生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

雑記・忙しさにかまけて

 こんばんは。気づいたら一週間ぐらい過ぎちゃってしまう今日この頃です。仕事はだいぶ流れが分かるようになり、少しばかりこなれたところでしっかりミスって勉強になりました。

 この仕事をするようになって、本当に好きなことを仕事にしている人たちの、仕事中の清々しい顔はいいなあと思います。私も結局好きなことを仕事にしていたわけだけど、したいことだけができるわけでもないし、あの頃は「オレこれしかできねぇし」と思っていたので(損してた気分だよ)、あれほど清々しい顔でもなかったかもな、と思います。でもね、だからと言って悩みがないわけでもないんだわ。そう、悩みなんて牛筋を下茹でしているときのように出るもんなんだ。悩みがあるから不幸だと思う思考回路が不幸製造機なだけなんだと思うのよ。そんなもん捨てちまえ。

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 少し前に「権力と戦うことが正義と思っている人は意外と多いみたい」とつぶやきました。おおむね、利権や政治やカネという言葉が好きな人が多いようです。それについて、関西電力の弁護士さんたちは悪と戦っているけどあれもヒーロー気取りだというのかというお叱りが遠回しに来ましたがスルーいたしました。

 世界は一つの物差しで「はい、あなたは悪いです」「はい、あなたは良いです」と分けることができないようなところです。だから正義ってひとつじゃない。だから誰かにとっての味方は誰かにとっての敵にもなる、流動的なものなわけだ。私は世界を自分の正義で清廉潔白にしたいわけじゃない。

 デスノートという原作がコミックの映画があるけれど、私はあの作品に関しては映画が好きです。なぜかというと、ラストシーンあたりでライトくんの父のセリフが好きだから。

確かに、法律は完璧ではない。
なぜなら法律を作った人間が完璧ではないからだ。
それでも、私は法律が正しさを導いてくれると信じている。

 もし人間が完ぺきな存在であれば、法も秩序も必要ない。不完全なものどうしが今こうして世界を作っているんだと思ったら、この世界に無関係なものなんてないし、だからこそちょっとずつ自分の正しさを見つけて世界をよくしていきたいな、と思うんです。間違ったら誰かが教えてくれる、そういうあったかい世界をね。

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 グレタさんの演説? をちらっと見た。そして環境問題について研究している方の意見がとても参考になった。彼女の国連での言葉は大人バッシングにばかり気を取られてしまったよ。本当にそれが言いたかったことなんだろうか。

note.mu

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 正しさ合戦は不幸合戦に似てる。勝者もいなければ実りもない。不毛なだけだ(文明人の悲しい暇つぶしなのかもしれない)。

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 3日前に買った白菜の漬物を、今日食べてみたところ発酵が進んでいるようで酸っぱい。そっち系だったのかい。でも冷蔵庫保管してたんだけどな。非常に悔しい。本当は朝鮮漬けが食べたいんだけど売ってない悲しさ(仕方ない、作るか)。

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 タウンシップというスマホゲームをしている。HeyDayみたいなやつ。あの頃はまだオーダーを覚えきれていたが、今は最大でも3つぐらいしか覚えられない。3つというのも相当調子のいい時だ。確実に退化している。

塩鯖の帰宅が遅い日である


 今日のお弁当。余った塩鮭と舞茸の炊き込みご飯と、余った白米を融合させるために野沢菜の漬物をのせました。自分の飯に手間も暇もかけたくない女の弁当なんてこんなものです。しかもコンビニでもらった箸。潔い。

 さて。

 今日は塩鯖の帰宅が遅い、ということをすっかり忘れてさっきまでご飯を待っていた私です。すっかり忘れていたことに驚きました。そして遅い晩ご飯を食べたらめっちゃ眠い。たぶんこれを書いたら寝ます。

 さて。

 サギデカという番組が面白そうだなと思ってちょいと見ました。でも4話の最後で「犯罪者側にいつつも正しいことをしようとしている青年」が、突然正義に目覚めたあたりで一気に興ざめしてしまいました。

 いや、私はそれほど世の中に絶望もしていないのよ。でもそれほど期待もしていないの。でも私自身がかなり平和ボケしているタイプだから、人はどこかしらで「正しくあろうとするものだ」と思っているところはあるんだけど、でも今回のはなんかとっても違和感があって受け入れられなかった。少なくとも、正しくあろうとする種を持っている人は、同じ泥に二度も三度も戻ろうとしない。

 と、その時は言葉にもならなかった違和感を、塩鯖は「悪い奴はいるんだよ」という一言で片づけましたが。そうなんだよね。

 人生で一度だけ「ああ、これはもう手に負えない。血を入れ替えようと、人生のスタート地点を変えようと、きっと無理だ」と思った人がいる。もう憎しみも枯れ果てたのでなんとも思わないが、あの人に出会った意味があるとしたら、どうしようもないことがあるということを知るためだったのかもしれない、と思う。

 その人のことをどうにかしようとすることを諦めるとき、心に浮かんだことは今も忘れられない。当時の私は家族からも呆れ果てられて、正直合わせる顔もないというときだった。私の心に浮かんだのは「私の人生を、これ以上こいつのために使うのが惜しい」と「家族と昔のように過ごせるようになりたい」だった。

