生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

長野3日目

 今朝は2連荘だぜ。昨日書けなかったからね。

 3日目は戸隠神社の参拝ツアー。メンバーのお一人が、ご主人も巻き込んでツアーを作ってくれたもの。だからどこにもないツアー。5つの神社を回る。

 戸隠奥社(九頭神社・奥社)→公明院→戸隠神社 中社→(昼食:信州戸隠しそば仁王門屋)→戸隠神社 日之卸社→戸隠神社 宝光社

 宿泊は研修施設の水輪(すいりん)だったので、スタート地点までは車で1時間弱。すべてバスをチャーターしてもらっていたので、乗ってるだけで到着する。なんて楽ちんなの。けれど楽ちんは移動だけで、奥社までは軽いトレッキングなので、ハッキリ言って相当きつい。

 これは水輪のダイニング。絵にかいたような、そっち系の清々しさ。ホームページで見るより本物のほうがずっといい。けれど、いかんせん健康志向すぎるきらいはある。全面禁煙でござる。

 入館して間もなくお話が始まった。この施設の偉い人。娘さんが生まれたときから前頭葉に障害を負っていたことから、実家のある長野で療養しつつ育児をしようと始めたのが拡大したものなのです、ということだ。なるほど。きっと具体的に施設を拡大しようとしたわけではなくて、講演会とかいろいろやってるうちに、気づいたらこんな立派なものができちゃってたっていうことだろうと思う。

 食事は基本的にベジタリアンメニューで、時折魚が出る程度と言っていた。私は強制されることは大嫌いだが、ご用意していただく食事がそれならばなんの疑問も不満もなく美味しく召し上がるので、食事に関してはまるで不満なし。一泊二日ぐらいなんてことない。むしろ、敷地内禁煙の「敷地」ってどこからどこまでかの方が気になったぐらいだが、それを聞く=健康のありがたみを聞いた後でも私は喫煙いたします宣言ですよね、と思って聞けなかった。

 スピ方面に行くとどうしてもそっち系になりやすい。分かってる、いろいろ分かってて織り込み済みで参加したのだから。

 しかしこの禁煙が後に笑いを生むことになる。

 これは奥社の入り口。ぞろぞろと、妙齢の女性たちがいる。私はこの御一行の一人です。

 水輪に着いたのが11時ごろ、水輪を出て戸隠神社に付いたのが翌日の9時ごろ。約22時間の禁煙をしていたことになる。もともとポーカーフェイス気味なのであまり感情が顔に出ないのだけど、後半戦は輪をかけてその傾向が強かったらしい。トイレのそばの喫煙所で一服していたら、まぁニコチンが沁みる沁みる。沁みすぎて目の前が真っ暗になるほどで、こりゃあ軽いトリップだねなんて思ってたら、そんな様子を見て、元スモーカーの旅のメンバーたちが「あのcimacoxさんに、感情が現れてる!!」と驚き、笑いまくっていた。たぶん青ざめた顔でニヤニヤしていたと思う。もちろん、全員がこの気持ちわかるはずもなく、元スモーカーさんたちだけがまるで身内のように「偉かったね、もう一服していいよ」と言ってくれるだけなのだが、恐ろしくホッとした。

 でも、そのあとで「ニコチンの支配から逃れられたら、すごく自由になるんだよ」と教えてくれた。それも分かる気がするのだが、たぶん私にとってタバコって、クソ真面目で面白みのない私の、唯一の「悪ぶってる姿(お行儀よくしないもーん)」なのだ。まだちょっと必要だと思う。思春期の間違った刷り込み、40歳を過ぎても健在だ。

