生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

一週間の見習い農家生活

 おはようございます。みかん農家見習いの日々です。といっても、まだ駆け出し一週間くらいなのでペースが全くつかめません。

 農家というと晴耕雨読がイメージされる人も多いだろうけど、全くその通りというわけでもなく、おおむねその通りともいえる。雨の日は雨の日でやることがあり、晴れてても畑に行かない日もある。自営業経験者ならば分かるだろうけど、仕事しなきゃ「休み」だし、仕事してりゃ「休みなし」なのだ。それに、年に何度も収穫がある野菜農家と、年に一度しかない農家は全く違うんじゃないかと思う。

 一日のスケジュールは、朝から仕事ならば7時ぐらいからスタート。昼休憩は2時間。パンパンに仕事をしても夕方5時ごろには終わる。私たちができることは限られているので、役に立たないこともある。そんな時はお休みだったり、プロ農家(両親)をストーキングしたりする。

 今日のお仕事は畑に肥料をまく仕事。10キロを肩にかけて畑を練り歩いた。その前は一日中収穫のお仕事。そしてJAの産直に出す商品の袋詰め。実にいろんなお仕事がある。

 たった一週間しか農業に携わっていないが、本当に「暮らし=仕事」なのだと思った。決められた出勤時間や退勤時間はない。だけど、今の私たちは見習いなので、プロ農家に倣ってばかりだけども、まずはそうしたいなと思ってるんだよね。私自身、すごく生意気なタイプで「こうすりゃいいじゃん」とかすぐ言いがちなんだけど、今回はそれを封印して「まずは習い、倣う」で行こうと思う。

 今までの会社員勤めとは全く違う、だけど違わない。とっても不思議な感じだ。うまく言葉にできるまで、これは寝かせておこう。

 国民に10万ばらまく政策が話題に上っている。正直なところ、個人的には「もうどっちでもいい。あなた方を当てにはしない」なのだけど、そうも言い切れない人がいるだろう。

 昨夜、id:t_kato さんとツイッターでやり取りしたときにも話したのだけど、松山市内に一人暮らししているときは、インフルエンザに罹患しただけでも本気で遺書を書こうかと思ったことがある。孤独死のリスクが高すぎるのだ。

 だって仕事に行って、帰ってくるだけの生活だもの。定期的にスーパーは行くけど、いつも現れる火曜日と木曜日に独身女性一人がスーパーに来なくなったところで誰も気づかない。職場の人は異変に気付くかもしれないが、プライベートにざっくり立ち入ってくることもないだろうから、数日はそのままになるだろう。離れて暮らす家族は電話に出ないから気づきようがない(私はかなりの率で電話に出る方だったけれど、それでも仕事中はめったに電話に出なかったしな)。

 そういうわけで、地方都市でコツコツ働くだけの人たちの孤独や不安は半端ないと思う。ぶっちゃけね、私が独身だったころ「今ここで私が死んだとしたら」って何度も考えたんだよね。死体処理のこととか、遺品処理のこととかもね。誰もに迷惑をかけずに死ぬのなんて無理だと思った。

 だからさ、家族や友人たちと、連絡を取り合っておこう。SNSで生きてるって発信をしよう。みんな死ぬな。生きろ。

 前回の日記で、コロナ差別を受けた人のことについて、けっこうきつめの口調で書いたけれど、今もその思いは変わらない。だけど、今日一言いいたいのは、あれにしろ、あれじゃないにしろ、私は誰かを批判したいわけじゃないんだってこと。

 だってしょうがないじゃない。人間が抗体を持たないウイルスが発生してるんだよ。

 しかしながら政府の対応を見ていると、心底「日本国民の大半がどんな暮らしをしているのか知らない裕福な人たちが政治をしていたんだな」と思わざるを得ない。だが、彼らを選んだのは私たちだ。だから必ず選挙に行こう。

 いつだって陰謀論ははびこるけれど、陰謀だろうと陰謀でなかろうと、私ができることには限界があって、できることしかできないのだ。だからいつだって、できることをちゃんとやろうと思った。昔みたいに「効果あるかどうかわかんないけど」とか「結果がついてこないかも」と理由をつけてやらないのではなくて、やるんだって。

