生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

塩鯖、害獣駆除ができるようになるまでの道のり

 こんにちは。ついつい更新が鈍ってしまいますね。へへへ。

 私たちが住んでいる島には、猪がたくさんいる。実にたくさん。その数なんと年間1000頭捕獲できるほどである。猪は柑橘を食う。柑橘以外も食う。おかげでうちの島は鉄柵や電柵だらけになっている。

 そういう状況だから、地域の方々によって猪を捕獲するべく罠や銃を持っている人がいる。罠の資格のみの方は結構多いけど、銃の免許まで持っている人は少ない。なので塩鯖は銃の免許も取ることにした。

 猪が罠にかかりました→銃を持っている人を呼んで撃ってもらう→処理場に持っていく、という流れで処理されるのだけど、銃の所持者が少ないということになれば、当然呼び出し回数も増えるわけで、その度に自分の仕事を中断して行かねばならない。できればみんなやりたくない(であろうと思う)。

 というわけで、地域のためにも銃の所持者が増えるのはありがたいわけなのだ。

 でね、今日は「害獣駆除の資格取るぞー!」となったら、どうするのかってことを書こうと思う。

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 まぁ、そういうことだ(塩鯖の説明してくれたメモそのまんま)。

 それだけじゃちょっとアレよね、私の存在意義って何よって話よね。

 まず、狩猟免許からいこう。狩猟免許、多くの人が「バカでも受かる」と言う。だけども見る限りでは、バカでは受かるまいと思う。それぐらいはテキストが分厚い。本来ならば猟友会の講習に出れば、出題されるところを教えてもらえるそうだが、今は感染対策の一環として講習時間が半分になっている。はい、結構辛いフラグ。

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 試験には、狩猟していい鳥獣と、狩猟してはいけない鳥獣が出る。もちろん馴染みのないものばかり。あなた、鴨の種類ってわかります? 私は鴨の違いなんて個性だと思ってましたわよ。海で暮らすのと淡水で暮らすのとがいるんだってね。ほほう。カラスにも種類があるんですってね。ほほう。

 こんな調子なので、写真のようなカードを作って塩鯖とクイズ形式で全部覚えたさ(私はもう忘れてるものもある)。

 そんなこんなで、塩鯖は頑張って勉強して試験は罠も銃も合格した。そう、罠と銃は別の筆記試験なんです。恐ろしいわね。加えて、罠と銃の二つの免許を取得する場合は、同じ時間内に2つの筆記試験をするのです。さらに恐ろしいわね。何考えてるのかしら(二つ同時に受ける人が少ないらしい)。

 で、次に銃。銃は所持するのにも許可証がいる。銃刀法がある以上当たり前なのだけど、これが結構ややこしいし、かなりしっかりした調査がある。まぁね、当然だよね。精神病の疑いがある人に銃を持たせるわけにはいかないし、誰もが反対するような人に持たすわけにもいかないし。

 塩鯖曰く、狩猟免許関連と、銃の所持関連ではまるで毛色が違うそうだ。ノリというか、うん、全然違うだろうなとは思う。提出書類関係もわんさとあるし、色んな意味で面倒臭くて大変だったと思う。それでも頑張って(しかも電気工事士の試験もあったから、連続して試験三昧)免許を取ってくれた塩鯖に感謝だ。全ては地域のため、みんなのためだから。

 ひとまず、連続試験月間が終わったので、少しでもゆっくりできればなと思う。あいにく週末は台風来るみたいだし、感染も爆発しているし、あまり出歩くことはできないだろうけど、せめて塩鯖方のお墓参りに行った時ぐらいはのんびりしたいなと思っている。

電気工事士の資格試験が終わりました

 おはようございます。塩鯖の電気工事士の資格試験が終わりました。勉強を始めて半年ちょっとかな。国家資格だけあって、生半可じゃ受からない試験だったようです。見てるだけでも「こりゃすげえ」と思ったけれどね。

 電気のことなんてなんにも分からない私だけど、電気って間違ったら簡単に人が死ぬし、事故が起こるんだよね。だから国家資格がある。狩猟免許関係もそう。ああ、日本って国はよくできているなと思う。

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 これは今朝の空。雨が降ってたんだけど、この朝焼け。今年は珍しく中国・四国地方の梅雨明けが遅くて、今日も雨が降っている。北海道で30度を超えているのに、嘘みたいだ。

 でもこれが終わったらいきなりすごい夏が来る。もう怖さしかない。怖いけれども、もりもり働きますよ。空調服も調達したしね(父とお揃いだよ)。

 殺人的な夏になって、もう何年だろう。丸腰で2時間でも外にいたら死ぬかもしれないって気候の中で、工夫を凝らして外の仕事をしている人たちのなんと多いことか。本当に頭が下がるし、その体力、精神力はかけがえのない財産だと思う。

脱スピしようという話

 今日はね、チャンスなんですよ。2日目の雨だから!(まとめて書いてやる!!)

