仕事納めか、果たして
こんばんは。今日はちょっと元気ですよ。というのも、今日一日家のことしてただけだからね!
といっても、掃除と片付けと、数の子の仕込みと年賀状、あとは細かい雑用やらご飯やら。ご飯もね、最近は簡単なものしか作ってなかったから、ちょっと作った感がある料理は楽しかった。
さて。昨日の仕事。
広い畑の伊予柑の収穫が完了。ここまでを年末までに終わらせたかったと聞いている。だから終わらせることができて良かった。
12/22からひたすらに収穫していたので、正直「しんどい」を言いすぎたと思う。でもしんどかった(まだ言うか)。
多分去年の今頃もヘロヘロになっていたと思う。今年は去年よりマシではあるけど、まぁヘロヘロになっている。
農業に限らず、やらなきゃいけない時はある。それは分かる。いや、実際に経験していないのだからわかっていないのかも知れない。でも、そういう時は必ずある。だとしても、しんどい辛いが当たり前で、体がボロボロになるのがいつものことなんて仕事は、やり方を変えてゆくほうがいいと思う。もし農業がそんな仕事ならば、なおのこと変えないといけない。そうしないと、誰も農業なんてやりたいと思えないだろう。
当たり前とか、そういうものだとかで済ませたくないことがある。それらの多くは、先人たちの苦労や辛さの中にあることが多い。考えようによっては、そうしたしんどさを経験してこそっていうのがあるかもしれない。でも私はそう思わない。いや、正確にいうと「そう思わないようにした」だ。
しんどい、辛い、大変が当たり前ならば、そこには改善の余地があると思う。それがどれだけ面倒で大変で簡単ではないことだとしても。
午前中のうちに収穫が終わったので、午後からは数の子。塩抜きしてから皮をむいて出汁に漬け込む。この日は塩抜きのみ。でも1キロもあると18時間ぐらいかかったかな。
久しぶりに時間気にせずゆったりのんびりした。まるで泥棒さんが入った後かのような部屋の中で。
なので翌日の本日は朝から掃除&片付け。部屋が狭いのでこれ早い。それから年賀状などなど片付けて、ノートパソコンをWindows11にしたりした。
そんな最中に届いたのがこの深谷ねぎ。深谷ねぎ初めてである。餃子で食べてみたかったので、すぐさま炒めてみたのだけど、すっごく甘い。糖度15度近くあるらしい。みかんより甘いだろこれ。
で、餃子になりました。
深谷ねぎについてはこちら。疲労回復にも効くらしい。正直にいうと、私は白ネギが得意ではない。だけどもこれならば食べられそう。この甘さならば、新玉ねぎの感覚で料理に使えばすぐになくなると思う。
いやはや、ありがたいものが届いたものよ。嬉しいなあ、全国の農家さんたち、本当にありがとうございます。
西の香収穫完了と「農家さんを助けたい」問題
こんばんは、今日はサクッと書いて終わりたい(眠いから)。
今日も西の香の収穫。一応抜きもぎ(色付きの良いものだけを収穫する方法)だから、色を見てもいでいるのだけども、朝日効果で赤く見える。でもカゴに入れたら「ぬおおお、青めだった!!」というみかん農家あるある。ちょっと青いね。でもこれ、貯蔵してたら青みが抜けて赤くなるから(そして酸も抜けて食べやすくなる)。
先日の肥料まきが地味に堪えているので、コーヒーブレイクはキットカット付き。しかもピスタチオ。これめちゃくちゃ美味しかった。そしてこれをツイートしたら公式様からリプいただいた。なんてまめな公式様だろうか(マジで美味いです、おすすめ)。
で、いきなりホラーみたいな配色の腐敗果実。腐敗の原因は、鳥に突かれたか裂果したか。
裂果は果肉の肥大に皮の成長がついていけなかった場合に起こる。今年は秋に干ばつがあって、その後雨が降ったので果肉の肥大がぐんと進んでしまったよう。だからこういう果実がとてもたくさんあった。もちろん裂果してるということで相当摘み落としたんだけどね。よく見たらこれ鳥が突いてるね。
