腹が痛いと性格が悪くなる病気です

 おはようございます。ガンダムと歴史大好きな塩鯖を持つエッセイストです。

 今朝、起き抜けにぼんやり「何書こうかな」って呟いたら、塩鯖が江藤新平を推してきた。歴史の話しから得る教訓はとても意味があるものだが、寝起き早々の江藤新平って私の頭がついて行くだろうか。否、無理。

 先日のココイチカレーでガンダムドリルをもらった。とても優しい、塩鯖全問正解。けれど、誰しもがシャアになれるわけではない。あれは鬼子だ(byセイラさん)。そしてすぐにコロニーを落としたがる。まさに鬼子だ。でも一番鬼子なのはセイラさんだと確信している。お前が一番なんの役にも立っておらず、自分のやりたいことだけやったんだぞ。

 私は大人の年齢になって久しいけれど、迷うことはある。なんでも答えを知っているわけではない、むしろ知らないことの方が圧倒的に多く、痛い思いをしたらビビっちゃって次から避けて通るぐらい、経験を役立てられないタイプではある。

 しかし、道ならぬ恋に関してだけは大人だ。ソウルメイトとかツインレイとか、運命の何とかとか、後になったらそれはまったく意味がない。もし万が一意味があったとしても、だからってそれが免罪符にはならないものです。だいたい苦しんでいる原因は自分が作っているんだ。

 欲求にどれだけ理由を付けようと、欲求なのです。そして欲求とは、自己都合なもんなんです。

 鬼子の私は、修羅場でソウルメイトとか口走ったら、相手の方が「このスイーツ(笑)はヤバイ」って、ある意味では相手が愛想をつかす理由になっていいかも、って思ったりします。だいたい本気で底意地が悪いんです。体調も悪いし。そう、今日は体調が悪い。どうしよう。またも真夏日のポスティングだというのに(※大雨の中はさすがに行けなかった)。

妹ちゃんが父の日も頑張ります。今、クッキーづくりの動画を撮れと伝えてます。編集私。きっとiPhoneでやる。
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迷走するかと思いきや、意外といいこと書いたんじゃない!?って思うけど、だいたいこういうのは受けが悪いって知ってる

 おはようございます。ココ壱番屋のカレーが好きなエッセイストです。5月末までの大人のスパイシーカレーは唸るほどおいしい。

 昨日は塩鯖の病院の日で、私はおまけでついて行った。塩鯖はまだ投薬が多いため、めざましいほど良くなっていたわけではないが、とんでもなく悪くもなかった。これはいいこと。しかし血圧が測定不能なほど低かったそうだ。私は、いつもと変わらず。午後からの診療だったのでお昼を抜いていたから、診療が終わってからココ壱番屋に行ったのだけど、そこから転がるように調子が悪いというかいいというか。

 まず帰宅したら眠いので寝た。食ったから寝るみたいなシンプルさだが、私にとってお昼寝は危険なのだ。その後目覚めた19時、調子が悪い。20時、微妙に調子が戻らない。21時、塩鯖が寝るというので一緒に寝たが、寝つきが悪く、そして寝起きの今もパッとしない。惰眠をむさぼったんだからそりゃそうだよと思うけれど、それにしても、もう少しスカッと寝てスカッと起きたい。

 さて。

 アメフト問題揺れてますね。伊調馨さんの件もお腹に怒りが湧くものだったけど、このアメフトくんについては正直微妙なところ。確かに関わった大人が卑劣なことして当たり前だ、むしろやらないお前は元気が足りない、闘志が足りない、というのは非常識ではあるが、本当に「言われたからやったんだもん、そのあとで嘘つかれたから頼れる大人に頼ったんだもん」でいいのだろうか、と思うんだ。

 いやいや、彼だけを責めているわけではない。スポーツ特待生独特の重い約束が顔を暗くする姿、「スポーツを何より優先しなければいけないんだ私は、これは学校との約束なんだ」と精神的に追い込むシーンは存在すると思う。特にスポーツって「根性」「闘志」という争いのエネルギーだから、常に誰かを追い越そう、一番になろうという気持ちがない限りは、ほぼ自己発電で戦いのエネルギーを生産し、そのため、そのほかへのエネルギー(勉強、恋、友情、学校外の遊び)を使い果たしていたように思う。

 私はスポーツが好きではなくて、かつ下手くそなのだが、スポーツが好きではないけど人よりできる人とか、スポーツは好きだけど争いは嫌いでスポーツできる人とか、色々いると思う。ニュースを見るにつけ、あの子は本当にアメフト好きだったのかな、って思えてならなかったんだ。もし本当に好きでなかったのなら、遅かれ早かれ「やらされてた感」でダメになってたんじゃないかなって。

