生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

KU:NEL は遠く

 久しぶりにKU:NEL (クウネル)の表紙を見たら、知ってるKU:NEL (クウネル)ではなくなっていて驚いています。そう言えば編集長が変わったとか何とかで、思い切り路線変更したってどっかで聞いたな。にしても、それからしばし経過したKU:NEL (クウネル)はもはや「私たちのお弁当」をやっていたころの KU:NEL ではない。なんで文字の背景がExcelのオフィスソフトで写真の上に文字をのっけたような背景白なんだ。

私たちのお弁当 (クウネルの本)

私たちのお弁当 (クウネルの本)

 創刊からしばらくは読んでいた雑誌です。こんにちは。全然KU:NEL 系ではない私が通ります。

 確かこの雑誌のタイトルの由来は、食うと寝るだったと思う。雑誌のコンセプトは「ストーリーのあるモノと暮らし」。そうそう、序盤のこの雑誌はそこが面白くて読んでいた。モノにもストーリーがあるんだなって。例えば北欧の手編み。成長に合わせてほどいて編みなおすのは、子供のセーターだけじゃないってところが「素敵」と思ったものだ。丁寧な暮らしにも憧れたし、手入れされた使い込まれた道具にも憧れた。

 そんな私ですが、それはまぁないものねだりだったんだなあと痛感した。そういう暮らしをしたい、けれど私の暮らしを見てみたら、私の雑さにも耐えられるハードコアな者たちしか残っていない(あるいは経年劣化が3倍速)。自慢になるほど無秩序な感じで暮らしが成り立っています。あちこちに喫煙具があるとかね(電子タバコ戦争はさっさと終わらせろと切に願う)。

 衣食住のすべてにこだわりを貫きたかったのだが、結婚して誰かと生活を共にするということは、必ずしも自分の好みだけをチョイスできるわけでもなく、それ以前に私はそこまでこだわりがなかったので、おおむね「居心地は悪くない」程度の仕上がりになったようだ。うん、私は居心地悪くないけどな。絵にはならない。

 丁寧に暮らすとか自然と暮らすとかが目に付くということは、そういう暮らしがしたいことなんだけれど、衣食住全てにおいて「ほどほどにひどくなければいい」レベルなので、今までの私は一体何を守るために生きてきたんだと考えたところ、間違いなく家族といることを選んできたんだなあと思った。だって尋常じゃないでしょ、結婚して地元を離れてるのにこの家族の話題率。よほど家族が好きなんだなって思うでしょ。そういうことなんですよ。

 好きなことを仕事にというキャッチコピー、本当にやってる人は一万時間向き合い続けられることをやってるんだよ、と聞いた。なるほど。私なら習慣にできることならばしてしまうだろうね。でも、義務で「はいはい」ってやってたら上達なんてしないわけで、どこまでそれにめり込んでいけるかって話だと思う。そう考えたら、私は何が当てはまるだろうか、と考えたところでもやっぱり「家族」だろうなと思った。

 好きな作品も恋愛ものではなく家族を思わせるもの。家族ってさ、簡単じゃないからドラマが深いじゃない。そして誰もが持ってるじゃない。それがいいんだよねえ(巻き込まれたときはそう思えないんだけど)。

KU:NELの入れ替わりの時、つるとはなも買ったんだけど、なんか違うなと思って継続して購入することをやめた。商業として生き残るには、コアなファンがいればいいというものではなく、きちんと結果を出さねばならないということを痛感した。私が雑誌に求めるもの、それはどこを開いても手を止めたくなるような何かがあるもの。雑誌だからこそ写真を美しく掲載できるし、あの紙質だからこそ長持ちもする。ずっと長く持っていたいと思うような雑誌があれば、また購読するかもしれない(考える人は好きな人の時だけ買う派)。