生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ちょっとずつ進んでいます

甥っ子次男の話

甥っ子次男が英検4級を受けるのだけど、やる気が出ないというので「大丈夫だよ、努力してるから受かるよ」と伝えて電話を切った。直後夫が「勉強をすると大人が喜ぶと信じているので、何とかやる気をひねり出して頑張っちゃうんだろうなあ」とつぶやいた。そうかも。


私と夫は全てにおいてタイプが真逆。

私は、親に怒られない程度の成績を取りたいという欲求しかなくて、見事にずっと中の上ぐらいを維持したけれど、決して一番にはならなかった。

夫は、勉強しないのに一番になって一目置かれたいという欲求が強かったそうで、実際にそういうタイプだった。

私と夫の違いは「自発的な欲求」かどうかだと思う。私は積極的ではない(「怒られたくない」が真ん中にある)。甥っ子次男も似てると思う。

自発的な欲求が真ん中にあると、それに見合ったやり方、見方、集中力を発揮できるようになるんだと思う。そういう工夫を、自分でするようになるんだと思う。

だからなのか、私は目標達成までの道筋が数パターンしか出せない。しかも教わった通りの道筋と、ちょっとアレンジ程度。だけど夫は無限に出せる。

こんなことなら私も「勉強してないのに一番を取る存在」に本気でなろうとすれば良かった! と思ったけど、今からでも間に合うのでとにかく頑張るよ。

このことを、甥っ子次男に教えてやろうと思う。

しかし当時の私がこれを教わっても「私別に一目置かれたいわけじゃないし」とかなんとかひねくれたように、素直に「自分がどうしたいのか」を導き出せないような気がする。それはきっと、人の(大人の)顔色を窺ってしまう性質があるからだと思う。

人の顔色を窺うことは悪いことではないけれど、それが勝って「自分がどうしたいのか」を見失うと、とても生きづらいことになる。

甥っ子次男には、試験の結果にかかわらず、両親も伯父伯母もお前が大好きでしょうがないぞ、だから安心しろということも、合わせて伝えようと思う。

(抜粋なので読みづらくてすみません)

太字下線のところ。要するにこれが他人軸というやつ(他人の反応で自分の行動や判断が変わる)。これは変えられる。変えられるけど、クセってものは無意識だ。よっぽど意識してないと、平常運転ではいつものクセの方が前に出てきてしまう。

過去何冊も自己啓発やらビジネス本やらを読んできたという謎の自負がある私は、こんな当たり前、むしろ聞き飽きたぐらいに思っていた。だからずっと、自分が振り回されていることに気づけなかった。しかも傲慢さもあるから自覚できないという悪循環付き。だからせめて自覚しよう。

無意識・無自覚というのは手ごわい。毎日のことだから手ごわい。

だから毎日、いつも、常に、ちょっと気味が悪い人ぐらいの勢いで自問自答しようと思う。

「その判断は世間体や他人の目を気にしての判断じゃないか?」

たぶん、結構な数の判断をこれでやっちまってる気がするわー。

今年は石垣じゃなくて階段だよ

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 よくできてるでしょ。塩鯖監修のもとで頑張りましたよ。真っ直ぐに(平行に)土を削るの難しい。

桃を購入しました

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hanautakajitu.jp

 ハナウタカジツさんところの極早生の桃「はなよめ」を購入。すぐになくなってしまった。桃ってどうしてこんなにゴージャスな味がするんだろう。とろけるし、ジューシーだし、ああもう、桃っていいなあ。

 わざわざお取り寄せするのは、食べたいからだけではない。ほかの農家さんがどんな工夫をしているのかを知りたいからでもある。ハナウタカジツさんは実に様々を深く考えて作り込んでいらっしゃるんだなあと思った。いろんなコラボもしているようだし。なるほど。でも私たちは、まず栽培技術を身につけることが最優先だけどもね。

 近所のスモモもそうだけど、とにかく虫がすごい。人間が美味いと思うものは虫だって美味いのだ。それは柑橘も同じ。

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 だからずっと実りっぱなしでなんだかわかんなかったこいつ、うん、生食ではない代物だった(答えは橙。ポン酢にするやつです)。虫も鳥も見向きもしない=そのままでは美味しくないということを、痛感した。

