生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

ペンギン・ハイウェイ

ペンギン・ハイウェイ

ペンギン・ハイウェイ

  • 発売日: 2019/12/01
  • メディア: Prime Video

 こんにちは。id:t_kato さんがレビューを書いていたこの映画を、先日アマゾンで見ました。アマゾンありがたい。もうアマゾンプライムのない生活なんて考えられない(言い過ぎ)。

 あらすじはアマゾンから。

小学四年生のぼくが住む郊外の町に突然ペンギンたちが現れた。この事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした。未知と出会うことの驚きに満ちた長編小説。

 突然ペンギンや良く分からない自然現象や空想の生き物みたいなものが現れて、そして一斉に去り、主人公の少年がひとつ大人になるというお話。むちゃくちゃなようで、とても素晴らしい映画だった。

 この映画を見て、懐かしさというのはどこから来るんだろうかと考えた。私はニュータウン的な街で育ったわけではないけれど、この映画に現れる風景や人々はどこかしら「懐かしい」と感じた。幾分かは、私にもあった子供時代の記憶がこの映画の風景のどこかに「憧れる」からだろうなとは思う。でも本当の出所なんてわからない。DNAが懐かしがっている、でいいような気がする。

 成長過程で、日々大人になってゆく自分を、その自分が見た風景を、大人と言う生き物についての理解が深まって、失望と希望とを一日に何度も感じていたあの頃を。

 大人になったからこそ分かるんだけど、大人になったからといって何もかもが分かるようになることなんてない。おおむね分からないものの中で私たちは暮らしている。だから理屈でどうにも片付かないこともあるし、理屈でどうにか納得して次に進むこともある。でもこの映画を見て、放っておくことってかなり大事なことだったのかもしれないなって思った。自分が受け取るであろうエウレカ*1を信じること。

 古いお話、それこそ神話でも「人事を尽くして天命を待つ」という意味のことは書かれている。それが、できなくて、下手な理屈を列挙して、なんかちょっと違うなと思いながら「でもそういうことだよ」と納得して、進んでいくことの愚かさを再認識した映画だった。

 大人になると強くなる「分かる」という驕りが見えなくしているものを、こんな形で見せてくれてありがとう。本当にいい映画でした。

*1:ギリシャ語に由来する感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる。

雑多にいろいろ

 お疲れ様です。アルバイトに行くと、多い日では1000枚以上の写真を撮ります。腰がかなり疲れます。お疲れ様です(二回目)。

 最近のカメラはすごいもんで、重い曇り空の日でもまるで晴れの日のような写真が撮れます。すげーすげーとアホみたいに驚きます。でも現物と色が違う場合も少なくない。それでは意味がない。というわけで、素人ながら写真加工の技術もスキルアップしてきました。ファッション誌は本当にすごいと思う。同じアイテムでも雑誌が違うと写真も違うんだぜ。使いまわしなんてしないんだぜ(したら一発アウト、手抜きだと思われて仕方ないぜ)。

 カメラの練習をしている人は、毎日モノを1000枚ぐらい撮ると聞いたことがあります。聞いたときは「絶対できない、すごい」と思ったけれど、バイト程度でやるんだから、やったらできることじゃないかなと思うようになりました。なんでもやってみるべし。案外できるかもしれない。

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 連日ニュースでローマ教皇の姿を見ている。正直言って、こんなに人気がある人だとは思っていなかった。だから毎回びっくりする。でもキリスト教の偉い人だから、お姿を拝見したいという方がたくさんいるのも当たり前なのかな。いや、たぶん私の良く知らない世界があるんだと思うわ。でも今のローマ教皇が伝えていることはとてもよくわかる。5年前の私なら「きれいごとばっかりぬかしやがって」と言ったかもしれない。なぜ変わったのかというと、自分だけが苦労してきたような気持ちではなくなったからだ。みんなそれぞれに人生に苦しんだ経験があり、それでも今生きている。その程度は比較できるものではない。だから等しく扱おうと思うようになってから、えらい人とかすごい人の話がよく分かるようになった。

