生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

あ、忘れてたー

 こんにちは、ついうっかり日記を書くのを忘れていました。体力的にはかなりマシになってきてるかなー? 今日は台風接近中ということもあり、午前中にやるべきことを済ませて家に引きこもり中。ぼちぼちスマホが警報を知らせまくるようになってきている。今宵は鳴りっぱなしの可能性も高い。

 昨日は塩鯖も休みだったので、二人でのんびり過ごしてました。私の食欲も戻ってきたのでくら寿司行ったりね。糖質制限メニューがあるのがありがたい。ドレッシングの美味さが半端ない。そんなこんなでちょっとばかりは元気になってきたわけだけど、咳と鼻水が止まらない。もしかして花粉症的な何か? そんなわけない(アレルギーに関しては一年前に検査済み)。

 とりあえず、元気ではあるが、元気ではない状態が続いている。2,3日に一度、どうしてこんなに鼻水が出るのかというぐらい排出される時がある。花粉症の人はずっとこれなのか。本当に辛いだろうなあ。

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 さて、ChromeCastの新しいやつを買った。というのも、前のCastは根元が折れてしまって壊れちゃっていたのだ。だから買い替え。久しぶりにChromeCastを使って動画配信を見ようとしたのだが、けっこう忘れちまっている。以前はネットフリックスをバンバン使っていたが、ネットフリックスのドラマも見尽くそうかというころに塩鯖がAmazonプライムにうっかり加入してしまったので、Amazonプライムビデオがメインになっている。ネットフリックスはChromeCastと仲が良かったが、Amazonプライムビデオはあんまり仲良しではない。なのでキャストに飛ばすのもどうやってたっけ、からスタートだ。

 分かればなんてことはない、GoogleHomeから画面や音声をキャストを選べばいいだけなのだが、再生しているスマホなりタブレットは再生専用になるので使えなくなる。うちはGoogleスマホがあるのでそっちをリモコン代わりにしてしまえばいいのだけど、これができないお家はめんどうかも。

 キャストのセットアップが終わったらYouTubeなどの連携できるサービスはキャストマークが表示されるので飛ばすのは楽。やっぱりこれは楽。改めてそう思った。

 ちなみに、キャストがうまく使えなくなっていた間、Amazonプライムビデオはプレイステーションから見ていた。慣れるまでは面倒だったが、慣れたらそれほど不便もなかった。人は慣れる生き物だ、ということを毎度教えてくれるね、機械が。

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 甥っ子の読書感想文の添削をしている。私は読書感想文や作文の評価が高かった。それはひとえに、声にするより文字にする方が自分の思っていることや感じたことを伝えやすかったからだ。一方で、三女である妹ちゃんは下手くそである。基本的に人にものを説明すること自体が昔からできない。なので姉に白羽の矢が当たったというわけだ。

 甥っ子長男も文章は上手だ。しかしあまりにも口語口調。薄目で読むと、理屈っぽい眼鏡君が「それでは説明しよう!」といちいち言ってる感じだ。それはそれで味があるので面白いのだけれど、純粋に点数がつくもの、評価対象としたときに、その面白さは突き抜けていない。ゆえに、じゃあちょっと書きなおそうかね、となる(突き抜けてたらOKしちゃおうと思っていた。夢野久作のように、詩なのか小説なのか分からないけどとにかく素晴らしいってものも世の中にはあるわけだから)。

 彼が書いているものがダメなのではない、ということが、伝わっていればいいと思う。

 甥っ子長男の3枚目の読書感想文に、「ここは調べること! 『ぐらい』というあいまいさはいらない!」と書いてあった。上司からの指示? いや、父親からのダメ出しだ。思わず笑ってしまったけれど、非常に的確で、あの父親らしいなと思った。

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 聖☆おにいさんを愛読してしばらくだけど、ようやく塩鯖は自分がイエッサと似た思考回路であることに気が付いたらしい。私はもちろんシッダールタ。

へとへとである

 こんにちは、なんだか風邪がちっとも治らない感じ。ずっと鼻声。なので今日は養生している。

「それ、本当に夏風邪?」と何人の人に言われただろうか。私も疑っているが、症状やその他もろもろを含めても夏風邪以外が思いつかない。あえていえば、疲労か何かが蓄積されていて治りが悪いということだろうか。

 というわけで、昨日なにをしたのかあんまり覚えていない。もらってきた小玉スイカもいつどうやって切ったのかあまり覚えていないほどに。もう小玉スイカはなくなりました。あとは種なしの大玉と、ラグビーボール型の大玉だ。スイカは好物なのだが皮との格闘になることを考えると、ごみの日の前にいろいろするのが得策なのだ。