 ちなみに、これを採るときワクワクしすぎて、手袋忘れて行っちゃったぐらい楽しみにしてたんだよ(笑・珍しく( ゚д゚)、ペッってするほど不味かった)。

またもや月報になっている

 日が空き過ぎましたな。まぁ、ぼちぼち生きています。

物々交換をした話

 草野農園の草野さんと物々交換をした。いや、最初は買おうと思って連絡したんだけど、みかんが欲しいというので、販売品はなくなっていたけれどかき集めて送った。

 草野さんからは五色米と甘酒と塩麴をいただいた。甘酒はレシピ通りにいただき、そして今は豆乳を混ぜてシャーベットを作っている。アイスが美味しい季節だしね。塩麴は豚を漬け込んで焼いたのだけど、しっとり感が全然違う。塩麴って便利だなあ。五色米はまだ未使用。使うのが楽しみ。

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 今朝カレーで使った。美味美味。

過去最速で梅雨に突入

 5月の中旬なのに梅雨入り。正直、農家2年目にとって早すぎる梅雨が与える影響は全く分からない。でも、両親はいたって冷静な模様。だって心配しても、慌てても、焦っても、梅雨入りの事実は変わらないもんね。

 早く梅雨入りしたからといって、早く梅雨明けするかどうかも分からないそう。また、去年のように晴れ間一切なしの梅雨になるかどうかも分からない。なるほど、こういう時こそ果報は寝て待てか(ちょっと違う)。

カラマンダリンが完全に終了

 3日前に農協の出荷がすべて終わった。うちはもう少し早く終わっていたけれど、これで次の収穫まで農協出荷物はゼロになる(と思う)。去年の4月から初めて、やっと1クール全部終わったわけだ。柑橘栽培でやるべきことは、どの柑橘でも大差はない。ただ、収穫時期が違う分、すべてがずれて行われているっていう感じ。まぁ、どの品種・品目を栽培していてもそうだろう。例えばお茶なら今が一番茶の収穫を終えるぐらいでしょ。でもきっと、お茶だけじゃないから、並行して何か別のこともするでしょ。柑橘もそんな感じ。

 去年はすべてが初めてだったので、とにかく毎日何かがあって忙しいって思ってたけど、2年目はちょっと違うかなと思う。今思えば、夏はかなり楽な方だったな。

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 収穫したてのはるか。今年は傷がひどいので産直にも出せそうにない(お届けしたのはマシなやつです)。

漢方に思うこと

 漢方外来に通い始めて、2回目の通院が終わり、もう少しで3回目の通院。

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 私が通っている病院の漢方外来は、人生のタイムラインを書き出して治療を決定するらしい。面白いなあと思うけど、人生のタイムラインに即した処方なんて本当にしているのだろうかとも思う。でもどっちでもいいんだ、わたしのこれは予防措置だから。

 現代医学は対処療法が多い。頭が痛いからこれ飲みましょとか、膝が痛いからここ調べて異常があったら治療しましょ、みたいな。当然と言えば当然だ。痛いから悪いところが分かる。でも、痛くなりそうだからあらかじめ何かしておきたいと思っても、できないのが現代医学だと思う。 だから現代医学とは別のところで、ジョギングしたりストレッチしたりといろいろして予防するわけだ。そう考えると健康志向として流行るものって現代医学にぴったりくっついてるみたいな感じもするね。

 漢方はというと、その両面を持っているように思う。悪くなる前に、あるいは悪くならないようにしておくことが多い。でも、痛くなってからでもできる処置はあるわけで、なるほど、漢方、と思う。

 漢方外来にあった、漢方に関する記事のファイリングを読んでいると、これはほぼプラシーボなんじゃないの? っていう事例もままある。ということは、治療としての効果ってないわけ? と思ったけど、体感としては「ある」と感じている(実際、筋を痛めて痛かった肩の付け根の痛みは、1回の針灸でなくなったし)。