 そんなこんなで、大雨の後の地べたに尻もちをついてびしょぬれになりながら(毛細血管の収縮によりクラっとしてこけたのだ)、奥社を目指した。

 大きな杉の木が私たちを迎えてくれる。四国の海側で暮らしているからかな、大きな木ってあんまり見ないんだ。だからもう嬉しくて嬉しくて、気持ちよくって楽しい。まったく気のせいだとは思うが、木々が、緑が「そちらのモンステラさんたちと繋がってるんだよ、だから可愛がってあげてね。たくさんお水をあげて日を浴びせてね」って言ってる気がした。でも、きっと間違いなくそうだろう。私は植物たちって全部繋がっていると思っている。うちのモンが元気になれば、エアプランツもコウモリランも、バラも桜もハオルチアも、みんな元気になる。


 偉くりりしい狛犬。ものすごくわしわししてやった。全部の狛犬にわしわししてやった。固いが可愛いのう。もう犬にしか見えてない(笑)

 奥社と戸隠山。山伏がほら貝を吹いていて、雲がかかっていた戸隠山が見えて、とても荘厳だった。


 コケ、岩、水、いろいろ。これだけで数時間遊べそう。綺麗だね。ここいらの水は全部冷たい。そのことに驚いた。だって四国でも四万十は温いしさ。西条(石鎚)や剣くらいに行かねば、湧水が冷たいってことはなさそうだよ。だからやっぱ、山がでかいんだなあ、本州はすげえなーって思った。

 昼食のそば。うどん文化に浸りまくっているエセうどん県民だから、そばの味が分かるだろうかと恐る恐るだったが、うん、うまいぜよ。上手いけれど、そばの香りってあんまり分かってないかも。分かってないなりにうまいぜよ。

 長野の方々はつゆに七味を入れるのではなくて、そばに七味をかけるのらしい。やってみたらすごく絡むし辛さが美味い。あまりの美味さに七味を買って帰った。

shop.yawataya.co.jp

 ここは最後の戸隠神社 宝光社。この参道は素晴らしい。妙に頑張るこんぴら県。膝が笑ったけれど、一気に登れるのがいいね。こんぴらさんは一気に登れないものね。

 四国は八十八か所がある。だから寺が多いと思う。なので神社ばかりごろごろ回るのって新鮮だった。けれど私、八十八か所もめぐったことがない。一度は回らねばならないかなと思った。あと、こんぴらももう一度登らないといけない気がしている。

 帰りは新神戸までご一緒してくれる人がいたので、行きよりは退屈せず。帰りのマリンライナーは二階建てだった! 始めてだよ! しかも予約席がいっぱいだったのでグリーンしかなく(自由席ガラガラだったのは後で知った)、二階に乗ったよ!!

 非常に分かりにくいし、パッとしないけれど、坂出の工業地域の夜景。私はこれを見ると「ああ、帰ってきた」と思う。愛媛出身なのにねえ、四国に入ったら落ち着くんだよねえ。嬉しくなって目が覚めるぐらいホッとした。


 お土産のおやき。ベタに野沢菜、葱みそ、ナスの3種類。葱みそ、葱すぎる。

野沢菜、浅漬け本漬けセット

野沢菜、浅漬け本漬けセット

  • のざわおんせん野沢菜漬生産組合
Amazon

 野沢菜は浅漬けで。買い物の時間があまりなかったのである。でもすごく美味しい。白飯が食いたい。

 塩鯖ご希望のリンゴバター。いくつか見たけど、バター入ってないのもあった。バターナシはリンゴジャムじゃね? リンゴバターの「バター」の定義が分からない。だからバターが入ったのを買った。今日パンを焼くぜ。

www.niohmonya.com

 そばは昼食の蕎麦屋で買った。細くてコシが強くて美味しかったよ。前述の七味をかけて食べるよ。

 あとはきっとベタなのだろう、雷鳥の里。3年目に入った継続習慣化アプリ「みんちゃれ」のメンバーさんがお勧めしてたので買ってきた。これはポスティング部(ボランティアのほう)でも配ろうかと思う。

 正直に言おう。七味、アホかってほど買って来ればよかったと思っている。本当に美味しいんだ。七味と野沢菜、取り寄せしたいくらいだ。

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 そんなこんなで長野を満喫して帰った。本州でも避暑地としての地位を確立している長野の夏だ。涼しいし、緑が綺麗だし、山が大きい。落ち着いた安心感があるところだが、やはり私は瀬戸内の海が見たい。これがないと寂しくて「帰りたいよー」って思う。

