生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

新海誠監督とお笑い芸人

 今日の雨は雲が厚くて部屋が夕暮れのようです。夕暮れでももうちょっと明るいよな。

 うちの朝はNHKニュース。今朝はこのニュースが目を引いた。

www3.nhk.or.jp

 「君の名は。」で一躍トップアニメーターになった新海誠監督の次の作品が公開されるそうだ。見るかな、見ないかな、うーん、見たいなとは思う。

 インタビュー内でこんなことを言っていた(リンク先の記事にもあります)。

僕はあれは、生き返らせる映画ではなく、未来を変える映画のつもりで作ったんですよ。

でも、「代償もなく死者をよみがえらせる映画である」「災害をなかったことにする映画である」という批判は、ずしんとくるものがあって。

 そう、私が「えー」と思ったところはそこ。ご都合主義にもほどがあると思ったから見なかったんだ。物語は嘘話である。それは重々認めている。だからこそ、あえて悲しい話は見たくない。塩鯖でいうところの「五色の舟」、私のなかでは「一つ屋根の下」。だけど私はどうしても「勇者数人が頑張ったら世界が平和になりました」という話は好きになれない。そんなに簡単だったらとっくに平和になってるよと思ってしまう。

 ここには大なり小なり、自分の人生に対する不満と後悔がある。頑張ったんだ、だけどなんにも変わらなかった。人生にはそういうことも多々おこる。むしろこっちのほうが多いのかもしれないとさえ思う。多分私は、頑張ったことを褒めてもらいたいのだ。だけど結果が出なかったことを褒めてくれる人なんてほとんどいない(たまに学校の先生が褒めてくれた人がいるけど、それはマジで超ラッキーなことだから、その一言を一生大事に抱えて生きてもいいと思うよ)。それでいじけて40歳ぐらいまで生きてしまった。

 それに対する後悔が僻みとなって、簡単なハッピーエンドをとてつもなく嫌うのだと思う。人生なんて苦しくて世知辛いものだって思いたいし、めんどくさくて厄介なものだと思いたい。失敗にめげない人を、能天気であほな人だと思いたい。でも、そろそろそのスタンスも終わりだと思っている。

 それは置いといて。

 新海監督へのインタビューを読むと、この人は本当にアニメーションを作ることが好きなんだなと感じる。

 デビュー作の「ほしのこえ」はち密な風景画のアニメーションを一人で作り上げたということで話題になった。たしかに圧巻の素晴らしい絵だった。でもストーリーという点においては不親切だった(その不親切さも好きだったわ)。

 私としては難解で不親切な純文学を書いていた作家がいきなりラノベでどっかんと売れた感じに見えてしまって、とても寂しい気持ちになったので見なかったんだと思い至った。けれど、彼の絵の美しさは「君の名は。」も変わらない。アニメーションだからこそ可能なことを追求し続けているんだと思う。それはアニメーションが好きじゃなければできないことだ。純文学かエンタメかなんてどっちでもいいということ、多くの人を対象にしたいのならば、エンタメに仕上げたほうが断然よかろう。

君の名は。」には、それだけ人を怒らせた何かが映画の中にあったはずで、怒らせるというのは大変なエネルギーですから、何か動かしたはずなんですよね。そこにこそ、きっと自分自身に作家性のようなものがある。

 批判が多かったということは、多くの人が見たということだ。批判に対してこう立ち上がったということは、とてもすごいことだと思う。

 少し前に宮崎駿監督が「頑張るのは当たり前」と言っている動画があった。頑張ることを評価するとかしないとかじゃない、頑張ったって芽が出ない人の方が多いのがこの業界だ、みたいなことを言っていて、いやいや駿さん、その業界じゃなくてもきっとそうなんだよ、と思った。けれど今はちょっと違う。アニメーションの世界は本当に駿監督が言った通りなんだと思う。尋常じゃないほどの思いを抱えて走っている人が、何人もいるってことだから(今敏監督が今生きていたらどんな映画を撮ったのかなあ、なんて思ったり。あの才能は恐ろしいほどだった)。