 今回は脱スピの話。といっても、完全にスピリチュアルなんて信じないってなったわけではなくて、というか見えないものなんてあるし、いるし、それはそれで信じてるけど、そればっかりにスポット当てるのやめようと思うようになったって話。

 占星学を勉強するようになって、心理学とかも入ってきて、なるほどーそうだったのかーと思うことがたくさんあった学びのグループだったけれど、6月の初め頃に抜けた。理由は、ずっと同じことを繰り返しているように感じたから。

 スタートは「どうして自分は思い通りに生きられないのだろう」というところから始まったけれど、結局のところ「思い通りに生きられないのは自分がそうしているから」というところに行き着く。じゃあなぜ「思い通りに生きられないのか」を探究すると、幼い頃の経験や記憶に行き着く。

  幼い頃の経験や記憶というのは、速い話が「思い違い」や「誤解」だ。幼いがために親の気持ちを理解することができず、短絡的に「言いたいことを言うと嫌われるんだ」と思っちゃったりするって話だ。

 このように簡単に書いてしまうと、なんだ簡単なことじゃないかと思うかもしれないが、これが結構長い間人を苦しめていたりする。言いたいことが言えないと、溜めなくてもいいストレスを溜めちゃうことになるし、自分は嫌われてるとか、空気が読めないとダメだとか、人の顔色が気になって仕方ないとか、そういう副作用みたいなものでも苦しめられるしね。それが「思い通りに生きられない理由」だっていうこと。

 というのがグループでの学びのテーマだった。で、4年目に入って、もうお腹いっぱいかなっていう気になったから抜けた。

 抜けようという気になった理由には、農業に従事しているという現実も関係していると思う。

 何せ農業は現実、体を使ってなんぼだ。できるとかできないとか、できるかもしれないけど自信がないとか、うまくできないかもしれないけど頑張ったらできるかも、なんて中途半端なことは一切いらない。失敗しながらも上手にやろうと努力する、それのみだ。

 だからしみじみ思い出す。あーだこーだとごねていた時期、私はとっても暇だったんだなって(やや暴言ですみません)。

 それと同時に、精神論を延々語るより、現実で何か作り上げたり、成し遂げたりする方が、いくらも確かだなと思った。いや、これは精神論を否定するわけではない。わけではないんだけど、精神論だけでは足りないということが、よくよく理解できたという話だ。

 でね、私は思う。SNSやインターネットを介しての何かって、現実とは言い難いことなんじゃないかって。これは私が古い人間だからそう思うのかもしれない。でも、うーん、やっぱりどこまでもバーチャルなんじゃないかと思う。

 人って、どこまでも完璧ではないと思う。だけどある一面だけなら完璧にやることはできる。その一面だけを見せ続けることができるのはバーチャルだと思う。というか、私はそう思ってSNSも見てる。

 いくら精神面を鍛えても、SNSで活動しても、どこまでも物理的な世界での活動とはちょっと違う気がしてしまう。そうした活動から現実が動き出すってことも往々にしてあるけれど、なんというかなあ、今は本を出すとか、メディアに出るとかも、消費の対象であって、すっごく「もの」って感じがしない、いつでも消えてしまう絵空事みたいに思えてしまうのだ。

 これは多分、何十年もかけて大きくなったみかんの木を見て、触って、自分たちも一年目の木を植えて、育っている過程を全て見ていて、手入れしたり収穫したり、そうすると物理的に体が疲れて果てて寝ちゃう日々だったり、そういう暮らしをしているから思うことだと思う。

 そういう変化もあって、やろうと思っていたブログ作成も頓挫しているし、講師としての活動も頓挫している。頓挫したまま未着手になるのかもしれない。いや、それはちょっと惜しいので、やっぱり何かするだろうけど、それでも今はちょっと先送りしたいなと思っている。

 あと、陰謀論とか反ワクチン、無農薬も、何度も聞いていると疲れてくる。多様性の時代にはわかりあう努力も必要だと言われるけれど、限りある時間をわかりあうために使うかどうかは、その人の人生の優先順位に準じられるのだろうと思う。私は今のところわかりあうための時間にそれほど多くを割くことはできないなと思っている。