 人には「帰る場所」が必要だと思う。その中でも、私は特に「帰る場所」が絶対だ。帰る場所があるから、旅先で楽しめるのだと痛感した。今年の夏は特に暑いし、山も小さいし、川の水は温いし(そもそもあまり流れていない)、樹木もそれほど大きくないかもしれない。けれど、四国が一番好きだ。そりゃあ、生まれ育ったところだから当たり前なのだけど、今日からまたうどん県でおむすび山を眺める。

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 このポスター大好き。結局、地元愛で終わってしまった。いや、長野も良かったよ! 塩鯖と一緒に戸隠神社に行きたいな。

交通メモと長野2日目

 おはようございます。昨日は22時に帰ってきて、塩鯖を愛でてお土産を広げて塩鯖を愛でて愛でて愛でて、風呂入って寝た。疲れていた。

 ここで、今後のメモのためにおさらいしておく。うどん県から長野までの道のり。

 マリンライナーで岡山に渡り、岡山から新幹線に乗り継いで名古屋まで。岡山駅は乗り継ぎが比較的容易だが、新幹線のホームが2階なので混む時期は人混みを貫く勢いでエスカレーターに乗ったほうがいい。トイレは新幹線側より在来線側の方が空いているが、一番好いているのは新幹線の中。

 名古屋からは特急しなの。3時間の旅だが車内販売はなし。だから食べ物飲み物は調達しておいた方がいい。名古屋駅は乗り換えがすごく楽なので時間が短くても何とかなるだろう。私は3分ほどで移動できた。しなのにはトイレあり。

 長野駅倉敷駅みたいな感じ。地方都市の新しい駅、くらいのサイズ感なのでいろいろ便利そうだった。駅といえば松山駅、あの小ささ、古さは残しておいた方がいいんじゃないかってぐらいだろうなって思う。狭い小さいから分かりやすいけれど、趣がありすぎてきさらぎ駅と間違えそうだよ。

dic.pixiv.net

 交通メモはこのくらいにして、長野2日目のこと。2日目はこの合宿(リトリート)のメインイベント。占星術の云々のために行ったので、占星術のことをやる。といっても、占星術の知識ではない。知識は本でも学べるが、本では学べないものがあるから行ったのだ。

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さくっとホロスコープ作成

 これは私のホロスコープホロスコープは生年月日、生まれた時間、生まれた場所が分かれば簡単に出せる(昔は計算して手書きだったそうだ)。この不思議な円は、その人の人となりから人生が描かれていると言われている。また、今の星空の配置も出すことができ、それは今日一日だとか、これからのことが予想できるとされている。

 と聞くと、この記号なり線なりが明確な何かを示しているように感じるが、そうではない。これらはすべて象徴であるから、様々な解釈ができる。ネガティブにもポジティブにも、また都合がいいようにも解釈できる。この曖昧さが「科学」とは違うところで、だから信憑性というのはとても薄いのかもしれない、とも思う。けれど私は、文学のように、この象徴が示すものを自分で選んで自分で解釈して理解することで、その時々に必要な啓示みたいなものををもらえるような気がしている。ほら、ふとした瞬間に開いた小説の一節が、やけに心に響くように。

 で、2日目はこのホロスコープを人で再現するというワークだった。円を書き、12に分割し、天体のマーク(☉とか♂とか♄)に人が立ち、紙テープで線を表現する。すると、天体のマークが各々「ここは嫌だ、立っていたくない」とか「めちゃくちゃ楽しい!」とか「正面が見張ってる気がする」など、不思議と気分が変わってくるのだ。天体の意味や、サイン(星座)の意味など分からなくても。