 当然、彼を追い込んだ大人に問題がないわけではない。然るべき処罰を私も望んでいる。けれど、子供が思っている以上に、ズルい大人、卑怯な大人、道徳から反する大人はいるものだ。いるからいいんだ、というわけではなくて、簡単に排除できないんだ、ということ。結局そういうところが戦争に繋がる。

 最近は特に多い気がする。やらされているのか、できるからやってるのか、本当に自分が好きでやってるのかが、分からない人。評価や成果や結果だけのために、人はやらされ続けることはできないんじゃないかって思う。

 スポーツにしろ、仕事にしろ、たいていのことは自分との闘いが基本だと思っている。目の前に壁があると感じたとしても、それが「誰か」であることは、実は少ない。たとえそれが人の形をしていても(人の足を引っ張ることに命を懸けてんのかいって人もいれば、過去の権力(空気でできた死神の鎌)を振りかざす力のない老害もいるし、恋愛中と勘違いしてセクハラまがいのことをするおっさんだってうようよしている)、どう対処するかはその人の人間力や実力なんだと思う。

 まぁ、人の形をしていたらまず「うっ、こいつうぜーな」と思うのが心情だし、私もそう思う。だけども解決するのは自分であって、誰かを期待して待っていたって、ストレスがたまるばかりなのだ。チクっと言い返してやりたい気もするし、実際何度もそうしてきたが、おばさんはな、思うんだ。チクっと言い返したことは今でも心にトゲが残っているんだ。そうじゃなくて一度でも真っ向から喧嘩したり、自分の正しさを訴えていたりすると、トゲではなく、その結果が心に残るんだよ。だから自分のために、真っ向から立ち向かう経験って大事だなあと思うんだ。

 そもそも、自分がその人の形をしたストレスに当たってムカッとしてるときって、たぶん自分の中で消化しきれてない理不尽に「まだ」怒っているからってことが多いから、本当はそこを解決してやるのがいいんだけどね。それはきっと、誰か一人でもいい「理解」を示してくれていたら違っていたこと、なんだろうと思うんだけれどね。

オードリーのNFL倶楽部 若林のアメフト熱視線 (Number Books)

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かき氷シーズン到来

 おはようございます。ため息のごとく本音が混じるエッセイストです。それほど素直ではありません。いやホント、意外と自分を常識でぐるぐる巻きにしてるもんよ。

 昨日、初めてはてブがついて感動した。おお、うちにもその機能あったのか的な。うちははてなダイアリーのころから記録機能ばかり使っていて、ほかの機能を使ったことがないのでね。はてブっていわば公開ブックマークだろ? 昔はブックマークって大事だったのにね、今はググることがブックマークの私。

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 さて、暑くなってきた。ポスティングに行った日が最高潮に熱い日で、それからは朝晩ちょっと肌寒い日が続いているけれど、香川県ではかき氷店が色とりどりのかき氷をSNSに掲載する時期になった。

 私が足を運んだことがあるのは仏生山温泉とひむろさん。どちらも、ソースにこだわりがあって見た目が良くてお店もきれいで素晴らしい。仏生山温泉は温泉後に食べられるんだからそりゃ至福だろうと思う。ちなみにこの温泉自体が洒落た建物。ひむろさんも「マジでここらへん店あるん?」的な何もないところにある。最近、四国のウユニ湖と推しているとこらへん。

 サイズ的には仏生山温泉のかき氷がベスト。パッと見は小さいぐらいだが、食べてみたらかなりちょうどいい。美味しく食べ終わるサイズだ。

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仏生山温泉の黒糖ミルク
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仏生山温泉のキウイ。
 見た目はキウイのほうが楽しいが、黒糖ミルク美味しかったなあ。

 ひむろさん、ひだまりさんは見るからにでかい。実際ひむろさんのかき氷はでかい。エアコンの効いていない屋外で食べたとしても、途中から凍えるのが見えている。ならばエアコンの効いた室内だとどうかというと、1/3ぐらい食べた時点で終わりが見えない雪山崩しと化す。軽く拷問だったことを覚えている。

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ひむろさんのレモンヨーグルトと野イチゴ系の何か。サイズ感お分かりになる?