 日本のアニメーションは世界に誇れるクオリティだと思う。その裏には、たくさんの敗者がいて、今なお敗者復活をかけて努力を止めない人たちがいるんだなって思った。

 そしてこれが花火につながる。又吉直樹さんが書いた小説ね。この小説に出てくるのは芸人だけど、尋常じゃない「お笑い」への思いがある。

 私はお笑い芸人にそれほど詳しくないのだけど、1990年代後半ごろに若手だった人たちが今もまだ芸人を続けているのを見ると、いろんな気持ちになる。決して楽な道ではないだろうし、今はテレビというメディアの立ち位置も昔ほど確固としてないし、でもいまだに舞台もあれば営業もある。新旧が入り混じりすぎて、しかも先輩芸人とか大御所とかいろいろ気を遣う相手もいて、なんで芸人なんて大変なことを続けているんだろうと思う。

 その答えが、カジサックのチャンネルにはあった。単純に、純粋に、みんな「お笑いが好き」だからだ。人を笑わせたい人たちが、あの面白いネタを一切笑わずにガリガリ書いて、ガンガン練習して、繰り返し繰り返し見直して、来てくれたお客さんを笑わせようとしているのだ。改めて感じると泣けてくる(漫才見たら笑うけど)。

 結果を出すほどに頑張るってことは、まさにこういうことなんだと気づかされた。そして私のなかの「結果が出ないことなんてやりたくない」とか「頑張ってコケて恥かくなんて嫌だ」とか「でも散財ばかりして身にならない自分がもう嫌いだ」とか、塩鯖に聞かせたら「ふざけんな」と言われそうな泣き言ばかりが出てくる。そんなとき、カジサックに出ていた芸人さんや新海誠監督の話を思い出そう。

 私が好きなことって何かな。ここのところずっとそれを問うている。たぶん「Life is Simple(人生はシンプル=無駄がない)」を実践することだ。今まで十分に考えてきた、多分誰よりも考えてきた。根っからポジティブでもない、人気者タイプでもない、さほど賢くもない、ほどほどの運を持った人が、どうやったら今までの人生を全部使いきって、シンプルに「生きること」に臨めるのか。そして、そうしたときに見える景色はどんな風なのか。

 このブログのタイトルは「生きるとは自分の物語を創ること」だ。それを実践するためには、何一つ誰にも権威譲渡せずに自分の価値基準で未来を組み立てようとしなければならなかった。

 今、騎士団長殺しを読んでいるのだけど、序盤は主人公がゼロになるところから始まり、雨田具彦という日本画の重鎮が、若かりし頃洋画家から日本画に転向した(洋画の経験をゼロにして日本画に転向した経緯)に差し掛かるところまで読んだ。ゼロになること。これが最近の私のパワーワードのようです。

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 昨日も見事にニコチン切れになり、息も絶え絶えで塩鯖に八つ当たりしました。電子タバコのリキッドが切れてね(リキッドがないとニコチンが補給できない)。もう最悪だった。だからニコチンを絶とうと思うことを止めようと思う。そして、ニコチン代だろうとカメラ代だろうと、欲しいものは自分で稼いだお金で気持ちよく買おう。

最近のブームはYoutube

 おはようございます。最近のブームはYoutubeです。なんだかんだいってよく見てる、それもかなり、内容をよく見てる。

 Youtubeは危ないメディアだと思う。あっという間に時間が過ぎる。私は変なところが神経質だから、少しでもイラっとするものは見たくない。そのために、たくさんのイラっとするものを見る羽目になる。大いに愚かだと自分でも気づいている。しかし良質な配信者に出会うためには、いくつものクズを見なければならない。

 車をN-BOXに買い替えるにあたって、キャンパーたちの動画をいくつも見ている。車紹介動画ももちろん見たけれど、車紹介はぶっちゃけウザいのが多い。マニアが多い分野だから仕方がないが、私はとにかく品がないものは大嫌いなんもんで。品がないものが多いってことです。

 で、キャンプなんてやる予定もないのに絵面にひかれて見始めたこのチャンネルがとても面白かった。

www.youtube.com

 嫁が可愛いと評判だが、旦那の頭の回転の速さも気が利いてると思う。この二人は、バン(マツダボンゴ)で日本を旅しながら暮らしている。収入源はYoutubeとブログなのだそう。みんなの憧れ「成功しているノマドワーカー」というわけだ。

ノマド
ノマドワーカーは、ノートパソコン、スマートフォンタブレット端末などを使い、Wi-Fi環境のある喫茶店など、通常のオフィス以外のさまざまな場所で仕事をする人を指す日本語の表現。 また、そのような働き方を、「ノマドワーク」という。