 ほかの人は知らないが、私は自分のことを「運がなくてけっこう苦労してきた人」だと思っていた。そういうスタンスでいても別に良かっただろう。でも目が覚めてしまったんだから仕方ない。違うんだ、運があろうとなかろうと(時々、本当に心底運がないねえって人もいるし)、今生きている、そこが一番大事なんだ。どんだけ苦労していようと、今生きているのは自分だけの力じゃなかったんだって思えることが、本当の意味で人を成長させる。

 なんか話ズレたね。

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 昨晩の夜、寝る間際に塩鯖が「ジャイ子は心が美人」と言った。その前に「しずかちゃんは顔と頭が良くてお金持ちが好き、家庭教師にもなびきやすい」と言っていたので、なんかすごい啓示か? と思ってしまった。しずかちゃんがあのままのキャラで現代に来たら、SNSを通じて誘拐されちゃうだろう。

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 ヴィンランドサガが面白くなってきて、毎回ウルウルしながら見ている。今はアシェラッドをめぐってトルケルVSトルフィンが決闘をしていたところ(アシェラッド姫みたいだな)。強すぎるトルケル、無謀すぎるトルフィン。そんな死闘を繰り広げている最中、クヌート王子はお目覚めし、真の王になる一歩を踏み出した。

 私は、クヌート王子は途方もなく絶望したから「愛」を知ったのだと思った。ラグナルがしてくれたことすべてが「愛」だと思っていたのに、それは「愛」ではなく「差別」だと聞いて、納得して、絶望したのだと。クヌート暴君フラグが立ってしまったようなものだ。でもラグナルが願っていたように、彼は大きく成長した。

 アシェラッドには誇りがある。誇りがあるからこそ戦ってこられた人だ。その誇りとは、戦士であるとか、戦いが強いとか、頭がいいではなくて、母への、父への、祖先への愛だと思う。彼が背負っているものは大きい。いや、簡単に死んでいくキャラクターたちの肩にも背負っているものがあるはずだ。でも多くの人は気づかない。気づくこと、それが愛だ。

 トルフィン、目覚めよトルフィン! 復讐のための人生ならば、きっと生まれ落ちてはいないんだ。

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 ツイッターで脱サラして農業始めた人が、直売所で〇〇を10個で100円で売ってる人がいて、自分もやってみたけど到底利益が出ないから、みんなもっと考え直そうよ見たいなことを書いていた。言いたいことは分かる。でも、田舎育ちだから分かる。全員が全員、利益のために売ってるわけじゃない。うちの両親は「売る以上は売る品質のものを」と考える人たちなので、たたき売りみたいな値段で出すことはないし、そんな値段で出すぐらいなら自家消費しちゃうと思う。でも、できすぎちゃったからお隣さんに分けてあげるわ感覚でやってるじじばばもいるだろう(だから品質やサイズなどはごちゃまぜ。当たり外れもある)、あるいは、売れれば何でもいいという考えで品質の悪いものを平気で出しちゃう人もいる。

 その直売所がどれほどのハードルを設けているのかは知らないが(でも話の内容から、直売所に置くための品質のハードルはないと感じた)、利益のために売りたいのなら、利益が出るように、売る人を選ぶとか、売り方を考える必要があると思う。それ以上に、作ったものの市場価値をシビアに見る目が必要だ。単に売り方を変えればバカ売れするとは思えない。消費者はそんなにバカじゃないし、もし当たっても一時期で終わるだろう。

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 農業ってブラックボックスみたいなもんなんだなと思う。いつぞや聞かれた「みかん農家になりたいんですけど、収穫期以外はなんのお仕事をされているんですか?」じゃないけれど、本当に知らない人が多いんだろうと思う。