 まぁ、早い話が天秤にかけたわけだ。そしてスパッと手を引いた。二度と振り返らなかった。あの時の、あの瞬間の決意は、人生において決してドラマチックでも印象的なシーンでもなかったけれど、きっと一生忘れることはない。

 これについては、迷路を逆に解く要領でやったとしてもあの決意にはたどり着かないだろう。七転八倒を繰り返し、何度も道を踏み誤って落ち、傷まみれになったから言えたことだと思う。

 最近メンタリストdaigoさんのYoutubeを見て、この人は賢いなあすごいなあと思ったのだけど、一番「すげぇ」と思ったのは8年間のいじめ時代を経験し逆転したというお話で、ぶっちゃけ心理学的に人ってこんなだよという話はさして心に残らなかった。それもきっとdaigoさん的には説明できるだろう。人に夢を語る時に大切なこととして「個人の苦しみ談」「共感できる課題」「大義名分」と話していたけれど、これは夢じゃなくても言えること。大義名分とは要するに大勢の人の願いの最大公約数のことだから、苦しみの経験を共有することによって(私はいじめの経験に共感したわけだ)自分の願いを上手に最大公約数までもっていけば大体の人の心に響いて「すげぇ」と思わせることはできるだろうね、ということなのよ。

 それを意図的にやろうがやるまいが、そういう手法は共感や賛同を得るにはとても有効な手段だろうが、なんだろうなあ、私のあのろくでもない人生の瞬間には到底かなわないんだよな。そういう「誰とも共有しきれない何か」を持つことは、人生の醍醐味なんじゃないかなと思う。

KU:NEL は遠く

 久しぶりにKU:NEL (クウネル)の表紙を見たら、知ってるKU:NEL (クウネル)ではなくなっていて驚いています。そう言えば編集長が変わったとか何とかで、思い切り路線変更したってどっかで聞いたな。にしても、それからしばし経過したKU:NEL (クウネル)はもはや「私たちのお弁当」をやっていたころの KU:NEL ではない。なんで文字の背景がExcelのオフィスソフトで写真の上に文字をのっけたような背景白なんだ。

私たちのお弁当 (クウネルの本)

私たちのお弁当 (クウネルの本)

 創刊からしばらくは読んでいた雑誌です。こんにちは。全然KU:NEL 系ではない私が通ります。

 確かこの雑誌のタイトルの由来は、食うと寝るだったと思う。雑誌のコンセプトは「ストーリーのあるモノと暮らし」。そうそう、序盤のこの雑誌はそこが面白くて読んでいた。モノにもストーリーがあるんだなって。例えば北欧の手編み。成長に合わせてほどいて編みなおすのは、子供のセーターだけじゃないってところが「素敵」と思ったものだ。丁寧な暮らしにも憧れたし、手入れされた使い込まれた道具にも憧れた。

 そんな私ですが、それはまぁないものねだりだったんだなあと痛感した。そういう暮らしをしたい、けれど私の暮らしを見てみたら、私の雑さにも耐えられるハードコアな者たちしか残っていない(あるいは経年劣化が3倍速)。自慢になるほど無秩序な感じで暮らしが成り立っています。あちこちに喫煙具があるとかね(電子タバコ戦争はさっさと終わらせろと切に願う)。

 衣食住のすべてにこだわりを貫きたかったのだが、結婚して誰かと生活を共にするということは、必ずしも自分の好みだけをチョイスできるわけでもなく、それ以前に私はそこまでこだわりがなかったので、おおむね「居心地は悪くない」程度の仕上がりになったようだ。うん、私は居心地悪くないけどな。絵にはならない。

 丁寧に暮らすとか自然と暮らすとかが目に付くということは、そういう暮らしがしたいことなんだけれど、衣食住全てにおいて「ほどほどにひどくなければいい」レベルなので、今までの私は一体何を守るために生きてきたんだと考えたところ、間違いなく家族といることを選んできたんだなあと思った。だって尋常じゃないでしょ、結婚して地元を離れてるのにこの家族の話題率。よほど家族が好きなんだなって思うでしょ。そういうことなんですよ。

 好きなことを仕事にというキャッチコピー、本当にやってる人は一万時間向き合い続けられることをやってるんだよ、と聞いた。なるほど。私なら習慣にできることならばしてしまうだろうね。でも、義務で「はいはい」ってやってたら上達なんてしないわけで、どこまでそれにめり込んでいけるかって話だと思う。そう考えたら、私は何が当てはまるだろうか、と考えたところでもやっぱり「家族」だろうなと思った。

 好きな作品も恋愛ものではなく家族を思わせるもの。家族ってさ、簡単じゃないからドラマが深いじゃない。そして誰もが持ってるじゃない。それがいいんだよねえ(巻き込まれたときはそう思えないんだけど)。

KU:NELの入れ替わりの時、つるとはなも買ったんだけど、なんか違うなと思って継続して購入することをやめた。商業として生き残るには、コアなファンがいればいいというものではなく、きちんと結果を出さねばならないということを痛感した。私が雑誌に求めるもの、それはどこを開いても手を止めたくなるような何かがあるもの。雑誌だからこそ写真を美しく掲載できるし、あの紙質だからこそ長持ちもする。ずっと長く持っていたいと思うような雑誌があれば、また購読するかもしれない(考える人は好きな人の時だけ買う派)。