 だから足を運ぶ気にならない。ならないんだけど、一度はひだまりさんに行きたい。できれば2人で1つ食べたい。でもな、大人は1人1つだよって言われてそうな気がする。確かひむろさんはそうだったと思うんだ。ならばハーフサイズを置いてほしい。なんとか映えしなくてもいいから。

若いころはエネルギーそのものであるが、年齢を重ねると重圧以外の何物でもない虚栄心と都会のこと

 おはようございます。普通の人代表エッセイストです。もう1~1.5時間眠りたい(起きたの4時半)。

 「すべての始まり」が1巻になります。2巻であるこっちのころは、課金してたからちょいちょい読んでいたっぽい。

 吉本ばななさんでなくとも、同じように感じている人は多いんじゃないかなと思う。消費社会への疑問、うっすらと漂う詐欺っぽさ、嘘っぽさ、薄っぺらさとか。かといって、田舎ライフも知っている私は、横溝正史の世界もいいとは言い難い。ただ、目の前に海なり山なりがあって、自然があって、自分で食べ物を何とかできる環境があれば、いくらでも人以外のところに時間を使って向き合うことができる。

 たぶん彼女がほかでも書いていたけど、すっごい綺麗で愛想も良くて、SNSでもフォロワーめちゃくちゃいて、っていう人の何割かは、突然発作のように周りと縁を切り始めるんだそうだ。そのやり方がまた病的で、昨日まで「うわ~! お元気ですか? お会いしたいです! わざわざありがとうございます!」みたいな反応だったのが「知りません」みたいになるんだって。これをばななさんは「余剰エネルギー(嫉妬心・虚栄心)」のせいだろうって書いてる。

 分かるなあ、すっごい綺麗で愛想も良いわけではないが、SNSの場でそう振舞ったことがある。嫉妬心・虚栄心だけではないだろうが、なんかね全部どうでもよくなって消しちゃったことがある。発端は虚栄心、そう虚栄心だっなあ。あと、自分がややこしくした人間関係。おおむね自業自得です、はい。

 はてなブログはつかず離れずの距離(むしろ孤独の方が強いと思うのだが、道端のお地蔵さんにそっと供えられている新しいアルファベットチョコレート2つ、みたいな感じだ)だからか、ええい消してやるわ! と思ったことはないけれど。

 私は概ね平和なうどん県から出ることもなく、ネットやSNSにべったりということもないので、きっと世情には疎いだろう。だけど1つ分かることがある。東京の元気のなさだ。とてもとても、遊びに行こうっていう気持ちにならない。もともと都会に憧れが少ないタイプではあるが、それにしても昨今の東京の魅力激減には不思議を感じている。

 私は決して「田舎最高! 人は田舎で人を取り戻すのだよ!」とか思わない。ここはいくら大好きなばななさんであろうと、迎合できない。むしろ、若いころは一度は都会に出ろ(大海を見よ)と思う方である。だけどなんだかなあ、台北でも感じた「つまらなさ」は世界中の都会で起こっていることなのかもしれないなって思う。これは勝手な推測だが、画一化された街づくりもひとつの原因になってるんじゃないかなあって思う。効率のために、美しさのために、人が安心して住んで働けるために。そのはずなのに、妙に人同士はよそよそしく、警戒心が強い。おかしいな、そういう街づくりしてたんだっけ?

世界がもし100人の村だったら

世界がもし100人の村だったら

 私は思うんだ、人がいれば殺人はいつかどっかで起こるかもしれないし、不慮の事態は起こるだろうって。田舎は人間が少ないだけで、何十年も「あそこのあの人は性的に問題がある」っていう人が普通に生きてたりもするのが田舎だ。田舎だから、都会だからという問題でもないと思う。

 とすると、やはり効率重視の時間の使い方や、生産の犠牲になった自由、あるいはなんでも「起こらないようにしようと塗り固める」ことが問題なのかっていうと、それもなんだか悔しい気がする。だって「考えることを放棄した人間」みたいじゃないの。たぶんもっと「人力ではどうにもできないこと」とか「機械化することで得られることと、得られなくなること」「殴られたら人は痛いし、殴ったほうも痛い」ってことに価値を見るべきだったのかな、と思う。最後のはいらんかも? いるかも? もう少し考えてみよう。

 メーガンマークルも出ているスーツ6を見始めた。どうしても「ロイヤルウェディング…」という目で見てしまう。別に構やしないだろうが、このドラマはどちらかというとゴシップ的な、古くはビバリーヒルズ的な要素の方が強いので、大いにゴシップ的な視線になってしまうのだ。マイク・ロス(劇中の婚約者)とは結婚しなかったか、やっぱりマイクは肝が据わってないからな、とか思いつつ、出てくる女性のスタイルの良さに同じ人間とは到底思えない私なのでした。

