生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ヘルツ第二章が終わりました

 おはようございます。昨日はカオスイベントヘルツ第二章がありました。なんつーか、想像以上にカオスですごかったです。


 このイベントの主催者は私の友人だけども、彼女は本当に、今までの人生に出出会ったことがないぐらい面白い人です。だから彼女の友人たちもみな個性豊か。個性豊か過ぎてまとまりなんてどうやって生まれるんだって感じでした。彼女の友達の一人である私も個性豊かということになるのか。ふむふむ。

 どんな人がいたかというと、志々島に住んでいる音楽家さん(船も持ってる)、体に触るだけで風景が見えちゃう人、体が音楽でできてるような人、体を空間に貸して踊りだしちゃうシャーマン的な人などなど。ざっくり言えば、今は行き場を失ったアングラ集団という感じもしなくはないけど、そもそも居場所なんてあろうがなかろうが、存在そのものがアングラだから常に浮いてるような馴染んでいるような、独特な濃い雰囲気の人たちということ。

 そういう人は社会性に欠けるような印象があるけれど、そんなことは全然なくて、話しかければみんなおのおのいろんなお話をしてくれる。みんな優しくて素直で素敵な人ばかりだった。その優しさというのは、絵にかいたような優しさではなくて、こういうのが「優しいんですよ」っていうお手本みたいなものでもなくて、ただただ、そこにいる人たちが発する音波(ヘルツ)が優しいという不思議な感じ。

 ひこさかのこり 彼女の魅力はとても文字では語り切れない。

 温厚でおっとりしている ひこさかのりこ を、私は何度となく怒らせたことがあって(同時に彼女も私を怒らせる)、それは私の自慢だ。二人で一緒に何かをすると、たいてい本気で喧嘩するぐらい衝突するのに、なのにどうしても一緒にやりたいんだよ!! という変な関係。

 私はかなり段取りって大事だと思っているのだけど、彼女は段取りとか超苦手だからしたくない人なんだ。だから私に任せりゃいいのにそれも嫌だっていうか話聞かずに勝手に行く感じ。彼女は自分がなんらかの学習障害があると認識しているが、確かにそういう傾向もなくはないが、私はかなり「そんなことはどーでもいい」と思っている。どーでもいいけどあんたが遠くまで歩き過ぎちゃって帰れなくなったら私が悲しいから迎えに行くから今どこだコノヤロー!! 分かんないようるさいよコノヤロー!! って喧嘩になる感じよ。基本的に超仲良しよ(喧嘩中はかなりひどい)。

 でも今回のイベントは彼女がひとりで企画して、考えられる限りの気遣いと準備をしてくれたことが分かっているから、喧嘩どころかおんぶにだっこでゲストとして参加させていただいた。なるようになるだろうと思っていたら、ちゃんとなるようになった。

 この企画、以前にも開催したことがあるらしく、当時のゲストたちは「伝説」と呼んでいた。確かに伝説だと思った。なんとなくだけどしっかり一日が終わったことが奇跡だなあって。始まりの挨拶もなくゆるゆる始まって、いつの間にか終わってしまったこのイベントを、失敗だと言ってしまうことは簡単だろう。だけど私は失敗だとは思えない。むしろ「伝説の中に偶然居合わせることができた奇跡に感謝」以上の以下もない。

 彼女が主催するイベントは、たぶんずっと「ヘルツ」というタイトルが頭につくのだろう。具体的な目的は「人と人とが奏でるヘルツを楽しむこと」。今風の「〇〇ができるようになる!!」とか「〇〇が分かる!」といった分かりやすい自分へのメリットはない。だけど確実に人のベースとなる部分に影響のある、実に不思議なイベントでした。

 次もあるなら絶対行こう~。

ヘルツ、、、
波動を表す単位をタイトルにしたイベント

[ふるえる、ふるえる]
を伝え合うことがすべての源