 と聞いても、それ本当か? 気分の問題じゃないか? 場の空気に飲まれてるんじゃないか? と思うだろう。私はそう思っていた(どこまでも猜疑心が強い人)。けれどやったら違った。クールビューティーな私が、テンションアゲアゲだったり、悪霊に乗り移られたかってぐらい重くなったり、ほっこり気分になったりした。

 このワークには13人参加したので、13人分のホロスコープの再現をした。だからほぼほぼ出ずっぱりだったけれど、いろんな気持ちを体感できてとても面白かった。でも一番は、自分のホロスコープを再現してもらった時だろう。自分のホロスコープを再現したとき、当人はまんなかに立って体感するのだ。

 私のホロスコープを再現したとき、金星(♀)以外の天体が恐ろしく「無表情」だった。おいおい、そりゃないぜ、オレだって楽しいことは楽しいんだぞ……あ、金星が「楽しい」の象徴だ、金星だけが楽しい、なるほどなあ、って思った。私は自分ご褒美だけは死守している。いつからかな、ずっとかな。小学生時代の月刊誌「りぼん」、中学時代の月一の小説2冊、貧乏学生時代の給料日のココ壱番屋みたいな感じ(それ以外の日はバイト先の社食か60円のパン)。

 しかし、金星以外が見事に「しんどい、つまんない」って言ってて、ありゃりゃって思った。けれど、翌日になるのだけども、塩鯖のことを思うとダダーっと何もかもが動くようだ。確かに、私は塩鯖といるときが一番楽しいし、何もかもが活性化するし、ちょっと羽目を外しちゃおうかなとか、いたずらしちゃおうかなって思う。それ以外ではほとんどそう思わない。しっかりしなきゃとか、ちゃんとやらなきゃとか、真面目にしなきゃって思ってる。だから楽しそうじゃないのも分かるのだ。

 私のホロスコープの再現で天体役をやってくれた人たちには申し訳ない気もするが、家族以外の関係者から言われることが分かったような気持になった。一生懸命にも、楽しそうにも見えていないのは、「ちゃんとしよう」という気持ちの方が強いからだろうな。でもその「ちゃんとしよう」の手綱を引いているのは、土星(♄)であって、ただただ義務感で律しているんだろうって。

 なんでも平等に! とは思わないが、具体的に楽しい人としんどい人がいるのはいかんと思う。五体満足なくせに自由に四肢を動かせない私だが、せめて感情や感受性くらいは十分に使ってやりたいと思った。一人だけが頑張ってるなんて、可愛そうじゃない。土星、月、ごめんよ、ずっとしんどい思いをさせていたね。

 この天体はどんな意味があって、何を象徴しているのか、ということを、私は知識として知っている。自分で言うのもなんだが、知識としてきちんと知っているこについては自負がある。ただ、そうした感情や感覚は、私以外の人みんなが知っている。自分の喜怒哀楽から考え方や感じ方や、好きや嫌い。簡単に一直線でつながるものでもないから(例えば、悲しい思いをしたから、同じように見えた人に対して優しくできる「優しい」もあれば、嬉しくてしょうがないから人に優しくしたくなる「優しい」もあるわけで、感情だっていろんな起点がある)決めつけないほうがいい。ルールとか知識に縛られずに、自分がどう感じているのかを、感じていくことが、不感症人間から脱出する1つの方法だろう。

 そんなことを感じたワークショップだった。2日目の午後から初めて、夜遅くまで、そして次の日の朝6時から7時半までとびっちりこれをやってワークは終わった。本当に長かった。

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 これだけ星がどうのこうのと書いているが、占星術なんて眼中にない人が星の通りに、むしろ占星術を知ってる人以上に、その星の通りに生きていたりする。きっと、そういう人から見れば「占星術なんかにこだわるから自由にならんのだ」と思われるだろう。だけど、占星術に近づく人の何人かは、いや結構多くは、自分が嬉しいのか、自分が悲しいのか、自分の心はどう感じているのか、分からないから知りたいのだ。この心もとなさが辛いから占星術に頼ったりすがったりするんじゃなくて、自分のことが知りたいから、あるいは自信を持ちたいから、占星術に手を伸ばすのだと思う。