正解が出せないものもあると書いておきながら、大いに内容は「うぜー」と言っている記事

 おはようございます。書きだした時点ではどんな記事になるのか見当もついていないエッセイストです。

 ここを読みに来てくださるくびたおるさんのブログを久々に見ようとしたら、プライベート設定Σ(゚д゚lll)ガーン 気づかなかった自分にびっくり。そもそも行脚を怠り過ぎておりました。いつも星をくれるのに申し訳ありませんでした。解決、id:kubitaoruさんははてなダイアリーを使用されております。スタークリックだとブログに飛んじゃうから「ぎゃー!!」ってなるんだね。LINKから行けよ私。

 ここ数日、本を読んでいないので見事に書くことが浮かびません。いや、日中は「あ、これ覚えてたらブログに書こう(めっちゃいいこと思いついた)」と思うのですが、寝て起きたら忘れているのです。その程度のことってことだから、口惜しさはほとんどないのですが、昨日の自分なにをしていたんだろうか、と愕然とします。

 子供という漢字は差別になるから「子ども」と書くべき、という考え方があります。理由はこちら。

・「供」は「お供」、あるいは「供物」などと、下の者やささげものといったニュアンスがある。よってこの字を使うべきではない。
・「供」あるいは「共」は、複数の人間に対して使う蔑称である。それを連想させる字を使うべきではない。
引用元:えっ「子供」が差別用語ですって? ご冗談を…「子供」を「子ども」と言い換える気持ちの悪い自主規制は撤廃されるか | Pouch[ポーチ]

 文部科学省では「子供」で統一と言ってるそうですが、無根拠のこの「っぽくない?」的な発想が一部で市民権を得ているようで。といってもこの記事2013年だ。でも私もこのご意見をつい最近見たところ。理屈も全くこれと同じものだった。

 我々はどこまで見えない何かに配慮しなければならないのだろうか。私、あまり神経が行き届いている方ではないから、差別用語狩りに出くわしたら大変だと思う。このとき主に大変なのは私ね。もちろん議論する気もないし、神経をすり減らしながら公開されるブログを書いているわけではないから「無神経」と言われればそうだろう。だからひとまず謝ってその場を収め、直す、、かどうかは気分次第。

 今こそ喫煙家は肩身が狭いのが当たり前になっているけれど(いいえ、異議はありませんことよ。場所さえ確保してくれればいいんです)、それでも自宅などのプライベートが守られている場所であれば特に猛烈な苦情を訴えられることはないわけで、だからそれほどストレスにならないのだけど、差別用語狩りに関してはいきなり人格にまで及んでくるから始末が悪い。こう言うことで怒る人は何に対して怒っているのだろうか。

「男は女より賢い」というと差別になる、しかし「女は男より賢い」といっても問題がない。私はこっちの方が問題だと思う。女の私はそう思う。

 単語に罪を着せたとして、何か解決するんだろうか。

 なんか釈然としないなと思うのは、やっぱり私は「そんなに神経質にならなきゃいけないものなの?」と思っているからだ。公的にルールが決まったからこうしなさい、と公表されたか否かは問題ではなくて、明らかに見下していることが語源だろうなと思うものはあえて使う必要もなかろうと思うが、あれもこれもと増えてこられると対処しきれず辟易する。というのが本音のところだ。

 昔々、私が7歳ぐらいのころのこと。父とその友達が集まって飲んで食ってくだをまく会があった。そのとき父たちが話していたことが、こういう感じだった。「子供の未来の選択権をどこまで許容するか」について「①上も下も見せてから選ばせるのが自由だ」という人と「②この家に生まれてきたからこの家が基準になって当然ではないか」という人と「③きっちりレールを敷いてやっておけばレールを進む」というもの。どれが正解だ、普通だ、ということはないのだと思う。大人になってさえそう思う。

 多数は正義ではない。かといって少数も正義ではない。私たちはどこまでも相対的にしかものを見られないのかもしれないし、それは私だけなのかもしれない。「かもしれない」の連発になるようなことは、あえて正解を突き詰めない。良くも悪くも、きっとこれが健康のしるし。

 吉良上野介は悪人だと伝えらえているが、私としては大石内蔵助は昼行燈だというほうが、よほど不名誉なことに思える。だがしかし、これもちょっと愛嬌があっていいような気もする。