なんでこんなホラー配色を出してきたかというと、昨日ラジオでとんでもない話を聞いたからだ。
順を追って話そう。まず聞こえてきたのは「規格外のみかんを販売することで地域貢献になるしSDGsの取り組みにもなる」という話。ここまでは聞き飽きるほど聞いた話。個人的に思うことはあるが、まぁそういう考えもあるだろうねと思って聞いていた。
その後、あんまりよく聞こえなかったんだけども、この事業を始めたきっかけが耳を疑うような理由だったので帰宅して調べたところ、ジャロに訴えてもいいかなってレベルの嘘、大袈裟、紛らわしいのオンパレードだったのだ。
個人的に、規格外品を販売するのは賛成ではない。でも誰かが販売することについてどうこういうつもりはない。
だけどね、愛媛県で生産されている柑橘のうち、製品になるのは2割〜3割とか、それ以外は格安で販売されるか捨てられるとか、一応柑橘農家をやってる身としてはちょっと聞き捨てならないのだ。
というのも、私は柑橘農家の端くれとして関わって、農協さんをはじめとする関わってくださっている方々のおかげで、愛媛県の柑橘は評価されていると思っている。もちろんそこには生産者も含まれる。皆が一丸となって頑張っているのだ。
なぜだか分からんが、農協は生産物を買い叩いているとか、農家を苦しめている、農家は騙されているという誤った情報ほどある一定の層には響くようだ。いや、生ぬるいな。喜ぶようだと言ったほうがいいかもしれない。そのごく一部の「かわいそうストーリーが大好物」の人たちのために、現実が歪められるのは我慢できない。
今回の場合、主語が大きくなっただけなのかもしれないし、廃棄されるみかんを見てショックをうけてなんとかしなければと思ったのかもしれない(実際に廃棄するものはある)。でも、だからと言って己の大義のために他者を蔑ろにして良いわけがない。
で、ホラーみたいな配色の果実ね。
規格外品というのは、大きすぎる小さすぎる、表面に傷がある病気がついているものだけではない。腐敗につながる傷があるものも規格外品、こうなる可能性が高いものも含まれるのだ。そのリスクを伝えて規格外品を販売しているのだろうか。
今の住宅は暖かいから、腐敗につながる傷があれば数日で青カビが生える。青カビの前に腐敗が始まるので、悪くなった部分だけ切り落としてもきっと食べられない(腐敗臭が果実全体に回るのでとても食べられたものじゃない)。もちろん、一か八かで試してもいいだろう。でもそんな覚悟をしてでも規格外品でなければならないだろうか? むしろ安全で安心な正規品の方が良いのではないか?
この取り組みの最後にも「農家さんを助けたい」とあったけれど、本当に農家を助けたいと思うのならば、規格外品を安く買うよりも、正規品を正規の値段で買っていただくことが一番の近道だ。
で、今日の最後は不知火(デコポン)。これは春のお彼岸ごろに収穫予定。伊予柑の収穫が終わったら袋かけをする予定。しっかりデコってて可愛いね。
みかん日誌二日分
寒波到来二日目。こんばんは。まずは昨日のことから。
いただいたクリスマスピーチと、今年のぐんま名月(大事に保存している)で朝ごはん。もちろんこれだけじゃない。だけどもまずはフルーツだ。
クリスマスピーチは小さくて硬くて可愛い。味はとにかく甘い。初夏の桃には絶対にない味。
2021年はたくさん桃を食べたが、たくさん食べるからこそわかることがある。柔らかい桃、硬い桃、甘さが強い桃、酸味も感じる桃、いろんな味の桃を知ってこそ、本当の「桃のおいしさ」の入り口に立てたような気がする。2周目も味わいたいものだ。
で、この日の午前中、私は箱詰め、夫氏は肥料。午後からは二人で肥料。
肥料の袋は20キロだけど、流石に重いので半分を桶に入れて畑中を練り歩く。練り歩くというか、座って撒いて、立って移動しての繰り返し。
