生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

節分も過ぎましたね

 今さら、あけましておめでとうも、鬼は外もい言いづらい私です。ご無沙汰しております。元気です、超元気です。

 1月はひたすらに伊予柑の選別→出荷を繰り返し。今年は裏年*1といって量が少ない年だったのだけど、それでも延々選別が続くように思われた。来年は表年なのでもっと多いわけで、今年は選別を始めるのによい年だったと思う。

 肩こりと眼精疲労が半端ないんだけどね。来年は苦しまずに済むよういろいろ対策しないといけないなと思った。頭痛に苦しんだもんなあ。

 そして甘平、ひめのつきの収穫。今すでにとんでもない人気の甘平。一度食べたら病みつきらしい。恐ろしい柑橘である。個人的には西の香も負けないぐらい美味しいと思うんだけどな。まぁ、全体的な生産量としては圧倒的に甘平の方が多いので、甘平は少々お高いけれど食べる機会はあるのではないかしら。

 美味しいのでね、食べてみたらいいわよ。

 ひめのつきというのは愛媛のオリジナル柑橘。だがしかし、人気がない。ともかく人気がない。皮が少々硬いのと種があるのが不人気の理由だと思う。上品な甘さとさわやかさで美味しいともうんだけどなあ。

 そんなこんなで、なにかと忙しくしている。ありがたいことである。

*1:柑橘は隔年結果する植物。隔年結果というのは、例えば2022年に実が多かったら2023年は実が少なくなるというもの。隔年をしないように剪定したり摘果したりするけれど、木の傾向は変えられないので実が多い年と少ない年が存在することになる。

また一か月日記になってしまっている

できれば毎日なにがしか残したいのだが、毎日ってのはかなり難しい。だから毎日つづっている人はすごいなあと思う。それだけで才能といってもいいと思う。

ここ一か月何をしていたかというと、仕事だ。柑橘の繁忙期は冬、まさにジャストナウであるから、仕事ばっかりしている。

うちは農協出荷の農家なので、出荷日に合わせて収穫し、選別し、出荷する。

収穫したみかんたちは、サイズがバラバラで傷ありなども含まれているから、ひとつひとつ確認して農協の規格に合わせた選別を行わなければならない。中には小さな穴とかもあって、それが傷むと周りのみかんも腐らせることになるので、そんなのは外さないといけない。というわけで、必ず選別という作業が必要になる。これがなかなか地味でしんどい仕事。

で、そういう仕事の合間に来年収穫するせとかのサンテをかけたり、畑を直したり、また別の品種を収穫したりしている。

畑を直すっていうか、別の品種に切り替えるために伐採と伐根したりだな。今はコンテナ使って段々畑を整形している。もうね、なにかとすることはあるんだわ。だから意図的に休まないと休めないわよねえ。ってことで、今日はお休みしているんだけどね。

あ、そうだ。特筆すべきことがあった。

人生初、足の指の爪がはがれた。

温州みかんの収穫の真っ最中で忙しい最中に、勝手口につま先をぶつけてやってしまった。

たかがぶつけただけ、と思っていたけど流血していて、爪がはがれていることが分かった。これがもう、相当痛い。2日間は鎮痛剤漬けになるほど痛かった。また時期も時期で段々畑で踏ん張りながら収穫することが多くて、くらくらするほど痛かった。

で、足をかばって生活してたら腰が痛くなり、さらに変にかばうからかぎっくり腰にもなった。もう爆笑してしまったが、爆笑が腰に響く最悪の数日だった。

今はもうすっかり治り(腰痛は無理するとくるけど)、爪は赤黒く変色しつつ、私の親指からいつ旅立つのかびくびくしている。

というのも、夫氏は剣道をしていたので何度となく爪をはがしているそうで、今後どうなってゆくのかをよくご存じなのだ。だから今後の私の爪の行く末は聞いてるけれど、体験するのは初めて。人生っていつになっても初めてが存在しますなあ。

さ、今日はしっかりみっちり休んだから、明日は頑張って働こうかな。クソ寒いみたいだから怖いけど、まぁぼちぼち頑張ります。

あれれー、もう一か月が経過しようとしている

気を抜くと本当に一か月なんてあっという間ですね。おはようございます。埃だらけのキーボードで入力しています。指先がもけもけになりそう。

デスクトップを開くとWindows11にしろと出てくるのですが、CPUが対象外らしくてアップデートできないのですよね。新しいPC買うかなあって思うけど、今PCあんまり使ってないしなあとも思う。このパソコン自体は十分使い込んだので未練はないけど、ワイドな画面が素晴らしきなので、やっぱり本体には未練がないな。でも、ソフトまた入れなおしたりするの面倒だな。面倒だーなー! っていうところで、パソコンの前らから去ってしまうんですよね。へへ。

ついに私もパソコンよりスマホタブレットの方が使用頻度が激増しているということですな。

そして使われなくなったデスクトップは、機会があるごとに使われようとするものの、どんどん動きが遅くなり(すでにその傾向あり)、Windowsでしかできないこと以外は使われなくなるのだろう。なるほど、今どきの子供がパソコン使えないっていうのも分からなくもない。

AIが人間の仕事を奪うと言われて久しい昨今、実は25年前に社会人デビューしたころから似たようなことを言う人はいて、やたらと事務処理をシステム化することを拒んだりする事例があった。あの頃のシステム化なんて、単純作業や繰り返し作業を軽減してくれる程度のものだったけど、それでも仕事を奪われる感覚を持っている人はいたということだ。

当時の私も、今の私も、基本的には性格が悪いので「簡単に奪われるぐらいの単純作業で給料もらえてうめぇうめぇって思ってるんだろうお前」って言ってやりたくもなったが、実際のところ現実はもっと残酷だ。そういう人達がもっとも苦手としている、考えること、感じること、それを表現することが、人間にしかできないと言われているのだから。

しかしこれは一概にその人たちが悪い、努力していないというものではない。実際に個性的であることより、画一的であれという教育を受け続けてきたのだから。そしてそれは、私でさえもそうなのだから。

だから近頃の子どもたちの教育を見ていて、うまく表現できないくらい大変だなあと思う。個性的であれ、模範的であれ、優しくあれ、配慮できる子であれ、物分かりのいい子であれ、、、いや結局どうなのさって言いたくもなる。そんな中で素直にコロナで学校休みになれば休み、課題が出れば家でやり、オンライン授業になればちゃんと出席する、そんないい子たちが増えていることが、おばさんはちょっと怖いです。

そう、そういえばね、先日Twitterで「松尾芭蕉の俳句を自分が作ったと言い張る子供8歳」のママのツイートがあったのよね。おおむね「子どものやることなんだから」とか「むしろ興味を持ってて偉い」っていう意見が多かったのだけど、私はそうではないんじゃないかなって思ったのよ。そういう子供ってね、びっくりするぐらい頭がいいの。頭が良くて、なにを親や大人が望んでいるかを察して探して持ってこられるの。でもそれがバレると怒られるから嘘をつくの。でも結局嘘ってバレるでしょ。で、怒られるでしょ。そしたらね、こう思うんだよ。「バレないような嘘をつかなくちゃ」って。だから嘘をやめないの。それが問題なの。

なんかそれが、うまく伝わってないように思ったなあ。小さな嘘ならいいじゃないとか、優しい嘘ならいいじゃないっていうのは、嘘がいけないことだって分かってる人には通じるけど、そうじゃない子もたくさんいると思うんだよね、近頃だからね。

っていう、思いついたことをだらだらと書いてみた。おしまい。