久々に印象的な夢を見た

 おはようございます。休みの日ほど早起きしてしまう子です。今日、塩鯖はお休み。

 最近は夢を見ることが少なかったのだけど、今朝は2度同じ夢を見て、もう見たくないなと思って起きた。だからちょっと怖いかもしれない。

 私はとあるお店に誰かと一緒に行ってました(塩鯖だったかなあ)。古いうどん屋のような、駄菓子屋のような、全面すりガラスの引き戸ね。全部閉まってるので「やってないのかなあ」って思ったら、どうもガラスの向こうで人の気配がする。少し待ってみようと車に戻って店を見ると、すりガラスの向こうに鬼の面を付けた誰かがこちらを見ているのですよ。横溝正史の世界よこれ。

 うわ、怖っ、って思いながらも車からは下りずにいると、すりガラスの向こうの鬼の面は離れたり近づいたりして、奥に消えたのね。そして戻ってきたときには何か字の書いた紙を持っていて、すりガラスに押し付けているのよ。距離があって見えないから近くによるとそこには、黒い文字で「呼ばれているぞ」と書いている。ああ、気味が悪い夢……。ここで一度起きたね。

 トイレに行って気を取り直して寝たら続きなのさ(トイレでしっかり目を覚ましたのに涙)、それも前回終わったところから。鬼の面は紙を持ってすりガラスにずっとその紙を私に見せていて、私はその紙を見ている。するとその紙の黒い文字の上に、赤い文字が書かれてゆくんだ。「お前は、呼ばれているぞ」って。鬼の面はゆらゆらと揺れながら、ずっとこっちを見ている。

 という夢を見たので、もう続きを見たくないから起きましたとさ。寝起きは「ほっ、現実に戻ってこれた」っていうぐらい怖かったっす。二本立ての映画が同系統だった的な? いや、もうちょいダメージ大きい。そして、字の内容はこれなんだけど、書かれていた字は違ったような気がするんだよなあ。夢の話しって本当に雲をつかむようなものなのでモヤモヤしっぱなし。

 katoさんは夢は落ちがないって書いてたけど、確かに落ちがない。けれどこの夢の落ちは見たくないっす。どこに呼ばれてるんだろうね、私。イギリスのグランストンベリーか、台南か、北海道か、中国の奇岩地帯武陵源か、あるいはバリ島、タイ、ホーチミンだったらいいな。全部行きたいところ。そーゆー感じは一切ない夢だったけれどね。

 まったく、休みの日にこんな早起きしてどーすんだ。仕事しよう。ううむ。

ユーミンは魔法使い

 おはようございます。根性なし子です。久しぶりのポスティング、根こそぎ体力を持っていかれました。

 タイトルは道中で久しぶりに聞こうと思ったユーミンです。ちょっと考え事もしたかったので、ユーミン聞きながらと思ったんだけども、ユーミン流すとユーミンに集中するのなΣ(゚д゚lll)ガーン というわけで、10分でユーミン終わり。

 私はユーミン世代ではないので、生まれたころからユーミンはいた。日曜日17時からの「松任谷由実 サウンドアドベンチャー」は18歳ぐらいまで聞いていたので、私の中の大人のイメージはユーミンのラジオ番組にお便りを出す不倫に悩むソバージュの女性なのです。あの頃はなんにも分かっていなかった。少女コミックを読み始めても、不倫は出てこないしな。

 生まれたころからユーミンを聞いていると、良いとか好きとかそういった感情も起こらない。やはり音楽こそ共感と感動(あるは強い感動)があってこそ、これいい!!って思うんだろうね。だから私は今更「ユーミンすげぇ」って思ってます。考え事を許さないユーミン、すげぇ。

 普段これの1/3しか動いていないもので、かつ昨日はアホかバカかというほど蒸し暑かった。水分を持って歩いたり、車で移動したりしていたものの、見事に削られました。ちなみに昨日ポスティングしたのは高松空港付近。私は瀬戸大橋の根っこ近くに住んでいるので、いわば遠征です。

 香川県は道を作るのが大好きなので、けっこう道には恵まれていると思う。けれど、空港が遠いのが難点。そして遠い空港らしく、周りは超絶田舎です。だから車で移動して、適度な広さの場所に駐車し(誰にも目を付けられませんように!!って祈って)、走ってポスティングするのです。これが住宅地ならば楽かというと、まったく当てはまりません。住宅地の方が縄張り意識が強く、監視の目も厳しいので、車を停めることができないのです。だけども住宅地の近くに都合よくコンビニがあるとか、公民館があるというわけではない(※公民館は田舎の集落の方が高確率で中心部にある)。一度は墓地に停めたこともある。今回も墓地に行こうとしたんだけれど、ラパンでさえチャレンジングな道幅だったので断念しました。

