生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

やらずにきたこと=未経験ゾーン、やらねば損損

 こんばんは。今日は見ごたえのある成果だよ。

 ここを掘って、基礎工事をする。

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 この基礎工事がけっこう大変で、元気に動ける午前中だから、2時間くらいでできた(午後からは効率が半減するw)。

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 で、こうする。コンクリートの強度を図るテストピースを置いて、さらに上に超コンクリートブロックをモルタルで接着する。

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 こういう仕事をしているとき、だいたい私は無心だ。私よりも塩鯖の方が圧倒的にセンスがあるし器用だし、何より力持ちだから。私が一度に1つしか持てないブロックも、塩鯖は2つ持つ(当たり前かもしれないが)。

 今日、塩鯖からこう聞かれた。

「石垣、楽しいだろう」

 私はしばらく考えた。数秒とかではなくて、数分。そしてこう答えた。

「楽しいとか楽しくないとかじゃなくて、まだ『私はこれができるんだ。これはできないんだ』っていうレベルだからよく分からない。だけど新しいことをするのは楽しい」

 正直な答えだ。楽しいか、楽しくないか、そう考えたことはない。身体はしんどい。でも必要な仕事だし、やってると土壌の質もよくわかるし、だから美味しいみかんを作るための知識も身につく。このしんどい仕事は、そういう利点がたくさんある。でも、楽しいかどうか? 何をもって「楽しい」というのか?

 以前の一人暮らしの私は「しんどいこと」が嫌いだった。疲れやすいから疲れることをしたくなかった。旅行でさえも、疲れないで済む滞在の仕方ばかりだった。よくよく考えてみたら、そういう時間の過ごし方は、休日の一人時間と何ら変わりがない過ごし方だった。まぁ、あの頃の私は慢性的に仕事で疲れていたから、ちょっと何かあると「休むのが史上最高の贅沢」と思っていたからなあ。

 でも、結婚して塩鯖と暮らすようになって、まぁまぁ私は時間に余裕があって楽な暮らしをしていたにもかかわらず、「休むのが史上最高の贅沢」だと信じて疑っていなかった。だからしんどいこと、しんどそうなこと、疲れることは大嫌いだった。

 でも今はどうだ。朝7時前からキャッキャしながら土木仕事にも行っちゃうんだよ。すごくない? ねえ、すごくない? 40歳を過ぎたおばさんが、斫り(はつり)を覚えたりするんだよ。すごいよねえ。

 この変化は、いろいろ理由はあるけれど、やっぱり塩鯖の存在が大きいと思う。あと、心の勉強をしたことも大きい。

 しんどいからやってこなかったこと、すなわちそれは「未経験なこと」だ。ということは、経験せねば、楽しいのか、楽しくないのか、しんどいのか、しんどくないのか、面白いのか、面白くないのか、私がどれだけそれをやれるのか、そういうことも全部分かんないじゃんと思うようになったからだ。

 塩鯖は結婚してからずーっとそれを言っていた。でも私は「面倒くさいことを言ってるなあ」とか「何でもできるやつが、概ね不得意な人間をいじめているに違いない」と思っていた。我ながらひねくれている。いや、こじらせている。

 いずれにせよ、やっと素直に人の声が聴けるようになった(そうでなければ、親と仕事などできないしな)。おかげで、毎日があっという間に終わってゆく。でも、ただ忙しくてあっという間に一日が終わるのではなくて、長い長い瞑想をしているような、そんな気持ちで一日が終わる。

 実際、ひたすらに掘ったり、運んだり、地面を手と足で感じたり(地下足袋ってすごいもんでね、地面のほんの少しの起伏も足の裏で分かるのだよ)していると、本当に瞑想しているような気持ちになるのだ。

 ああそうだ。手足で地面を感じるのって、嫌いじゃない。クソ重たい超コンクリートブロックを持ち上げるのだって、コツはどこかなと探しながら持ち上げるのも嫌いじゃない。全部は美味しいみかんに繋がっている実感があるから、どれもこれも、嫌いじゃないんだと思う。