生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ほぼ愚痴的ななにか

 おはようございます。珍しく書類仕事に追われていて、放心状態なので休憩です。紙仕事って全然上手じゃないんだよなあ。昔からトロすぎて「あんた事務員向いてないわ」って、何度となく言われたことがあるこのワタクシめが、絶賛紙仕事中です。世の中って本当によく分からない。

 ちゃんとやってますよー。ちゃんとできてますよー。

 さて、続きは犬のことと私のことだ。

 まず犬のこと。四国には四国犬という日本古来の犬種がいる。年末に一匹、そしてつい先日二匹保護された。普通に考えて、気軽に飼おうといえない犬種である。それが三匹も山中をうろついているのだから、普通じゃない。連続五匹ぐらい柴っぽいのが保護されたこともある。この時も普通じゃないとみな思ったが、だからといってできることはないのが現状。

 なぜ、年老いた犬を捨てるのだろうか。ついつい考えてしまいがちである。分かっている、その問いの答えはおおよそ「邪魔になったから」だ。その答えにたどり着いたとして、私の腹が立つだけだ。これが犬猫なら、愛護団体が騒ぐので耳にすることもあるだろうし、簡単に想像できることだ。けれど観葉植物だったらどうだろう? ちょっと汚くなったから、意図しないサイズになったから、枯れてるように見えるから、様々な理由でゴミとして捨てる人も少なくない。植物はしゃべらないから考慮されることも少ないが、私はどんな植物であろうと、完全に枯れてしまって朽ちてなくなるまで捨てられない。もしかすると、春になれば、そう思ってしまう。

 けれど植物も動物も、法的には所有物、モノである。だから所有者の勝手だ。そりゃ遺棄したり虐待するのは法に触れるけれど、観葉植物の少なくない量が廃棄されてゆくのを思うとやるせない。

 ものとはいえ、命のあるもの。それぞれに大事にしてほしいと思う。しゃべらなくても、命は命だ。人にやさしくされたいならば、すべての命にやさしくしてあげることだ。それが一番、優しくされることなんじゃないだろうか。

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 おしゃれ雑貨屋さんでドライフラワーになっているキセロを見かけることもあるが、キセロはちゃんと水をやれば立派に大きくなる。最後の写真は、見切り品で買ってきたエアプランツで、半年ほどかけて緑が濃くなっていった。植物だって生き物だよー。

 で、次に私のこと。

 私ってすごくおせっかいで、余計なお世話が大好きだなあと改めて思った。でも、これには条件がある。私が手を出したくなるのは、昔の自分のような人に対してだ。それ以外の人にはそうしようと思わない。性格が違い過ぎても同じく、なにかしてあげようなんて思わない(ひこさんは違い過ぎて面白いので、何度も逆鱗スイッチを押している。かといって、相手が嫌いでそうしているのではなくて、また逆鱗スイッチかどうかも分からず押しちゃってるので、ひこさんは全然気にしない。そういうところが好きだ)。

 過去の自分のように思える人であっても、私でないのだから別人だ。だから私ができることなんてないだろうと頭では分かっている。けれどどうしても、手を差し伸べたくなるのだ。性格というしかない。以前はそこから依存関係になることもなくはなかったが、そもそもが依存されるほどできた人間でもなければ、誰かを支配することにさして興味がないタイプである。じりじりと、あるいはスパッと疎遠になることが多かった。

 ぐじぐじという相手に対しては、別に相手が悪いって責めてるわけじゃない。ついつい手を出してしまう自分に、大いに非があるんだよ、ってことだ。なんでぐじぐじ思うのかというと、結局私の言葉が届いていないからだ。正確には聞こえているけど響いていない、ということ。それは信頼関係の有無とかもあんまり関係なくて、その人が聞きたくないことなら聞こえないものなのだ。私が嫌いで、私をバカにしているから、アドバイスが届かないわけではないのだ。でも私はうっかりそう思ってしまう傾向もあるから辛くなる。けれど、これは自分で越えていくしかないものだから、いい意味での諦めをしっかり持っていこうと思う。

 あと、あれも嫌いだ、知ったかぶり。いや、実際に知っていることなのだと思う。だいたい今の世の中ちょっとググればなんでも分かる。理屈だけはあふれかえっている。だから理屈は知ってる=それは知ってる、何だろうけど、じゃあそれやればいいじゃん、っていう話だ。それに対して「やろうと思ってる」状態が続いてくると、やる気がないんだなと思う。やる気がないんなら、泣いてるだの悲しいだの言ってる姿を見たくないなと思う。

 溝に落ちたまま「冷たい」と言ってるのと同じ、溝から出ればいいよと言っても、知ってる、分かってる、でも「冷たい、辛い」って言ってるような感じ。なぜ溝から出ないのか、それは溝に落ちた状態の自分にメリットがあるからだ。同情を買えるとか、かわいそうでいられるとか、声をかけてもらえるとか。これはあくまで極端な例(でもないか?)だけど、シンプルにしていくとこうなっているケースは少なくない。