 さて。

 許さない人って大変だなって、先日書いた。母はいろいろ許せないものが多いので、大変だなと思っていたけれど、冬から夏に季節がうつろったことで、母の許さないも緩和されているような気がした。きっと許さないでいるのは難しいのだ。楽じゃないのだ。そういうことを体で感じて何となく流れるように「あれ、許しちゃってるかも」って言える人は楽だろうなと思う。楽だけど、それが普通の、ごくごく自然な流れなのだと思う。しかし、自分の中のそんな流れに対して、感情で「あんたあの日々を忘れちゃいないだろう!?」と恨み節で感情を鼓舞して許さまいとしたり、何となく素直になれなくてぐだぐだ駄々をこねたりする人は、かなり多いのだろうと思う。

 なぜそんなことになるのか。私なりに考えてみた。きっと、今まで生きてきたということに、あるいはそのやり方や、考え方に、ある種の自負があるからではないだろうか。うーん、でもそれだけでは決め手に欠ける。そういうやり方や考え方で、今までを生き抜いてきたからではないだろうか。うん、これが近いかな。

 かくいう私もそういう「~でなければならない」が多くって、本当に窮屈に生きてきたなと思う。今もまだあるだろうが、この長引く夏風邪でもうどうでもいいことも増えてきた。例えば2年余り毎日書いてた「今日の星占い」これもきっと明日は書けない。無理だ。少し前の私なら、熱があろうが気分が落ちていようが、やると決めたんだからやるんだとやっただろう。

 根底には「楽しみにしている人がいる」という思いと、「継続することで人が来てくれるかもしれない」という思いがある。事実そういう人はいるけれど、果たして私はその人たちのために自分を犠牲にまでしてやりたいのかな、これを、と考えたら答えがNOだった、ということだ。

 私は今まで、継続することで信用を得てきたと思っていた。けれどどうだろう、それは本当のことだろうか。

 塩鯖なんて出会って4,5年ぐらいだ。でも私は誰よりも彼を信頼し、当てにしている。時間じゃない、ということは分かっていたのだ。

二人で帰省

 おはようございます、昨日、一昨日と実家に帰省していた。塩鯖も一緒に帰るのは冬のお手伝いぶり。去年から今年の冬にかけての繁忙期に、父が足の骨を折ったので、塩鯖と私は約2ヵ月家業の手伝いに行ったのが最後だ。私は時々一人でぷらりと帰るが、両親ともに塩鯖は来ないのか、元気かと、塩鯖の心配ばかりしていたから、この帰省はみんなが楽しみだったのだ。

 帰省早々、私は母と頼まれていたハガキづくり、塩鯖は父と水害に遭った畑にお仕事。休んでるのかお前らと言われたら微妙だが、何もせずにごろごろするよりずっと気が楽な時間の使い方。夜はアジの刺身にたたきに南蛮漬けにと豪勢に食った。私は生魚がダメなのと、まだ風邪からきちんと復活してないのでお腹の具合があまり良くなく、食欲もなく、、、いつになったらこの風邪は治るんだろうか。

 翌日も塩鯖は父と畑に、私は母と掃除とハガキの仕上げ。掃除ついでに玄関を埋め尽くしている北海道木彫りの思い出などを聞いた。ハワイ旅行がテレビ的な豪華景品だったころ、庶民の夢は北海道旅行だったのだろうかと思った。それぐらい、四国から北海道っていうのは「別のところに行く」感じだったんだろうなと思う。まぁ、私自身も何度も遊びに行ける場所ではないんだけどね、今はまだ。いっそ台湾の方が近いんだから、変だよねえ。

 そんなこんなで帰省が終わり、私は疲れ果てて寝てしまって昨日が終わった。やはりまだ本調子じゃないのだろうか、私の身体。

 スイカをたくさん(3つ)もらったので、これからしばらくスイカを楽しもう。夏野菜もたくさんもらったので、しばらくは野菜中心の食生活にしよう。健康的というか、あるものをあるようにしたら、結果健康的になるというのが、きっと一番いいのだろうね。

 突然、猛暑が終わったような気がしているがまだまだ油断はできないのだろう。今年は7月からとにかくおかしな天候だった。37度にうんざりしながらも慣れてゆく体に脅威を感じたものだ。息を吸い込むのも苦しい午後、ポスティングに行ってたんだから狂気の沙汰だ。でも、やればできるし元気なら平気なんだなあ、人間ってすごいな。まぁ、疲れ果てているけども、8月の後半に。歳かね。

 朝ドラ、本当にこれほどまで共感できない主人公も珍しい。