私は毎朝スクワットをしているのだけど、そのせいか肥料まきはそれほど辛くなかった。継続は力なりだなあ、以前は本当に死ぬかと思うほどしんどかったのだけど。
この日、雪がちらつくような天気でとても寒かった。空も寒々しているように見える、かな。
夜、出来心で紅まどんなを絞ってオレンジジュースを作った。
このダニにやられてマッドな風合いになってしまった果実だ。外皮がやられているだけなので中身は問題なし。
手絞り。で、わかった。紅まどんなはクセがない。だからジュースにすると「とても美味しいオレンジジュース」にはなるけれど、これが紅まどんなジュースだとは気付けないのではないかと。昔出来心で、サービスエリアに売っていた紅まどんなジュースを買って飲んだけど、本当にこれ紅まどんなかなって思ったのだが、間違いではなかったのだな。2年越しで納得よ。
で、本日(19日)のお仕事。
ひたすらに、西の香の収穫。
昨日より+4度ぐらいあったはずだが、昨日より動く量が少なかったからか、やたらと冷えて寒かった。まぁでも冬は寒いものだ。寒いからこそこの赤々とした果実が映える。
これは5ミリほど亀裂が入っていた果実。どうですか、わかりますか、このほとばしる感。すっごくジューシーで、フレッシュを通り越したフレッシュさ。何言ってんだお前って感じだね。でもこの感覚は食べてみないとわからない。
2020年、地球上の人間は新型コロナという感染症に脅かされた。しかしやられっぱなしではない。あれから地球上の人間たちはインターネットを介して様々なことができることも証明し続けている。でも、でもだ、これはインターネット越しでは分からない。分かりようがない。それが「経験」だ。今後はリアルな経験に価値が置かれるだろうなと思う。
で、明日も引き続き西の香の収穫。きっと寒いだろうけど頑張ります。
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私は人間を一言で表すことはできないと思っている。
例えば、私はけっこう面倒臭い人間だけども、だからといって全部が面倒臭い訳ではない。むしろやりやすいところも多い。過去と現在で変わってしまったところもある。
このように、人には多様な顔があるもので、そうであるからこそ面白いし、飽きることなく自分を生きていけるんだと思う。
その、一言ではとても表すことのできない複雑で多様で定まっていない「人間」というものを、完璧に残していけるシステムがある。それが繁殖だ。
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今日は中学時代からの親友が島に帰ってきたので会ってきた。
私が金なし家なし仕事なしだった頃に、身一つで転がり込んで一緒に住んでいたことがある。というと、女二人暮らしを想像するだろうが、彼女は結婚し2児の母だった。今思えばけっこう無茶苦茶なことをしたなと思う。
私が住んでいた頃は7歳だった息子が今はもう二十歳である。月日が流れるのは本当に早い。
びっくりするのだが、この一家は顔が全部一緒だ。まぁ、父と母が似た顔だから、出てくる顔も同じで疑問もないが。
にしてもだ、到着早々、息子と親友を見間違えてしまうぐらい似ているのだから相当だよ(娘もよく似ている)。
で、そんな親友一家に会って思ったこと。
遺伝子はすごい。一言では言い表せない「私の親友」という生き物を、息子も娘も完璧に引き継いで、さらに彼ら独特の個性も乗っかって、別の人間として生き、おそらく私たちより長生きし、さらにあの遺伝子をつなげてゆくのだ。
なんてすごいことだ。これが多くの動物が命懸けで繋ごうとしていることなのか。
なんだかすごく感動した。
ちなみに、息子は今時の男子なのでメイクもするしダイエットもする(今すでにガリガリだというのに)。私らも二十歳ごろはあんなだったね、黒歴史だね。今のうちに写真クソほど撮っといてやんなよ、と言っといた。いや、ちゃんとイケメンっすよ。