 ん? きっと、こういうときは「そうだね、溝に落ちたら冷たいし辛いし悲しいね」って言うのも正解なんだろうなと思った。そしたら納得して出てくるかもしれない。女性は共感が必要っていう一般論(単純にはうなずけないが)ってこういうことだよね。分かるけれども、いちいち、何度も、繰り返し、それはできるのかな私、と思う。

 私はクソポジティブな人間ではないし、生活そのものは派手ではないので、SNSでポジティブアピールはしない。私以外の人が見たらつまらん日常を、例えばモンに新芽出たなとか、キセロが機嫌よさそうだとか、大事に大事に生きている、それが私の充実であって、いいねの数やコメントの数が充実ではない(はてなブログも別にスター欲しさでやってるわけじゃないし、誰かに見やすいように書こうなんてさらさら思ってない。でもいつも読みに来てくれる皆さん本当にありがとうございます)。

 だから今以上に、仕事としてのSNS以外は減らしていこう。見たくないものを見に行って、見たの見たの腹が立ったの! というのはあまりにも子供じみている。私がね。

ポルポル~!!!

 ついにポルポルの納車日である。たかがカブ一台でそんなに楽しい気持ちになれるのかと疑問を持たれるかもしれないが、大いに楽しいですとも!! だってカブだよ。世界のみんなが乗っているカブ。奴らが乗れて、オレが乗れないわけがない!!

 ということで、朝も早くからバイク屋さんに取りに行き、塩鯖が乗って帰り、カスタマイズしました。

 ウィンドスクリーンを付けて、シートをタンデムに変えて、サイドなんとかを付けて、スマホホルダーを付けて、USBポートもつけた。ひとまずはこれで完成。あと追加するとしたらフロントキャリー代わりにバッグを付けるかもね。

 どうですか、我が家のクロスカブ、ポルポル。かっこいいでしょう!!

 とはいえ、基本的にはカブである。背筋ぴーんの姿勢で乗る。ペダルがない自転車と言っても過言ではない。なので私でも乗れちゃうのよ、本当に。でもこのクロスカブは110cc。トルクがあるので二人乗りでも楽々走ってくれる。今時、しかもこの季節に、二人乗りをしているバイクがどこにあろう? ちょっとした注目の的である。

 これからこいつが相棒になるのか。目先のポスティングはうちから30分ぐらいの場所と、うちから1時間以上の場所。遠い方はきっと雪が積もっているから車で行くことになるけれど、30分ぐらいの場所は温かかったらポルポルで行こうかな。


 ポルポルでまず向かったのは近くにある讃岐製麺所。久しぶりの来店です。相変わらずうまい。出汁も最高、うどんも最高。今日は中(1.5玉)をいただきました。

tabelog.com

大阪二日間の旅

 おはようございます。昨日は譲渡会、その前は大阪二日間の旅でした。大阪は占星術の師匠のアシスタントと、講座の二本立てコースで、まぁまぁ忙しい旅でした。

 大阪初日はワークショップのアシスタントということで、人生で初めての20人規模のワークショップに参加。実に様々なことを学んで得てきました。経験することでしか得られないことってあるからなあ、本当に「私人見知りだし」とか「自分なんかがおこがましいです」なんてくだらない理由で避けてきた意味が分からない(自分がね)。とにかく、楽しい時間だった。

 で、その後、メンバーたちと星田妙見宮に行く。
www.hoshida-myoken.com

 この写真どうやって撮ったんだろうねえ、こんなに派手な感じじゃなかったけどな。ここは空海さんが修行してた時に隕石が落ちてきたそうで、宇宙とのつながりが深いらしい。っていうか地球も宇宙の中にあるからつながりは深いんだけどさ。宇宙が下りてきた場所、ってことかな。

 神社自体はとてもコンパクトで(でも奥が深い感じはある)、一時間もあれば十分に回り切れる感じ。だけども、鳥居や階段の手前に結界があるらしく、確かに不思議なほど空気が冷たかったり暖かく感じられたりした。入り口の一番ふもとにある方がめちゃくちゃ寒くて、上の本宮あたりは全然寒くないんだよね。不思議なところ(ちなみに、翌日は雪だったので寒いのが正解だと思う)。