 辻仁成の小説ってキザなロマンで気持ち悪いと思ってから読んでいなかったけど、これは良かった。というか、父親としての彼の言葉はけっこう唸るものが多い(っていうのは id:msyblog さんとのやり取りで「そうだそうだ」と思ったことだけど)。あの人、なんつーか突然ピュアだからびっくりするよな。

www.designstoriesinc.com


 それよか私が考えねばならないのは、確定申告時に使うことになる領収書の片づけ方法を模索することだ。とりあえず、一番簡単にできそうな「封筒を分けて保存する」方法で行こう。いやもうマジでこういうの苦手なんだよなあ。

光回線と引っ越し片付けと、緊急事態。

生きることは、自分の物語をつくることだ。
だから記す、取るに足らない、かけがえのない日々を。
光回線と引越し片付けと、緊急事態。 - 日々のじだんだ - Radiotalk(ラジオトーク)

 こんにちは、今日は洗濯機の取り付けやら、光回線の開通やら、水漏れ箇所の整備やらで片づけが進んだような、進んでないような1日。服は絶望しながらなんとか片付きつつある、と思いたい。

f:id:cimacox:20200407072648j:plain

 ツイッターで服の整理が苦手だとつぶやいたら、吊るせばいいというアドバイスをいただいた。そうだ、独り暮らしのころは下着とババシャツ、ハンカチ以外は吊るしていた。今もそうすればいいのだ! とひらめいた気持ちになったが、山に着て行く作業着があるのだ。こいつらはどうしたらいいのだ。吊るすのか、かさばるこいつを吊るすのか? 

 一応前職はオシャレな洋服屋さんで働いていたので、セットアップの吊るし方などは見て覚えている。だけども、あれはハンガーが山盛りある人向けだよ……。うちもハンガーは山盛りあったように思っていたのだが、1/3はクリーニング店のプラハンガーだったのだ。あれを全て返却した今、アクティブなハンガーはそれほど多くもない……。そもそも、スーツやら礼服やらがでかいのだ。奴らを別に保管する方法がないものだろうか。

 まぁ、考えも仕方ないことは考えない。ハンガーで吊るすか、なぜか家中にあるひっかけ釘に服をひっかけてしまうかだ。

 それでも片付かないものはある。靴下、下着、ハンカチ、タオル、パジャマ。このうち、下着は所定の場所に入れておかねば塩鯖が真っ裸でパンツを探すことになるため、脱衣所に所定の場所を作った。タオルも同じ場所に置くことにした。まだタオル類は発掘される可能性が否めないが、まだ余力はある。

 私だけのものならば、最悪捨てればいいと思うんだ。だって入らない服もまだあるし(捨てますとも)。しかしあまりに捨てすぎると、作業服以外の服がなくなる。と、ここまで書いて、なんか服に対して間違った認識でいるような気がしてきた。服って消耗品だよね。なぜ私は10年以上前の服を後生大事に持っているんだろう……。パンツも限界まではこうとするんだろう……。

 たぶん相当疲れているんだと思う。1日ぐらい休んでもいいんじゃないかという気がしてきた。

 話は変わって、世は緊急事態である。個人的には、1月の時点でWHOはパンデミックを発令してもよかったし、日本も2月の時点で緊急事態と言ってもよかったと思う。パンデミックや緊急事態という言葉を受けてパニックを避けた方向もあるのだろうけど、どのみちパニックになって買い占めに走っている人たちは存在する。

 テレビを見ているとそんなことを思うが、ネットを見ると少し違う。こんな状況だからこそ、それぞれに自宅でできる日常の楽しみ方や、手作りのあれこれなどがたくさん並んでいる。慌ててスーパーに行くのは最も危険だからみんな落ち着いて行動しようという趣旨をあちこちで見かける。

 いろんな人がいる。慌てる人もいて、慌てない人もいて、たぶん大半の人間は生き残る。

 インフルエンザも毎年かなりの数の人が罹患する。予防接種をしたからといって罹患しないわけでもない。そして毎年亡くなる人がいる。だけどそれほど怖がられないウイルスとなった。新型コロナウイルスもきっとそういう道をたどるんじゃないかと思う。だからアフターコロナはなくて、withコロナの世界になるんだろう。

 インフルエンザと違うのは、このウイルスをきっかけに世界が「もう戻れない」場所に来たということだと思う。外出時にマスクをする人は増える。公共の場には消毒が置かれるようになる(今でもあったけど、もっと増える)。学校に行かない子供も増えるかもしれない。会社員も減るかもしれない。

 なにより「違う」のは、個人の判断の範囲の広さだ。国にお伺いを立てたところで、法律に違反していなければなんだっていいんだ、この国は。それは良くもあり、悪くもある。そういう意味で、日本はとても自由だと思う。法律より、政治家より、自由を奪っているのはごくごく一般的な「私たち」だ。そのことを今一度頭に叩き込んでおきたい。

