先ほど、サンドイッチマンのプロフェッショナル仕事の流儀を見た。再放送なので2回目。
この放送の中で、サンドイッチマンのすごさを「天からのギフトってことですか?」とスタッフさんが言った時、コメントしていた坂上忍さんは「どうでしょうね、好感度が高いってことはそれだけ大変さもついてくるから、ギフトとは言い切れないのではないか」みたいなことを言っていた。
確かにそうだと思う。でも、それをギフトにするかどうかはサンドイッチマンが決めることなのだと思う。選ばれる人には、選ばれるだけの理由があり、同時に選ばれた苦労もある。
昨日の夜、珍しく母が自分の生い立ちを話した。塩鯖がいたからだと思う。私は細切れに聞いたことはあったけれど、まとめて聞くのは初めてだった。
人はそれぞれ、いろんな事情の中で成長して大人になり、人生の様々なステージを越えてゆく。ごくごく当たり前のことだけど、普段はなかなか想像することができないものだなって思い知った日だった。
私自身の人生なんて、ストレート過ぎて見晴らしいいなってくらい真っ直ぐだったんだなって痛感するほど、母の家庭環境は複雑で、いろんな人の気持ちを考えなければならない環境だったんだなって知った。43年生きて初めてのこと。
母は気遣いの人で、努力も苦労も厭わない人だと思っていた。でも、そんなことはなかった。当たり前だ。誰だって報われたい気持ちはある。報われることや感謝されることが目的でなかったとしても、40数年のそれらが「この人はやりたい人だから」で片付けられていたらどうだろう。
私はずっと、母は人のためにいろいろやりたい人だと思っていた。「そんな性分なのよね」と言うたびに、愚直にも「そうだなー」と思っていた。でもそれは違った。私が母を理解していなかった。理解しようとしていなかった、という方が正しい。ということが、今日わかった。
人はいろんな事情の中で成長し、大人になる。
子供の自分ではどうにもできないこともあれば、大人になってもどうにもできないこともある。誰かのために、自分の望みを後回しにしたり、諦めたりすることだってある。逆に、そんなことすら考えたこともない人だっている。
前者の母に大事に育てられた私は後者で、なんだかもう自分にがっかりしている。でもきっと、母はがっかりさせたくて大事に育てたわけじゃないだろうし、多分がっかりする必要もないんだろう。
考えようによっては、母が誰かのために諦めたり失ったりしたもの全てが「私」なのかもしれないから。
私は母ではないから、母にはなれない。
でも、母のような深い気遣いを、自分の形でできるようになれば、母の遺伝子を持ってる意味がやっと生まれるんじゃないかと思う。
とはいうものの、ぶっちゃけると「気遣いのひとつもできない自分、どうなのよ」とは思う。それはもう、見事なほどに気遣いができない。というか、私の世界に「気遣い」がないみたいな感じ。だから気遣いできる人を見ると心からすげーと思う。
そんな私が最近ハマっているのがこれ。LINE漫画である程度は無料で読めるよ(ただし、一日で読めるのは2話まで。だから毎日の楽しみになっている)。
すごく独特の世界観なのに、地味でいよう、目立たずにいよう、波風立てずに生きようとしながらも、自分の本能や感情に翻弄され迷いながら突き抜けていくハイイロオオカミのレゴシくんが、人間社会で懸命に生きている人たちの心を打つだろうなと思う。もちろん私の心も。
ハイイロオオカミのレゴシくんの、鋭い爪や牙や力は天からのギフトだろうけど、草食動物との共生を望む彼にとって、それらは草食動物を捕食するためのもので、食欲という本能と合わせて邪魔でしかない。だけど、それを彼はギフトに変えようとする。
天からのギフトはいつだって自分にとって都合のいいものではないかもしれない。あるいは、都合のいいところばかりをくれるものではないのかもしれない。でも、それらも全部ひっくるめて「受け取る」と腹をくくったら、人はなんにでもなれるんじゃないか、不可能を可能にすることはできるんじゃないかと思う。
まったく青臭い発想だなと思うけど、例えば私の「気持ちいいほど自分のことしか考えてない能天気さ」だって、多分ギフトだ。負けず嫌いもそう、バカが付くほど真面目なところもそう、誠実であろうと努めているところもきっとそう(要領が悪いともいえる)。
なんとか、なんとか、周りの人たちが大切に育ててくれた「私」という人材を、十分に発揮して生きたいなと思う。そのためには、つまらない意地とかプライドとか、さっさと捨てて、あるいは捨てられない自分も全部「もーしょーがねーや、これが私だから」と走り出すしかないのだろうなとも思う。
なんかもう、いろいろやっちゃってもいい気がしてきた。いや、もちろん柑橘に全振りなんですけどね。わたしゃ柑橘農家だからね。
ビースターズ、個人的にはドワーフウサギのハルちゃんの清々しさが大好きです。なかなかのビッチだけど、ビッチかそうじゃないかなんて、生きたいように生きるのに、どうでもいいことなんだよね。