 まぁ、プラシーボ効果だったとしてもそうじゃなかったとしても、患者としたら痛みをなくしてほしいというのが願いなので、目的は達成されているわけだ。もしかしたら現代医療もこういう面があるのかもしれない。

 いずれにせよ、もうしばらくは通う予定。どれぐらい体が変わるのかが楽しみ。

ワクチンの予約完了

 両親のワクチン予約が完了した。松山市のLINEからネット予約したのだけど、2名分で20分ほど。マイナンバーで確定申告をするよりも簡単で分かりやすかった(確定申告自体は分かりやすかったけど、マイナンバーを紐付けるところがめちゃくちゃ面倒だった。マイナンバー関係の方がいろいろと不親切で使い勝手が悪い)。

 ワクチンに関しては様々な憶測が飛び交っているよう。私はそもそも陰謀論に近づくことがないので(オカルトは楽しむけど)知らなかったのだけど、ビル・ゲイツがどうのこうのっていうのが流行っているらしい。というか、真剣に信じている人もいる。何を信じようと個人の自由ではあるけれど、日本で今踏ん張ってくれている医療従事者の多くが、自身もワクチンを接種し、人にもワクチンを打っている以上、迂闊に「あれは危険だから打たない方がいい」みたいなことは言いたくないと思う。

 いや、私は根本的に、科学も医療も農薬も、先人たちの苦しみから生まれた知恵だから、信じているということだ。私は人の善性を信じる。

イノシシ罠のルートを行く

 塩鯖が地域の仕事に参加することになった。というか、ここに住んで農業を営む人はみな参加しなければならない。人が少ないのだ。主にイノシシ罠の確認が仕事だ。罠にかかっていたらリーダーに連絡して駆除してもらう。

 というわけで、うちの地区全域に設置されているイノシシ罠の位置を確認するべくルートを進んだ。といっても1/3ぐらいしか行ってないと思う。それでも、うちの畑がないところばかりだったので、初めて見る景色ばかりだった。

 農道は基本的に農作業をする人しか通らない道なので、いちいちが狭い。離合(すれ違い)ポイントもあるけれど、把握してないと鉢合わせた時に「!!!」となる。もちろん相手がベテランであれば問題ないが、例えば私のようなおばさんである可能性もある。だから離合ポイントを把握しておくことはすごく大事だ。

 まだ少ししか行ってないけど、自分が住む地域の広さに驚く。こんな奥深いところまで畑があるんだと感動する。

 最初は塩鯖が分かってりゃいいだろうと思っていたけれど、何らかの理由で塩鯖がいけない時には私が行かねばならない。だから私もルートを覚える必要がある。

 個人的にはこの地域で農業を営むものとして協力するのが当たり前だとは思っているが、運転技術が必要となるので、相当早い時間に行って、農作業の人にかち合わないようにしないといけないなと思った(通行止めにしてしまう可能性があるから)。

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 この地域は、生まれて18年暮らしてきて知ってるつもりになっていた。でも全然知らない場所だった。新しいことは2年目の今年も続くのだろうな。

天からのギフト

 先ほど、サンドイッチマンのプロフェッショナル仕事の流儀を見た。再放送なので2回目。

 この放送の中で、サンドイッチマンのすごさを「天からのギフトってことですか?」とスタッフさんが言った時、コメントしていた坂上忍さんは「どうでしょうね、好感度が高いってことはそれだけ大変さもついてくるから、ギフトとは言い切れないのではないか」みたいなことを言っていた。

 確かにそうだと思う。でも、それをギフトにするかどうかはサンドイッチマンが決めることなのだと思う。選ばれる人には、選ばれるだけの理由があり、同時に選ばれた苦労もある。

 昨日の夜、珍しく母が自分の生い立ちを話した。塩鯖がいたからだと思う。私は細切れに聞いたことはあったけれど、まとめて聞くのは初めてだった。

 人はそれぞれ、いろんな事情の中で成長して大人になり、人生の様々なステージを越えてゆく。ごくごく当たり前のことだけど、普段はなかなか想像することができないものだなって思い知った日だった。