 ポスティング泣かせはやはり田舎の大きなお家だ。ポストの場所が分からない。あるいは見えているのにたどり着けない、道が分からない家も泣ける。そしてそして、私は犬が大好きだが、実は犬が怖くないわけではない。吠えられるとびくっとするし、ぼちぼちちゃんと怖い。犬の鎖が届くところにポストを置いてるハードコアなお家はほとんどないが、時折ノーリードの強面がいたりするので肝が冷える。来ないよね? 大丈夫よね? と思いつつにじり寄ると、表情の少ない顔で(たぶん犬的には好意的な顔)てってって、と歩いてくるのだ。犬好きではあるのだが、こういう時かなりの恐怖を感じる。

 速攻で汗だくになり、お腹もすいたので「かわたうどん」さんへ。近くには石丸製麺所もあるけれど、店舗が見当たらなかった(見つける元気もなかった)のでここね。店は観光客向けらしくフルサービスの広々としたつくりだけれど、接客等々行き届いてて気持ちいいね。ただ、値段が高いので「背に腹は代えられぬ」の思いだったけど。梅ぶっかけ610円。

 食べログもだけどGoogleレビューも本当に当てにならない。まぁ、店が汚くて店員も普通なんだけど味が絶品とか、その逆も往々にしてあるお店だろうけれど、観光客向けだからナンセンスとか私は思わない。むしろ客が入っているということは麺が循環しているから美味しい麺にありつける確率は上がる。そのため、おか泉の味は美味い。値段が暴力的なだけ(関東価格)。私もきっと旅行のたびに行く名物のお店は観光客向けだろうしな。

 フルサービスのお店の本当に良心的なところは、オーダー入ってからうどんを茹で、てんぷらを揚げ、おにぎりを握る。だから出来立てをいただくことができる。早い、安い、美味いが讃岐うどんというのならば、反しているかもしれない。けれど、営業時間と腹減り具合が重なれば行きたくなるのはこのお店。

www.tripadvisor.jp

 うどんについては熱くなりすぎるからいけない。

 帰宅して、初めての焼き鳥串打ちをする。楽勝と思っていたけれど全然楽勝ではないこの地味な仕事。焼き鳥用のお肉を買ったものの、大きかったから切りそろえたりしてたんだよね。最初のプランでは魚焼きグリルで焼こうと思っていたけれど、串が焼けると聞いて(そりゃそーだよな)、ホットプレートに変更した。ホットプレートの温度はMAXで、勢いよく蒸し焼きにし、水分や脂分をふき取りながら焼き上げる。塩鯖の帰宅と同時に焼き始めたが、塩鯖は今すごく仕事に没頭しているので食べるのが少々遅くなったが、ホットプレートの保温+蓋でパサつくこともなく美味しくできた。

 下処理で味を付けておくことも良いとは思うのだが、減塩生活をしているわが家は下味なし。食べるときに塩なりレモンなり醤油なりで味を調えれば普通に美味しくいただける。あるいは、アジシオ(私はうま味調味料にそこまで抵抗はない)でほんのり味付け程度にしておくのもいいかもしれない。

 と、減塩生活をアピールしたけれど、ポスティングから帰宅した私はとにかく疲れ果てていて、すっぱいグミで元気を取り戻そうとしたのだけれど、すっぱい程度では物足りなくて、塩まで摂取。いつも以上に塩分を取っていたわけです。グレープフルーツ買って帰って塩を振りかけて食べようかと思ったのだけど、いつも振りかける程度では足りなくてまぶすことになるのでやめたんだ。だけど結果はあまり変わらなかった。この塩好き、身体を壊す前に止めなければ。

 この串打ちの間にも、私は半分夢の中に突入していたので、昨晩はご飯が終わると同時に撃沈。途中起きながらも7時間近く寝て、スカッとするかと思いきや、しない。むくみで指輪も抜けやしない(むくみのせいだけじゃないが)。今日はこのぎちぎちなむくみを抱えて生きるしかない。くう、塩分、くうう。

つれづれに

 おはようございます。わがままウェブライターです。

 だし生活、続いています。id:t_katoさんが教えてくれたように贅沢に使うのが美味しいポイントだとは思うのですが、贅沢に使うことへの、特に鰹節を贅沢に使うことへの躊躇が半端ないです。二人分のお吸い物に鰹節小袋1パック使うぐらいは全然余裕なのですが、2パックは使えない。でも1パックでもそこそこ美味しいだしとなる。うううううむ、となります。ううううむ。