 みかんなどの一年かけて栽培する果実だけで食ってる農家は、一年中みかんのことをしている。毎月給料なんてない。収穫時期に一年分の生活費を稼ぐわけだ。ということは、何キロ単位ではなく、何トン単位で作るのだ。スーパーのみかんいくらで売ってるかを思い出せばわかる。買えないような値段では売っていないはずだ(高級柑橘は除く)。

 たくさん作るから暮らせるほどの収入になるのだ。といっても、量ばかり増やして品質が落ちたら売り単価も下がるので、そこのバランスを見極めているのが農家なんだろうと思う。

 流行りのハウスいちごなんかは投資額もすごいけど頑張れば回収+できるから流行ったんだろう。何ヘクタールならば投資はいくらで回収予定はいくらという見積(?)もある。でも必ず投資が成功するとは限らない。自然と市場は担保のないものだから。

 でももう今の時代、会社員でいることが、イコール未来への担保ではなくなった。どこに行っても未来が絶対大丈夫だと保証してくれるところはない。頑張っても報われないときもある。それでも続けていくことがプロになる道だと思う。だから、好きじゃないとやれないんだよね、なんでも。

もうここにはない道

kato.hatenadiary.com

「分かたれた道の先」とか、よくわからないことを考えてしまうのだ。

 朝っぱらからid:t_katoさんのブログを読んで「分かるねえ」と思っていた私です。おはようございます。こたつにノートパソコンの季節がやってまいりました。最高過ぎて動きたくない。

 最近はもうほとんど考えませんが、昔はよく考えていました。あの時選ばなかった選択肢を選んでいたら、今私はどこにいたのだろうか。そんなこと考えるだけ無駄なのは重々承知の助ですが、考えずにはいられないほど「今ここにいる自分は自分じゃない感」があったんだと思います。誰かのせいにしたかったんだよ、そういう気持ちを、思い通りでない人生を。

 でもね、なにがしかの人生の節目っていうものは、自分が何を選んできたかという結果に過ぎないんですよね。誰かにそうさせられたわけでもなく、誰かに押し付けられたわけでもない。100歩譲って押し付けられたとしても、断ることはできたはずなのに、断らなかっただけのことなんです。だから本当に、全部自分が望んで選んだものなんです。

 というとね、諦めが肝心なのねと誤解する人も多いけど、悔いてることがあるなら、悔いてりゃいいと思うんです。ただ、悔い続けるのはきっと今まで通りのことだから、変えたいな、変えようかなと思うならば、なぜ悔いているのかその理由を探すべきだと思います。なんで後悔してんのよ、本当はどうしたかったのよ、と。

 たぶん一番認めたくないものが出てくると思う。そう、私なら「子供が欲しかった」とかね。

 でもいないもんはしょうがないし、子供がいない人生だからこそ得られたことがある。そう、叶えなかったからこそ得たものに気づくことができたら、後悔は終わると思うんですよ。でね、そういう心境って「諦め」とか「開き直り」とはちょっと違うと思いませんか? 違うんですよ、諦めても開き直っても後悔なんて消えやしない。後悔を昇華する方法は、それを叶えるか、叶わない今だからこそ得たものを受け取るかです。

 でもね、それでも時々やたらとリリカル*1モードになることがあります。平常運転していた心が突如リリカルという穴に落ちるみたいな。その落差が、一瞬にして絶望したときと同じ感じがして、でも絶望とは違って落ち込んだりはしないから逆に言いえぬ気持ちになって、私の場合は「ああ、おうちに帰りたいな」と思うんです。

 それが良いとか悪いとかはないんですけど、びっくりするんですよね、毎回。そんで、うちに帰って食事の支度をして、夫が帰ってきて家がにぎやかになると、とんでもなく幸せな気持ちになります。

 こういう複雑な心境を日々感じられるようになった自分が大人になったなあと思うと同時に、日々はとっても愛おしくて大事だなあと思うんです。

*1:感情や気持ちなどが、じんわりと外に現れるような雰囲気や文章などを表す言葉