 私が持っていた「ノマド」の印象は、某有名な炎上商法の人のおかげであまり良いイメージはなかった。炎上商法を意図的に使う人って、世の中を、読者を視聴者を、バカにしているのかな? と思えてしまうのだ。人を利用するということが既に下品だと思う。

 ノマドに対してネガティブな印象を持っていたわけだけれども、このご夫婦の考えを知ると、いろんな意味で考え方が変わってきた。決して楽をしているわけではない、努力も勉強もきちんとしている。そして自分たちが就職していた時期の経験を評価して、しっかりと使うことができている。

 まだ30歳にもならないこの二人を見ていると、若くしてこう考えることができるなんてすごいな、と思う。私なんて40歳前まで「自分にとって都合の悪いこと、面白くないこと、予期せぬ不幸は全部他人と世界のせいだ」ぐらいに生きていたので、ホントに本気で反省したよ。

www.youtube.com

 で、次にいいなと思ったチャンネルがこちら。じじい、超かっこいいじじい。率先して顔を出さないスタイルの動画で、全然かっこつけていないところがかっこいい。仕事が丁寧で合理的で器用。だから参考にしている人も多いだろうなと思う。たくさん動画があるのでのんびり楽しませてもらいつつ、羨ましいスタイルは真似したい。

 じじいだから金と時間があるのかもしれない。だとしても、こんなに楽しそうに遊んでるじじいがいたら、一緒に遊んでほしくなる。

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 塩鯖と二人で、車中泊やキャンプの動画をいくつか見ていたときに塩鯖が「ナルシスト多いな」と言った。だから、一人でこの動画を撮るためにしなくてはならないことを考えてみた。

 一人だから映像としては固定されたカメラからの撮影(誰か撮影者がいれば、動きながらの映像だってあるはずだ)。靴紐を結ぶにも角度を変えて何度も撮って、小道を向こうから来る絵のために、一度通ってカメラをセットして改めて歩いて、小さな薪をわざわざ置いて拾い歩く絵を撮って。この動画の目的は『俺プロモーションビデオ』ということだ。うん、よほどその人のことが好きじゃないと1,2回見たらお腹いっぱいになるよね。

 こういう「俺プロモ」や「俺の持ち物プロモ」みたいな動画も多く、再生数もかなりいってるのも事実だ。世の中にはいろんなニーズがあるってことに少し驚いて、まぁまぁ気持ち悪いなと思った(正直ですみません。ついでに、私は知ったげにググればわかることを書いている情報系ブログも同じぐらい嫌悪しています)。

 大なり小なり、視聴者の期待に応えよう(それが視聴者が勝手に持ったイメージであっても、キャッチして誠実に楽しませようという気持ち)という気持ちがなければ、かなり気持ち悪いことになるんだなと思う。

 この点は、本当に気づけて良かった。私自身も反省すべきところがたくさんあるから。

 あと必要なのは、コンセプトやターゲットなどきちんと決めていることも大切だろうなと思った。ま、このブログはメモ帳だと思っているのでコンセプトもくそもないし、占星術の方もターゲットを絞り切りれなかったところがいろんな意味で失敗だったと思っている。次に新しいブログを作るなら、狙いを定めて知名度を上げ、自分をブランド化できるぐらいの支持を集めてみたいな。

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 そうそう、これを書いていてふと思った。ハルキストって俺プロモを崇拝する人たちと同等と思われているのかもしれない。だとしたら相当キモいのはすごく分かる。

 私としては春樹の小説の面白さは、小説のなかに直接的に描かれていない世界にこそあると思っている。だからスパゲティをゆでなくても、サンドイッチを切らなくても、なぜかセックスには困らない状態にならなくても、春樹の作り出す小説の世界は十分に楽しめるのだ。そして、同じ小説を読んだ人同士が集まってあーだこーだ言う必要性もほとんど感じない。なぜなら、その物語に直接的に描かれない物語とは、その人個人だけが持つ(逆に言うとどれだけ親しくても共有できない)物語のことだからだ。