 しかしだし生活のおかげで、減塩は出来ていると思います。わが家はパンも私が焼くので、塩分は極力控えめに。といってもね、180gのパン生地に6gだった塩を3gに変えただけだけどね。ワンちゃん用のパンは塩分ゼロなので、塩分なしでも作れるんだけども、ブリオッシュみたいなパンならばいいんだが、通常のパンだと美味しくならないのだ。パンにおける塩分の役割は「グルテンを引き締めて生地の腰を強く」。

 大なり小なり、体にいいことになっているだろうか。

 *

 毎週楽しみにせごどんを見ている。林真理子先生が原作、と聞いて軽く不安が走ったのだが(林真理子先生の描く物語は、とっても女性らしいのだが、いつの時代の女性らしさでも、大多数のようで大多数じゃないニッチなところを突いてくるから)、いやいやとっても面白い。面白すぎて止められない。あれは役者がいいんだろうね。

 それにしても、前年までのヒーローが今年の悪役というのがなんとも。直虎と直弼は違う人だよ分かっているけど、直虎が命がけで守った御家がしでかした一大事件が安政の大獄桜田門外の変か、と思うと複雑。でも人は皆、私利私欲のために思う存分虐殺することはない。大義のためだからやれるんだ。ナチスもそう、ドイツのためだからあんな虐殺ができたんだ。自分の欲望を人類の夢にすり替える、こんな簡単で何度も繰り返されてきた手に、人類は何度も乗って失敗したり、飛躍を遂げたりしてきた。それが発展。

 せごどんにBL要素はいらないんだけどな。いつか大河で三島由紀夫とかやってくれんかな。

 *

 実は今日、書くことが全然浮かばないのでした。寝ぼけている。

 最近の朝ごはんはサンドイッチ。自作のパンのいいところは、ちょうどいいサイズに焼けるところだ。フランスパン風だが、フランスパンほど引きが強くない(噛み切りやすい)。




 花盛りなのであった。ハオルチアの花はよくよく見ると蘭のようだが、やはりデンドロビュームの華やかさは感動的。

大人になって分かったこと

 おはようございます。エッセイストです。
 図書館がなければ、私はこれほど本を読んでいないだろう。

 谷川俊太郎さんは長生きで、若いころから詩もたくさん書いていらっしゃるから、著書が多くてありがたし。そして、この100年インタビューシリーズはきっとすごく面白いんだろうなって思う。私は対談もインタビューも、ビュワーにかかっていると思っている。面白くないときはとことん面白くない(悪夢か悪い奇跡のように)。と、ここまで書いて百戦錬磨の谷川俊太郎さんだから、こうなのかもしれないと思った。そういうあたりが「人」の面白いところ。

 かなり素直に答えてくださっているから、ちょっとホッとする。3度の結婚、3度の離婚、良かったか?(詩を書くにあたっての経験になったか?)という問いに、そんなのわかんないよって答えるのが素敵。経験しちゃったもんはしょうがないよねえ。でも、この人案外問題児なんだろうなあって思う。だってそういう事態に、多くの人はあまりならないもの。

 3歳向けの詩を書くときは、3歳の自分で書く、90歳向けの詩を書くときは、想像して書く。とてもシンプルなことだが、これができる純度であることにちょっと感動する。3歳のころの自分の感性を、思い出せますか?

 経験の中には、選べるものと選べないものがある。子供のころは圧倒的に選べないから、私は早く大人になりたかった。家を出てからの様々な経験の多くは、避けようのない事態もあったけれどほとんどの場合自分が選んだものだと思っている。口惜しい思いもしたし、歯がゆい思いもしたし、なにより「それ知らんでも良かったわ」という経験も大いにある。後悔もくそも、経験してしまったら「経験した」という事実が残るだけなのだ。無理に「あの経験は役に立った」とか「自分が成長した」とか考えなくていいと思う。そうやって失敗した自分、チョイスを誤った自分を、建前で覆い隠すことは防御の鎧を着るのと同じだからだ。

 ポジティブシンキングってどうも苦手。苦境の中でも教訓を得ようと勘違いの努力をするぐらいなら、私は浮上するまで落ち込んだほうがいいと思っている。このとき大事なのは、周りの人に「落ち込み菌」をばら撒かないことだ。一人ひっそり、コップに沈殿するミルクのごとく沈んでおけばいいんだ。

 人間は薄情なことに、状況にさえ飽きてしまうもの。必ず浮上するタイミングは来る。ただ、本当に自分にとって大切にしたいことや、人格形成に関わる出来事なんかは、簡単にはほどけずに心の中にとどまり続ける。どれだけシンプルに爽快に生きている人でも、よほど幸運な人でなければ「わだかまり」はある。それが確かにあって、おそらくその塊の前で立ち往生している自分がいるということを知るだけでも(それはきっと、その当時の若い、あるいは幼い自分だろう)、彼らは救われるんじゃないかと思う。