 愛媛県で初めての感染者の方は、その町に住めなくなってしまったと聞いた。あくまで噂話だけども、でもあの小さな町で、勤め先の名前まで出てしまったら、どこの誰だか特定されてしまう。まるで悪者のような扱いだ。事実、そんな小さな過疎地にウイルスを持ち込んだことは軽率だったと言わざるを得ない。だけど追放されるほどのことだろうか。

 彼女を追放したのは法律でも政治家でも国でもない。ごくごく一般的な「私たち」だ。

怒涛の4月が始まっている

 こんにちは。今日は引っ越しの荷入れの日。午前中の1.5時間ぐらいで荷物の搬入が終わりました。決して少なくない荷物量、サカイ引越センターさんのSLタイプ(9畳程度の広さ)パンパンの量だった。もう本当にすごいびっくりサイズだからぜひ見てほしい。

www.hikkoshi-sakai.co.jp

 バイクも植物も全部持ってきたからなあ……。値段は高かったけど、量が量だし、場所が場所だし(高速道路とフェリーの合わせ技)、それを考えると十分すぎるぐらいのお仕事をしてくださった。ベッドも組み立てて設置してくれた。おかげで今日はここで眠れそうだ。

 というわけで、今、荷物を開けている。

 時を戻そう(ぺこぱ)。

 昨日の話だ。昨日はお昼前に香川県を旅立ち、14時ごろに島についた。母も市役所に用事があるということで迎えに来てくれていた。まず最初に転入の手続きをと市役所(出張所がある)に行った。そこでまさかの2時間ロス。転入が少ない上にマイナンバーカードを持っている人も少ないので、手続きがマニュアルを見ながらののんびりペースだったのだ。いや、本人たちはのんびりではない。それはよくわかっている。けれど昔の職場を思い出し、担当よ、もうちょっと練習させてやっておけよと思った。

 というわけで、16時ごろに手続きが終わり、引っ越し先に到着。改めて室内を点検し、必要であれば掃除をしようと室内に入った。

 私が引っ越した場所は移住者用の住居のため、管理は松山市が行っている。だからだろうか、ホームクリーニングが入っていない。全体が埃っぽいし、コンロはつい最近まで使ってただろう(しかも掃除なんてすることもなく)というありさまだし、水回りは怪しい感じだし、古い建物らしく害虫の形跡も多々見受けられた。ああ、敷金や礼金って必要なんだなあって思った。やや絶望するぐらいの汚さだ。

 そんな状態だったので、昨日はせっせと掃除していた。母が様子を見て、あまりの埃っぽさに掃除機や掃除道具を持ってきてくれて、なんとか全部の部屋の床、畳、押入れを拭き上げることができた。それだけで昨日の3時間は終わり。

 そして今日、荷物を入れて掃除道具もそろったので、トイレと風呂の掃除をした。徹底的にあらゆる箇所をカビキラーやハイターで漂白し、磨き上げた。よしよし、これで今日はここで風呂に入れる。トイレも使える。

 そして当面使いそうなものをとパソコンを設置し(インターネットの設置は明日、今日はスマホのペアリングで接続している)、動作確認をした。あと、さっさと開けておいた方がいい食品類を所定の場所に入れた。日中、家の前がとても日当たりが良かったので布団も干した。

 さて、さてだ。

 とりあえずこれだけあれば、私は暮らせてしまえそうな気がしている。いや、でも本当はそんなことはない、開けねばならない段ボールはまだまだあるはずだ。だけどどうしても開けたくない。もう開けたくない。もうこのままブラックホールにでも放り込んでやりたい。それぐらいやる気が起きていない。困ったな。

 まぁ、ちょっと休めばきっとやる気が戻ってくるだろう。これを書き終えたら、ちょっと海にでも行って(道を渡れば海なのだ。でも、珍しく海の工事をしているのでけっこううるさい)、ぼーっとして戻ってこよう。

 とりあえず、餅はあるので朝は餅を焼けばよいが、晩ご飯はちょっとマシなものを食べたいので実家に帰る。ついでにスーツケースも運んでもらおう。コーヒーフィルターがないのでもらってこよう。ああ、それならばコーヒーメーカーを発掘しなければ。そう、そうやって使うものから開封されてゆくだろう。だとしたら、片付くのはいつになるのかな……。

 とりあえず、そんな感じです。