 というか、「これにお願いしたら勝手に何でも良くなります」的な、呪術的なものを期待する人だって少なくない。そういう人だってそりゃいるだろう、そういう文句で売ってるものもあるんだから。でも私は、逃げない占星術をやっていきたいなと思った。

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 ちなみに、塩鯖は星の通りに生きてるなと感じる。妹も、父も母も、だからきっと私も。でも人は自分のことしか分からないから、自分不器用だなって思うだろう。それぞれが、ぞれそれに不器用だなって思っていると感じたら、誰しもに優しくしたい、そう思う。

長野の朝は寒いようです

 おはようございます。今朝は満月+月食+火星の大接近がみられるということで、朝4時に起きました。が、おそらく日本で見られたところの方が少ないのではないだろうか。気象衛星の映像を見ると、ばっちり雲がかかっている。こちら長野は雲こそ薄いものの、もう日が昇ってしまった=月は沈んでしまった。

 これから朝風呂とか朝ごはんとかなのだけど、風呂まではあと1時間、朝ごはんまではあと3時間もある。なのでいつものごとくブログを書いておけという魂胆だ。

 さて。

 今日集まっているメンバーは、遠くはベトナム・北海道から鹿児島まで実に様々な方々とご一緒している。朝の気温は22度。西日本組は感動的な涼しさだけども、長野在住の方は「こんな感じ」と言っている。同じ日本でずるい。この涼しさプライスレス。っていうか、夏の涼しさプライスレス!!!

 って、北海道だともっと涼しいらしいんだけども。夏に暑い地域のメリットって何だろうな。というか、昨今の夏の殺人的暑さは、地球が人間をふるいにかけてるのだろうから、メリットもクソもないだろう。地獄の熱帯夜から学ぶことは「節電なんてナンセンス」くらいのものだ。

 さすがにこれだけ朝が涼しいと、朝風呂が気持ちよかろうと思う。こちらの温泉は硫黄の香りが強くって、それもまた新鮮。四国に硫黄の香りのする風呂があったっけかしら?

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 ここにいる人たちは100%占星術のとりこになっている方々なのだけど、占星術でわかることってなんだろうなって改めて思う。ここのところスピリチュアル方面は自己啓発の趣が強いけれど、実際のところ自己啓発ほどポジティブでもないんじゃないかと思っている。もっとこう、あるがままなのだ。いいも悪いもない、ジャストなうなオレが占星術

 占星術と言わず星占いといえば、まぁぶっちゃけ「そんなもんどうしようもないだろう」みたいな相談事を持ちかけられることがある。占星術だのタロットだのを使ったところで、他人だけはどうしようもない。呪いとか念みたいなもので、他人を変えたり動かしたりできる人なら違うかもしれないけど、そんなものがあるとは思っていない。

 世の中の悩みのある程度のボリュームは「嫌われたくない病」からきているんじゃないかと思う。私はどうかというと、友人レベルなら一度、二度までは言うだろう。けれど三度目はない。親友・家族ぐらいになると何度でもいうが、三度目には諦めが入る。諦められないから悩むんだと思う。そう考えると、やっぱり私は「悩みを解決する人」にはなれないような気がする。同情はなんぼでもできるし、共感することもできるけれど、でも解決策が「本人に言え」だからね。

 まぁ、こうして外堀を埋めて自分の素行を肯定しても、今の私これを専門にやってるからなんとかして外に出して商品化しないといけないんだけどさあ、わかってるんだけどさあ!!

 思い切ってちゃぶ台をひっくり返すけれど、嫌われたくないから言えないのならば、待つしかないぜ。いっそ悩まない人になる方が速いし楽だぜ。

 ああ、すっかり夜明けが来てしまった。月食は見られなかった。朝風呂まで30分。月食写真でも探しつつ待ちます。

 雨の地域もあるかと思うけれど、みなさん涼しい良い一日を。