 そもそも、小説が情報を得るためのものであれば、小説である必要はないのだ。小説は小説でなければ得られないものがあるからこそ、小説なのだ。トレンドだろうとベストセラーであろうと、私の心に深く一歩踏み込んでくるものこそが小説だと思っている。そしてそれは、一回読んだだけでは出会えないかもしれない。何度目かの再読で初めて、心に踏み込んでくるかもしれない。小説ってそういうもんだと思っている。

すごく便利がられるスキル

 今日はとりとめもなく。やや愚痴になるかもしれない。

 私はパソコンでどうのこうのするのが好きで、IT関係の仕事についていた。でも、学生時代からハード方面はからっきし興味がなく、LANもWifiもろくすっぽ分かっちゃいなかった。パソコンも一度自作をしただけで一生分の満足を得たし(二度としないぞ)、プリンタも紙詰まりが起こらなきゃなんでもいい。要するに、機械オタクではないわけだ。

 IT業のころからうすうす気づいてはいたけど、やっぱりITに関する一般人の認識はかなり誤解があると思う。ITというか、今は「パソコンとスマホ」と言ってもいいかもしれない。これの総称なんて言えばいいんだろう、インターネットに接続できる機器とか? まぁそのあたり全部が「得意なんだね」と言われるのが困る。

 例えばGmailで新規アカウントを作る。これぐらい誰でもできるだろうと思うが、誰もやろうとしない。本当にGmailの意味が分からない人もいれば、面倒さに負ける人もいるけれど、総じて感じるのは「諦めは5秒」だ。なかなかの速さだと思う。

 おおよそ見当はついている。みんな「めんどくさいのが嫌い」なのだ。そして、そのめんどくさいことをするのが「ITスキルの高い人」という認識なのだ。

 昔IT業だったからという理由で今請け負っているのは、アマゾンの欲しいものリストから買い物する係、ブログ更新係、SNSのパスワード管理係。残念ながら専門学校で学んだことや、就職してから磨いたスキルは一つも使わない。

 いや、よく思い出してみよう。確かSEだったころも本業の設計書の解読やら設計書作成について、お客さんから感謝されたことは一度もない。仕事だからそうかもって思うけど、一方でExcelやWordの効果的な使い方、特にショートカットやファンクションキーの使い方はものすごい感謝された。おかしな話だ。それこそググれば出てくる。そして常駐型の場合、我らが使うパソコンからはほぼGoogle先生にアクセスできないが、お客さんのパソコンからはアクセスできる状況だというのに。

 現場から離れた今、ExcelやWordが、アメーバブログGmailやアマゾンになっただけなんだなと、思い至った。

 いつだったか、AppleIDのパスワードが分からなくなったと友達が言ってきたことがあった。再設定ができないので手伝ってほしいと。お安い御用よと手伝ったが、その時設定したパスワードがほぼ文章だった。こりゃまた失くすなと思った。でもあえて言わなかった。私は、試行錯誤や四苦八苦があって初めて効果的なパスワードの作成ルールが自分のなかで培われるものだと思っているからだ。

 でも多くの人が嫌がる理由もちょっとわかった気がした。自らが恐ろしくハードルを上げている人も少なくないのだろうと思う。

 パソコンはちょっとやそっとじゃ爆発しない。カード情報の入力もしていないのにカードが使われることもない。入力していない個人情報が盗まれることもない。

 それより怖いのはSNSへのリアルタイム投稿(写真付き)だよ。なにかあるとしたら、その種は自らがばらまいていることの方が多いんだよ、と私は思う。

 私が持っている資格を有効に使おうと思ったら、IT関係の仕事に就く以外にないと思う。しかし私は、終わらない雪かきどころか宇宙のデブリ回収(宇宙のごみ拾い)にほとほと疲れた。だからやっぱり戻ろうとは思わない。

 資格を取ること自体に投資もしてもらったし、時間も書けたし努力もした。でもそれ以上に(いやむしろ、それ自体はほぼ感謝などされることがなくて)、現場で身に着けた「ニュアンスでしゃべられる要求を聞き取る能力」が最も役に立っているように思う。それはそれで当然嬉しいことなのだけど、なにやら釈然としないのでありました。

 今後磨くとしたら、要求に対しての答えや行動を、相手の満足度に比例させる能力かな。はがき印刷が上手にできないという人に対して、印刷設定の方法を教えるよりも代わりにやってあげたほうがいい、ということのように。ああ、まだ自分主体から離れられない。人の為より自分がしたいようにしたい。修行が足りないなあ。