生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

モノを売るということ

 おはようございます。塩鯖の熱は下がりました。とはいえ、24時間以上熱が出続けるってしんどいな。私がそれぐらい熱出たのいつだろう、盛大に発熱タイプのインフルエンザになった時ぐらいじゃないかな。

 塩鯖の看病をしているあいだ、スマホゲームのファンタジーライフにどはまりしていた。

www.fantasylife.jp

 気管支炎をこじらせる前に、塩鯖がダウロードして遊び始めたのだが、私はダウンロードだけしてしばし放置していた。なんかこう、面倒くさいと感じてしまったのだ。いちいちお知らせがうざいし。

 しかし看病中ってヒマなわけで、お前働けよってところなんだが異変があったら手を出したいがために、ファンタジーライフを再開したのだ。えへへ。ルールもあんまり分かってないままに、ただひたすらに魔法使いのクエストなるものをせっせとこなしていたら、結構強くなって、ついでにお供のキャラクターも結構強くなって、ガチャで出なかった職業(ライフ)もやんなきゃと手を出して、泥沼にはまり中です。

 とはいえ、このゲームの年齢層はそこそこ低いだろうと思う。もともとDSのゲームだったようだし。だから時折ご一緒するみなさんは、もしかすると小学生かも、甥っ子ぐらいの年齢かも、ぐらいの気持ちでいる。まぁ、スマホゲームだからパソコンのオンラインゲームよりは廃人いないと思うけれど(その代わり、課金の鬼がたくさんいそうだ)。

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 Facebookで営業の仕事についての記事を見た。私は確実に営業も販売もできない。なぜなら嫌いだからだ。どこが嫌いかと言うと、自分が物を買う時に必ず「本当に必要なものか、そうでないものか」をじっくり考え、短くて2,3日、長くて数カ月迷ってから買いたいからだ。人がいいのよと勧めるから買う、ということがほとんどない。車みたいな大きなものは別だが、買いたい車がないのに車屋さんになんて行かない。そろそろ買い替えの時期じゃないですか? とか言われたら「余計なお世話だうちの子はまだまだ走るよ(エアコン調子悪いけど)」と思う。

 なぜかこう、ものを買わせようとする人を敵視しているようね。うん、それはあるかな。そうした家庭環境で育ったからだろうな。

 でも思い返せば幼少期、確かに貧乏ではあった。青年期、激烈貧乏であった。30代、「お金を使わない」がブームだった。ずっとその「物を買わせようとする人は悪い人だ」精神が守られて生きてきたと思う。けれど今はどうだ、そんなに貧乏かい? そんなことはない。けれどやっぱり、不要なものをお付き合いでとか買おうとは思わない。

 まぁ、そういうわけで「モノを売る人」はすごいなあ、私のようなメンタルの人たちを相手に百戦錬磨なんて修行よりきついなあ、と思っていた。けれど塩鯖は基本的に「モノを売る人」であった。

 だから塩鯖に聞いてみた。モノを売るのって難しくないか? って。そしたらこう言った。

「モノを売るんじゃない、満足を売る」

 モノ、物質ではなくて、それを手に入れた後の生活で得られる満足を売る、ということだ。なるほど。

 Facebookで見た記事では、毎日300件のお宅を訪問する、同じお家に3回は行くという、今会社にそう指導されたらパワハラだのモラハラだの言われそうな方法だった。亡きお父様が教えてくれた営業の基礎だそうだ。とにかく売るのではなく、とにかく顔を覚えてもらう。玄関の花の名前、ペットの名前も覚えていく。人の気持ちは一日のうちでも変わるものだから、今日開けてくれなかった家も明日は扉を開くかもしれない。どういう時でも初めての一回目の気持ちでお会いする。

 壮絶だと感じた。でもこれを「壮絶」と感じるのは、私は販売員恐怖症であるからだ。人にそれぞれ得手不得手がある。けれどずっと苦手でいるのは、なにか損しているような気持ちになった。これもなんか新鮮。

※私はウニが特に苦手なのだが、そのことに関して「一生分損してる」とか「もったいない」とか「贅沢だ」と、からかうでなく本気で非難する人がいた。私も意地っ張りなものだから躍起になったりしたが、なるほどなー、そういう気持ちだったのかなーなんて思う(いやいや、あれは私のことが好きじゃなかっただけだと思うよ)。

 だからって営業に転身だ! とは思わないが、せめて気持ちの良い客になろうと思った。二人の間にあるのは「販売」かもしれないが、相手も人、私も人。そういう視点で社会を見ると、いろいろ気づくことがありそうな気がする。

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 ( ゚д゚)ハッ! ファンタジーライフ的には私、ライフひとつがようやく「ベテラン」になったぐらいだわ、精進が足りないわ、って思った。相当やられている。