 ちょっと眉唾の話をする。隕石で思い出したことがある。隕石を持つ人や隕石が巡ってくる人は、いわゆる地球人としての生まれ変わりは終わりの人らしい。仏教的な考えでは、徳を積んでゆくごとに悟り、成仏に近づくわけで、考えようによってはすごろくである。だから空海さんは盛大に隕石に見舞われたわけだから、あのひとあの時点で地球人終わりだったんだなって思う。それはなんだか分からなくもない。だってあまりに超越しているじゃないですか、どんだけ優秀なんだよ空海さんって思うもの。優秀っていうかね、オレが確定してるっていうかね。ブッダだってたいがい冷たいっちゃ冷たい人だけどね。いや、今の私は「まぁそうだよな」って思うけど。こういうのって受け取り方だもんな、と思う。

 その人の苦労はその人が背負うべきものだと私は考えている。誰も肩代わりなんてできない。もし肩代わりしたとしたら、肩代わりされた人には相応の苦労がまた訪れるのだと思う。そして、この苦労というのも考えようで、実際は苦労じゃないことの方が多いんじゃないかと思うようになった。

 先に書いた「私人見知りだし」とか「自分なんかがおこがましいです」という思いがあれば、ワークショップという舞台で台本を読み上げるなんてハードルが高い。でも、これは経験の一つだし、今の自分はこんなに集客できないけれどいずれそうなるだろうから、そのための練習だと思えば、なんてことない。私の人見知りだのおこがましいだのの裏には、失敗して恥をかきたくないという思いがあるのだ。それを「私恥をかきたくないんです!」っていうのはあまりにも子供じみているから、それらしく聞こえる理由を探して口にするわけだ。だから私はこの経験を苦難とか苦労とは考えない。選択権はいつでも私にあって、私が選んでいるのだから。

 多くの人は失敗を怖がる。それはそうだと思う。失敗は誰だってそんなにしたくない。けれど、言い訳も同じだと思う。同じ言い訳を、一体何年繰り返すんだろう、自分は、と思えた時、その言い訳の人生とは決別することができる。本当は言い訳をしている方が楽なのだ。挑戦しなくていいから、頑張らなくていいから、変わらなくていいから、今を維持できるから。けれど、私はぶっちゃけ飽きたのだ、この変化のない天国のような居心地に。だから挑戦した、これからも挑戦していく。

 で、少し前の「その人の苦労は~」のくだりは、伝え方によってはひどく攻撃的に受け取られることもある。ここが今の私の葛藤どころ。声もかけず見守るだけが一番いいのかもしれないが、性格的に面倒見たくなるから苦しいときもある。けれど、うーん、やっぱり自分が友達だと思っている人が、自分の安売りで身を削っているのを見ると、そのやり方は今までもダメだったじゃない、違うやり方やろうよ、って言いたくなる。あ、でも結果的に、あの人私の言葉はあんまり聞かないから、ってことは言う必要もないのかも。うん、聞かれるまで待つことにした方がいいよね。それが今の私にとっては正解だよね。

 ふと、私はたくさんのモンステラに囲まれて暮らしている中で、待つことを学んだなと思う。葉が黄色くなりかけて、元気がなくなってきたモンステラの、葉を落とすことは簡単だ。だけど本当にその葉がダメなのかどうかは、待っていれば分かる。けれど、見た目がどうとか、なんかかわいそうとかで勝手に葉を落とすと、それはそれで、弊害があるような気がする。だからといって、枯れた葉っぱを放っておくのも問題なので、いいころ合いに取り除いてあげなければならない。でも、取り除くだけなんだから簡単だよね。植物に関しては待てるんだけど、人に関しては待てないところがあるよなあ、私。

 この神社では最強と言われる護符がある。せっかくなので購入してきたが、この子は額縁に入れて差し上げないといけないので、まだうちでは神棚にいらしてもらっている。額に入れたらお見せします。

 で、二日目は自分が講座を受ける番で、つつがなく講座を終えて帰宅できたと。

 都会に行って思うこと、都会人の方がはるかに歩くよね……我々、近くのコンビニ(徒歩5分)でも、車出すときは出すもんね。車生活をしていると、時間の制限があまりないので、1分間に合うか間に合わないか、みたいな体験そのものが貴重だった。

 けれど、やっぱり帰ってきたら落ち着くよー。自宅がいいよー、うどん県がいいよー。今回は空海さんゆかりの地に行ったわけなので、近々善通寺にでも行ってこようかと思います。久しぶりに堅パンでも買ってくるかね。妙に癖になるんだよね、これ。

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 そして、昨日は譲渡会。リーダーがゲットしてきたご縁で開催できた譲渡会だったけれど、とにかく人が多くてイベントもたくさんで、もりもりでした。なんだかよくわからんままに走り回っていた気がする。その割に、しっかり食ってた気がする(イベント中は唐揚げやらトン汁やらかまどで炊いたご飯やらがある)、ここ3日ぐらい。糖質制限なんのそのの粉ものフィーバー、そりゃ仕方ないよねえ。

 しばし節制したいなと思っております。塩鯖とともに。明日はポルポルが来るよ。