生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

幽霊ついでに覚書き

 私はたぶん、一度だけ妹の幽霊を見たことがあります。あれだけ一緒にいてたった一度。

 私は今のこの家に引っ越してきたばかりで、隣では塩鯖が寝ていたのね。うちの家は童がいるようで、お風呂の洗面器とか、物置のホットプレートとか、時々派手な音で落っことしたり倒したりするんですよ。頻繁にあるわけではないけど、玄関とリビングをつなぐドアを開けていると、誰かが行き来したり、キッチンをごそごそしてたりするように、感じるんです。

 だからまぁ、夜明け前にリビングに誰かいる気がして、ベッドを抜け出してリビングに行ってみたんです。そしたら、無音のテレビがついていて、テレビに向かって猫背に座っている妹がいたんです。相変わらずテレビっ子ね、と思ったところで目が覚めたんです、夜明け前。もちろん、リビングに行ってもテレビもついていないし、誰もいないんですね。寝ぼけてたのかな、と思ってまたベッドに戻りました。

 もぞもぞしていると塩鯖が「妹ちゃんが遊びに来てたんだね」って言ったんです。私は「そうだね、引っ越し先に来たがる子だから、見に来たんだね」とまた寝ました。

 私が島根に引っ越したころ、妹は何度も何度も「遊びに行きたい」と言ってたんです。でも私は「なにもないところだから」と来させなかったんですね。それをずっと悔やんでいたことを、忘れていたわけではないけど、思い出したんですよ。


 そういえば、こっちに引っ越してから時々幽霊ってのを見てるなあと思います。去年まで働きに行ってたところでは、真昼間に作業員の兄ちゃんの幽霊がいたし、塩鯖も交差点で何かを見ているし。すれ違った感触はあるのに、誰もいないって言うことも、ままあります。でもそれは、なんだろうか、存在感のある風景のような感じで、見てはいけないものではないような気がしてます。もし、見てはいけないものであったら、もっと「見てはいけない感」があるんじゃないかと思うんです。

 人生は良いことばかりをして生きるわけでもなく、悪いことばかりをして生きるわけでもなく、多くの無意識で繰り返す時間が描き出す、その人の物語のことなんじゃないかと思うんです。律儀な人の、自分が死んだって分からない死ほど、日常を繰り返すんだろうと思います。今のところ私は、それが可哀そうとか悲しいとか幸せだろうとか、そんな尺度では計れないような気がしてます。