生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

いろんな罪悪感を持ってみんな生きている

 おはようございます。今朝のニュースで秋田犬の飼育頭数が激減していると聞いた。そりゃそうだろうなあと思う。四国には土佐犬がいる。いかつい可愛い奴だが、あの子たちは危険犬種といって、飼うにも許可がいる。当然逃げたら通報される。土佐犬、秋田犬だけではなくて、体高60cm以上、かつ体長70cm以上の犬であれば、みな危険とみなされる。どれだけ人懐っこくても、人慣れしていても、関係ないのだ。

 でっかい子は可愛いが、お散歩に体力が必要。だから高齢化が進んでマンション暮らしが増えている昨今、こんな大きな生き物を飼育しようと思う人が減るのは仕方がないと思う。だからこそ、何らかの方法で血の存続を心掛けるのは素晴らしいことだと思う。

 私は率先して触りに行ったりしないけどね。見るだけで可愛いからいいんだけどね(本当は触りたい)。

 昨日もルーキーズの続きを見た。塩鯖が仕事のときは一日一話。彼はこのドラマを見ていたそうだが、練習試合が最終回ぐらいの認識だったそうだ。でもそんなもんだよね。私も大好きだった29歳のクリスマスの全部の顛末なんて覚えていないしね。好きなところだけ覚えてるもんだ。でも塩鯖は、JINも相当怪しかった。最後まで見たと思っていたけれど、実は最後まで見ていなかったようだし。おそらく漫画を読んでドラマを見て、様々が補てんされてフィニッシュしたんだろうと思う。だから録画を見始めてはじめて、最終回がないことに気づいたんだけどね。

 ルーキーズはやんちゃな(といっても、5回まで見てると出演陣が高校生とは思えず(ひげ生えてるし、変にいかついし)、おっさんの草野球にしか見えないのだが)子たちが野球で心を一つにするわけだが、これまでの回で仲間割れというか、衝突が何度かあった。その中で「あいつらは言葉にできないのだから、喧嘩させていいんだ」っていうシーンがあった。

 ルーキーズのやんちゃっ子たちはみな言葉にするのが照れ臭かったり、言葉にするのが下手だったりする。これはヤンキーだからじゃなくて、ヤンキーじゃなくてもほとんどの人が同じだと思う。若ければ若いほど、恥ずかしがり屋さんなのだ。

 けれど、私もこんな年齢になったわけで、恥じらいよりも生きがいだなって思ったのだけど、肝心の「本心」が分からないという事態。あまりに閉じ込めすぎていて紛失した模様。なので今年はずっと自分の本心探しをしていたようなものだなと思う。今は本心が見つかったけれど、これを言葉にするって難しいなと思ってるところ。けれど今月中には言葉にするつもりでいる。

 本心がどうだとか、建前がどうだとか、社会人としてどうだとか、人としてどうだとか。私たちは頭でっかちになりすぎたのだろうかと思うことがある。けれど、どれも不要なものはない。私がこの世界で、それほど非常識でもなく、自分の言いたいことを伝えて、得たいものを得ているという実績が、それを証明している。非常識で、協調性を持たず、自分が欲しいものばかり押し付けるとか、あるいはその逆で、カーテンも閉めた部屋の片隅から動かず、何が欲しいのかも言えなかったら、何も手に入らない。

 押しが強い人を見て「いやだなあ」と思う人はいるだろう。朝ドラの世良さんみたいな感じな人ね。でもそれは、自分の中の欲望のひとつにすぎない。ああしたい自分がいるということ。

 私の最近の似たような事例は、やっぱり脱走させたおうちの人かな。「犬ごときで」っていう姿勢が見えたから、相当ムカッとした。こっちは時間もガソリンも使って走り回ってるのに、とかじゃない。それぐらい私も無関心でいたい自分がいるということなんだ。でもここで無関心を貫いたら絶対この子のことを忘れないと私は思うから、行動している。だから私がムカッとしたのは、そういう無関心さを振り回せる無神経さになんだ。ということは、私も相当無神経なところがあるんだろうなって、どこかで自分のことをそう思っているということなんだと思う。まぁ、手いっぱいのときは仕方ないけどね。できることしか、できないからね。