 私自身の人生なんて、ストレート過ぎて見晴らしいいなってくらい真っ直ぐだったんだなって痛感するほど、母の家庭環境は複雑で、いろんな人の気持ちを考えなければならない環境だったんだなって知った。43年生きて初めてのこと。

 母は気遣いの人で、努力も苦労も厭わない人だと思っていた。でも、そんなことはなかった。当たり前だ。誰だって報われたい気持ちはある。報われることや感謝されることが目的でなかったとしても、40数年のそれらが「この人はやりたい人だから」で片付けられていたらどうだろう。

 私はずっと、母は人のためにいろいろやりたい人だと思っていた。「そんな性分なのよね」と言うたびに、愚直にも「そうだなー」と思っていた。でもそれは違った。私が母を理解していなかった。理解しようとしていなかった、という方が正しい。ということが、今日わかった。

 人はいろんな事情の中で成長し、大人になる。

 子供の自分ではどうにもできないこともあれば、大人になってもどうにもできないこともある。誰かのために、自分の望みを後回しにしたり、諦めたりすることだってある。逆に、そんなことすら考えたこともない人だっている。

 前者の母に大事に育てられた私は後者で、なんだかもう自分にがっかりしている。でもきっと、母はがっかりさせたくて大事に育てたわけじゃないだろうし、多分がっかりする必要もないんだろう。

 考えようによっては、母が誰かのために諦めたり失ったりしたもの全てが「私」なのかもしれないから。

 私は母ではないから、母にはなれない。

 でも、母のような深い気遣いを、自分の形でできるようになれば、母の遺伝子を持ってる意味がやっと生まれるんじゃないかと思う。

 とはいうものの、ぶっちゃけると「気遣いのひとつもできない自分、どうなのよ」とは思う。それはもう、見事なほどに気遣いができない。というか、私の世界に「気遣い」がないみたいな感じ。だから気遣いできる人を見ると心からすげーと思う。

 そんな私が最近ハマっているのがこれ。LINE漫画である程度は無料で読めるよ(ただし、一日で読めるのは2話まで。だから毎日の楽しみになっている)。

 すごく独特の世界観なのに、地味でいよう、目立たずにいよう、波風立てずに生きようとしながらも、自分の本能や感情に翻弄され迷いながら突き抜けていくハイイロオオカミのレゴシくんが、人間社会で懸命に生きている人たちの心を打つだろうなと思う。もちろん私の心も。

 ハイイロオオカミのレゴシくんの、鋭い爪や牙や力は天からのギフトだろうけど、草食動物との共生を望む彼にとって、それらは草食動物を捕食するためのもので、食欲という本能と合わせて邪魔でしかない。だけど、それを彼はギフトに変えようとする。

 天からのギフトはいつだって自分にとって都合のいいものではないかもしれない。あるいは、都合のいいところばかりをくれるものではないのかもしれない。でも、それらも全部ひっくるめて「受け取る」と腹をくくったら、人はなんにでもなれるんじゃないか、不可能を可能にすることはできるんじゃないかと思う。

 まったく青臭い発想だなと思うけど、例えば私の「気持ちいいほど自分のことしか考えてない能天気さ」だって、多分ギフトだ。負けず嫌いもそう、バカが付くほど真面目なところもそう、誠実であろうと努めているところもきっとそう(要領が悪いともいえる)。

 なんとか、なんとか、周りの人たちが大切に育ててくれた「私」という人材を、十分に発揮して生きたいなと思う。そのためには、つまらない意地とかプライドとか、さっさと捨てて、あるいは捨てられない自分も全部「もーしょーがねーや、これが私だから」と走り出すしかないのだろうなとも思う。

 なんかもう、いろいろやっちゃってもいい気がしてきた。いや、もちろん柑橘に全振りなんですけどね。わたしゃ柑橘農家だからね。

 ビースターズ、個人的にはドワーフウサギのハルちゃんの清々しさが大好きです。なかなかのビッチだけど、ビッチかそうじゃないかなんて、生きたいように生きるのに、どうでもいいことなんだよね。