82年生まれ、キム・ジヨン(その2メモ)
- 作者: チョ・ナムジュ,斎藤真理子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/12/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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昨日の今日で書くのかよ!! こんにちは。書きますとも。これはメモだけど。
この本の読み応えは後書きも含まれる。作者、訳者、解説者と、普通の単行本ではないほどに厚みのある「あとがき」がある。これは、この本が純粋に文学ではないからかもしれないし、かかわった人が何か一言いいたくなるからかもしれない。まぁまぁなんでもいい。とにかく解説も含めて読みごたえがあるということ。
で、解説がとても参考になる。この小説に出てくる、祖母、母、姉、主人公(キム・ジヨン)という女性たちの意識を、時系列を追って知ることは、イコールで韓国における女性の歴史を物語るものであるということが書かれている。
キム・ジヨンの母オ・ミスクが、姉の進路に口出ししたこと、そして姉が進路を変えてしまったことに対して涙を流すシーンがある。これは、キム・ジヨンの母の年代は、自分の将来の夢よりも、家族の中の男のために犠牲になることが当たり前だったこと、当たり前だと思いつつも後悔を残していること、だから韓国の1970年代後半以降に生まれた女子は高い進学率を誇っているし、どの国の女子よりも勉強したことを表している。
また、作中のこの記述もすごく私は心に残っている。
キム・ジヨン氏は、十七年間姑に仕えて暮らした母のことを思い出した。おばあちゃんは、お母さんが美容の仕事で外出している間しばらく弟の面倒をみてくれただけで、三きょうだいにごはんを食べさせ、お風呂に入れ、寝かせるための労働はまったくやらなかった。そのほかの家事もほとんどしなかった。お母さんが作ったごはんを食べ、お母さんが洗った服を着て、お母さんが掃除した部屋で寝ていた。でも、誰もお母さんを良い人だなんて言わなかった……。
うちの祖母はホントこれ。母はすごく「お姫様かお嬢様か!!」と怒るし、気持ちはよく分かる。けれど、私はうちの家庭だけの話だと思っていたので、韓国の小説でそっくりさんに出会うとはと驚きを隠せなかった。
うちだけのことじゃなくて、世代的な何かがあるんだろうなと思った。歴史をもっと勉強したい。
この小説を読んですぐに「韓国の女性たちがなぜあんなに整形したり、過度なダイエットをしたり、やたらと勉強ができたりするのは、こういう歴史背景があったからなのか」と思った。かなり漠然とはしているけれど、女というだけで価値がガツンと下がっていた時代があったことを、そして今も根底にそれが流れていることを知っているからなんだろうと思う。
もちろん、韓国の男性がみんな女性に対してそういう目で見ているというわけではない。そうじゃない人も増えてきているから、この本が売れたのだと思う。キム・ジヨンが自分の娘だったとしたら、という視点を持てる男性もたくさんいるということ。
作中で、会社内の盗撮事件が発覚し、社長がそれを隠蔽しようとする。こんな事件が知れ渡ったら会社がどうなるか、男性社員にも家庭があり両親がいるのに、人の人生を台無しにしないと気が済まないのか、と。そこでキャリアウーマンのキム・ウンシルがこんなことを言う。
「家庭があることも両親がいることも、そんなしわざを許す理由ではなく、そんなことをしてはいけない理由ですよ」
こんな当たり前のことを見て、そうだ、その通りだと思う。男性側の言い分はどこで聞いたのか忘れたが、ありふれたものに思える。この時点ですでにニュートラルではないということに、まず驚いた。本当の意味で男女が平等であることは難しいのだと思う。だけど少なくとも日本の今という時代は、男性が女性をモノのように扱っているとは思えない。私が慣れている、ただそれだけのことだと思う。
私は、国を越えた、男女も越えた、普遍性を追いかけたい。
82年生まれ、キム・ジヨン(その1)
- 作者: チョ・ナムジュ,斎藤真理子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/12/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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話題になっていた時から気になってたので、ついに買って読んでいる。この感想はとりあえずのもの。純粋に文学としては、同じ韓国の小説なら、唯一読んだことがあるハン・ガンの菜食主義者のほうがパワフルだったなと思う。でも海外文学は翻訳でしか読まないからな、私の文学的見解はあんまりあてにならない。
私は韓国について何も知らない。だから韓国がこんなにも男尊女卑であふれていることも、戸籍制度が廃止されたことも知らなかった。急激な経済成長で普通の人がどんな暮らしをすることになったのかも、この小説で少しだけ垣間見た。知らないことばかりで文化に驚いたりもしたけれど、分かるなあと思うところはたくさんあった。アジア圏だからだろうか。
