生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

文字通り担ぎ込める日も近い

 おはようございます。昨日は塩鯖が突然熱を出して病院へ。夫を担げそうなエッセイストです。

 瞬間湯沸かし器のごとく熱が上がるのでびっくりする。けれど血球貪食症候群ってのは、こういうものらしい。白血球が激減していたが、他は大丈夫っぽいような、そうでもないような、よく分からない。けれど薬は一つ、というのは救いなのか何なのか。

 そもそも、病気って定義が難しい。免疫が血液成分を食べるから血球貪食症候群というのだろうけど、ちょい食べとかだったら分かりにくい。フェリチンという値がどうのこうのとはいうが、それだって確約ではないしね。

 膠原病という病名になるか否かというのも、数値のこれとこれがいくつを超えたら、みたいなところもあるようで、惜しい! もうちょいだった! とかだと難病にならない。ということは医療費が3割とはいえ負担が大きくなる(点滴一本50万の治療もあるしね)。

 でもここに明確なラインを設けるのは非常に難しいんだろうと思う。人は常に1つの病だけを抱えるわけではなくて、合併症だってあるしね。

 ずーっと昔、電子カルテの仕事をしていたころ、いわゆるマスターテーブル(管理者以外が変更することのできない不動のデータ)を作るに際して頻度の高い病名、そうではない病名を出してくれと伝えたのだが、病院側が超渋り作業が進まなくなることが何度となくあった。病名を出すということは、その病院にとっては得意分野、不得意分野を知らせるとことになるから、とのことだった。本当の理由は知らない(私そんなに偉くなかったし)。

 でも、マスターなんて表に出るものじゃないのに、と思ったのだが、いつの日か医療システムも統合されるべきだから、マスターも統一されたっていいはずなんだが、って偉い人が言ってた。私はその思想が好きだったが、理想の枠から出ることはないだろうなと思った。画一化、というのは物事を分かりやすくするが、それまでの思いは消えてしまう。人はそれを手放せないでいることが多い。そして、そこまでして手放さねばならぬものかどうかも、私には判断できないところであったから。

 旅友も治らない病気を抱えている。治らない病を抱えている人はたくさんいる。不治の病でなくとも、人は病気になる。だから悪いことを考える人(わかんねぇ奴らだし、医療費は国の費用から降りるからかさまししてやれ、とか)もいる。けれど、そういう人ばかりではないから進歩している。私はこの進歩を信じたい。

 今朝起きて、しばらくしたら塩鯖がプルプルだということに気づいた。昨日はカピカピだったから、担ぎ込める日も近いと思ったけれど、水分を含んだ塩鯖はちょっと担げそうにない。それが嬉しくてたまらない。