれる謎の作業や、誰も決定する気もない会議や、実りのない噂話(やたら比重を置かれると特に)だ。でもそれが原因で辞めたいわけじゃなかったな。一番の辞めたい理由はいつだって「辞めたい(=この暮らしを変えたい)」だった。

 そういうわけで(どういうわけで?)、今の職場である。合理性がすごい。どれぐらいかというと「パソコンがこの処理をしている間(30秒~1分程度の待ち時間)にこれをしておく」が決まっているくらい。いかにして待ち時間や空き時間を作らないようにするか、いかにして最小の動線で最大の数をこなすか(それはマウスの動線さえも支配する)、そう考えられている。すごすぎじゃないか? でも、それぐらい詰め込んでも終わらない日もある。現に今日は全部終わらなかった(アルバイトなので勤務時間が短め)。まぁ、作業がどれだけ効率化されていたとしても、突然飛んでくる人間らしいファジーな指示によってなんぼでもひっくり返るのだが。それを吸収することを見越しているからの合理性なのだろうなと思う。

 というわけで、職場にいる一番非合理な人間らしい生き物は私だと思う。間違うし、やり直すし、迷う。最もヒューマンだ(もちろん、分からないところや自信がないところは遠慮なく聞く。間違いを修正するほうがいくらも時間がかかるから)。

 でも、こんなに作業効率を求める人たちだからといって、扱っているものに対して愛情がないわけではない。むしろ愛情があふれまくっている。だからこそこの仕事をしてるわけだよ、小さな「なぜこうなの?」にも誰もが答えられるわけだよと思うのだけど、私はまだそこまで愛情を育てられてないから、ここでもまたポンコツっぷりに拍車がかかる(ああ、オシャレに気を使っていたのはいつが最後だ)。

 今はあまり日数も入っていないので慣れるのに時間がかかっているが、慣れてきたらもっと上手になれるかな。だといいな。っていうか、じゃないと居づらいな(苦笑)。がんばろーう。