物語は三人称。最初に今のキム・ジヨンの目線での世界が描かれ、そして子供のころのキム・ジヨンの目線になり、成長を経て今に合流する形で描かれている。このヒストリーに自分の人生を重ねてしまう人は多いことだろう。私も国が違うのに、自分の半生を重ねながら読んだ。
私の両親は、一度として「娘たちの一人でも男の子だったらよかったなあ」とは言わなかったし、態度に出したこともなかった。今思えば、かなり誇らしいことのように感じる。というのも、同年代生まれの女性はけっこう「男性優位」を感じて肩身の狭い思いをしたらしいから。
私は男尊女卑のなかで育った記憶はないが、これは地域差や時代も大いに関係あるだろうと思う。田舎の少人数だと男子が女子とを分けるメリットがあまりないし、男女雇用機会均等法が持ち上がったのは私の子供のころ。就職するころには「男女雇用機会均等法」は聞きなれた言葉だった(真に平等であったかどうかはいまだに定かではないし、私は取り立ててここを騒ぐつもりはない。なぜなら、氷河期世代は男女関係なく辛酸を舐めた時代だったから。それでも、男女の差異が必要とされる職業以外で差別された記憶はない。差別する個人はいたけれど)。
後書きやネットではフェミニズム小説みたいなことが書かれているが、私はフェミニズムに対してはノータッチでいたいと思っている。フェミニズムだけではなく、動物愛護も菜食主義も細かな漢字の使い方をごねごね言う人も、できればあまりディープには付き合いたくない。なぜかというと、分けることそのものが差別だと思うし、言葉狩りやマウント合戦は戦争と同じだからだ*1。
あ、ちょっとそれた。まぁフェミニズムで片づけたくないものがこの小説にはある。だけど、それは安直でわかりやすい「女性だから」「女性の生きづらさ」で片づけたくないものだ。
私は歴史にあまり詳しくはないが、どの時代をとっても10年前と今と全然変わってないね、という時期はほぼ存在しない。何らかの形で国家や文化は成熟に向かい、その中で常識もあり方も変わってきている。そして同時に、変わらない風習や慣習も残っていて、上辺の時代と昔から変わらないそれの谷間に落ちた人は、時代に翻弄されたような気持ちになる。これはいつの時代だからあるというものではない。いつの時代にもあるものだ。だからこそ、こうした小説は多くの人の心に響くのだと思う。もちろん、多くの人の心に響く小説はそれほど数が多くはない。
いつの時代も、女性だから生きづらいこともある。でも男性にも生きづらさはある。生きづらさの原因なんて腐るほどある。生きていることが、自分と違う人たちと存在していることが、成熟した(言い方を変えれば「凝り固まった」)文化に暮らすことが、すでに生きづらいことなのかもしれないと思う。でも必ず恩恵もある。女であること、男であること、成熟した文化であることに。
- 作者: よしながふみ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2019/03/22
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日々の悩みを抱えつつも2人で食卓を囲めば、そこにはささやかだけどかけがえのない幸せがある
このドラマ、塩鯖は涙ぐみながら見ている(感情移入しやすいのだ)。男だから、女だから、日本だから、日本じゃないら。いろんな違いがある。でも私は、それぞれの良い面も見ながら、今の生きづらさを解消してゆきたい。男が、女が、LGBTが、そんな違いなんてどうでもいい。みな幸せになりたいがために、今を生きているんだから。
この小説を読んで、なんかすごく自分にとって大切なものを見つけられそうな気がした。そういう意味ではとても良い読書だ。あと何度か読んで、その2を書く予定。
行きたいところリスト2019
関西の神社めぐりがしたいというわけです。しかも微妙にマイナーなところとか。
たまたま昨日これを見て、やっぱり行きたいよなあと思って。クラゲ好きだから一度は行かねば。
有名な水族館なので、この水族館の起死回生物語は多くの人が知っていると思う。昨日の番組もそこだったのだけど、館長さんの言葉が心に響いたので「やっぱり行こう」と心に誓った。その言葉はざっくりうろ覚えだけどこんなの。
経営だとかビジネスだとかに走ったりもしたけれど、本当に戻るべきところは「最初の”好き”に戻る」でした。本当に私が好きなものを、どうやったらみんなに届けられるか、楽しんでもらえるか、興味を持ってもらえるか。それを考えて、し続けました。
あー、そうだよなあって思った。子供のころって集中力もあるし(都合の良いことに)視野も狭いし、一生懸命って言ったら本当に一生懸命だった。それほど好きだったということだ。
寝食を忘れるほどに没頭したことって何だったかな、それを今の私の実現力で本気だしてやったら、私の人生を変えてくれるんじゃないかな、って思った。
大人になるとすぐに「お金がかかるしな」と思うけれど、子供の頃ってお金がないから、工夫で何とかする。大人になった今でもなんとか工夫すればいいんじゃんと思った。特にクラゲを食べちゃう発想のあたり。しかもそれを経理の人に命じるあたり(そしてクラゲ×ブルーベリージャムで大惨事になったそうだ)。技術のある人がいない、ならば自分がやればいい。スマートじゃなくても、かっこよくなくても、達成できたら楽しい。楽しいことを大切にしたい。