 今回は適当に谷川俊太郎河合隼雄と、珍しく中原中也町田康が解説書いてたから)、吉本隆明を借りてきた。代り映えのしないラインナップ。

 私の今までの経験上、自分の興味とは関係ない100人の本を読むのと、興味のある5人ぐらいの人の著書を全部読むのとでは、圧倒的に後者の方が学ぶことが多い。そんなんやってみたことあるんけ、と言われそうだが、二十代にやるだけやって、悟ったのだよ。私はストーリーテラーを求めてはいなかったんだってこと。

三木清の人生論ノート

 おはようございます。

 もういつ録画したものかも忘れてしまったが、三木清の「人生論ノート」の100分で名著を録画していたのだ。それを見始めた。

 哲学というのは、いつの時代も、どんな状況でも、普遍的に人々が「分かる」って感じることが大切なんだと思う。そうじゃないとあんまり意味がないというかね、机上の空論になってしまうからね。

 現在108版。大ベストセラーでしょう(読んだことなかったんだけど)。

人生論ノート (新潮文庫)

人生論ノート (新潮文庫)

 青空文庫はこちら。
三木清 人生論ノート

 青空文庫で読んでいるが、すっごい読みにくいってことはなくて(むしろ私にとっては海外文学の方がはるかに読みにくい代物)、ただあまりに完結過ぎるから1行1行立ち止まらなければならないことがある、という感じ。読む人に対して決して親切ではないが、人間にとって最高に温かい思想がここにあるんじゃないかなと思う。

 とても慎ましく、検閲がら逃れるために直接的な表現こそ避けているものの、時に前のめりなほどに臨戦態勢になり、私たちに問いかける。人の可能性について希望的で、熱く、常に遠くを見ている。自分の中の可能性のすべてを、この本を読む人たちに託そうとしているかのようだ。

 哲学ってお手本もなければ正解もないものだ。だから、その人の人間性がとても大切になる(三木清的に言えば「秩序」ということになるのか?)。私は「意識的な善きこと(正確には、正しきことという外から持ち込んだ意識)」がベースにあることに対しては、どちらかというと拒絶反応してしまう。もちろん、お年寄りが困っていたら手を差し伸べるのが、人間が持つ「優しさのひとつ」だろうと思うが、その助け合い精神のベースに、本能以外の「善きこと」意識があると借り物の「正しきこと」の意識があると、もう苦手なんだ。いや、ホントにほとほと困ってるときならば「ありがたし」って受け取るけどな。例えば山の中でパンクしたとか(違う事件に巻き込まれそうだな)。

 三木清は内なる秩序といった。この秩序は何者にも侵害されてはならないもの、いわば人間の尊厳だ。人間は不出来な生き物ではあるが、だからって外からの秩序によって正さねばならないかというと、必ずしもそうとは言えないというわけだ。喧嘩を売るわけではないが、私はどこかでキリスト教って外からの秩序だなって思ってる。だからキリスト教が、ということは思わなくて、あれで人々の秩序が保たれるならいいじゃないか。

 人には欲求がたくさんある。私はお腹すくし、私は眠りたいし、私は知りたいし、私は知の欲求の過程すべてを誰かの役に立てられたらいいなと思っている。それを祝いたい。

 宮沢賢治から自己犠牲を感じる人は、もうちょっと賢治の作品を読んでほしいな。銀河鉄道の夜グスコーブドリの伝記だけが賢治ではないんだよ。本当の「善きこと」を人は選べないんじゃないかとさえ思う。本当の「善きこと」とは、天からのギフトであり、人の領分(人がどうこうするもの)ではないから、だからこそ人は「善きこと」を求めたり、憧れたり、羨んだり、泥を塗ったり、美しすぎて直視できなかったりするのではないだろうか。

 三木清の解説本が欲しいなあ(旧漢字に四苦八苦しています)。解説本を出しているのは岸見一郎さん。アドラー心理学の人。アドラーすごい人気だね。超実践だからかね。

三木清『人生論ノート』を読む

三木清『人生論ノート』を読む

 今の自分は、決して生きやすい道ばかりを選んでいないなって思う。でも、どうしてだか舗装されていない道を選びたい欲求がうずうずするからだ。たぶん、私の今までの道も、これからも道も、ほとんどの道は誰かが既に歩いたものだろう。だけど、私はその場その場で道を選びたいし、道案内はいらないって思う。いちいち、自分のペースで立ち止まって感動したいんだ。