生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

母の入院のお供について

 今日は珍しく二本立て。母の入院に備えて、古いiPadAmazonプライムの動画を入れた。もちろんアメリカドラマ「グッドワイフ」だ。あれぐらい軽い方がいくらも見られて暇はつぶせる(グッドワイフは面白かったです、ウィルが死ぬまでは!)。

 母としては誰にも知られずひっそりと一人で入院して退院しようという魂胆だったそうだが、娘二人があれこれと世話を焼くので笑っている。娘二人からしてみれば、私たちを生んでから一度として休んでいない母の入院なのだから、ここぞとばかりに世話を焼きたいのだ。ということを伝えたら、もっと高笑いしていた。いいこと、いいこと。先日妹ちゃんが張り切って困ると書いたが、結局姉が母の付き添いをすることになった。当たり前だ、母の娘は二人だが、チビーズ(甥っ子たち)の母は一人なのだから。

 Amazonプライムのどれがいいだろうかっていう話から、妹ちゃんに「映画と本ばかりの暇人」呼ばわりされた。なんて奴だ。でも今は昔ほど映画を見ているわけじゃない。昔は1,2カ月に一度、5本ぐらいの映画を借りて一気に見るという休日の過ごし方をしていたが、今はそれほど見ていない。お好みは変遷しているが、今は確実に塩鯖のお好みが混じっている。カンフー映画の大事なところは全部見たと思う。ドニー・イェンやリーリン・チェン(ジェット・リー)のかっこよさに惚れ惚れ。

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 といっても、塩鯖はカンフー映画だけが好きなのではなく、だらっと流し始めたらなんでも見ると思う。あの人は特に「これが好き」がないタイプだ。先日見たThe Frameは退屈だったので、ぶっちゃけ私は「ちょっと損した気分」だったのだが、塩鯖に聞いたら「ひとつのお話を見ましたって感じ」だったそうだ。ジョージ・オーウェル1984ですら、読み終わって同じ感想を言っていた。たぶんカラマーゾフの兄弟でも同じ感想を言うだろう(いや、前の入院でドストエフスキーは断念してたな)。そしてそれ以上もそれ以下も、その時にはほぼ出てこない。映画を見てあーだこーだいうタイプではないのだ。

 けれどカンフー映画だけはちょっと違っていて、リクエストしたらそれぞれの拳法の真似をしてくれる。サービス精神がとても旺盛だ。しょうもないといえばしょうもない、けれど二人はとても楽しい。今年は冬でも調子がいいので詠春拳のキレもいい。

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 カンフーはいいよ、好きだけど置いといて。

 映画と本ばかりの暇人、確かにそうかもしれない。今は人より時間が多いかもしれない。けれど、私にだって忙しい時代はあったし、そんなときでも映画と小説は手放さなかった。決して暇すぎて本と映画に溺れているわけではないのだよ。

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 あくまで個人的な感覚だけど、性に合わない小説は読み切れない。どれだけ売れていようが支持されていようが、受け付けないものは全く受け付けない。おそらく一人の人が書き上げるものが小説で、複数の人がかかわるのが映画だからだろうと思っている。だから映画は、大なり小なりどこかしらに「これは酷い、けれどちょっとアリ」みたいなものがある。特に昔の日本映画なんて、なんだそりゃみたいなものも多々あったし、チープだった。けれど、すべての作品の根底に流れる「だけどなんかちょっと面白くてとっても悲しい」感じが好きだった。伊丹十三監督のお葬式みたいな感じ。ブラックユーモアとも違うんだよな。「ボクの女に手を出すな」に始終流れる昭和カオス的な退廃してごった返した感じ。あれに近しい感じが香港の「恋する惑星」とかにもあったから、あの頃の香港映画をむさぼり見たわけだ。

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 一言で表すと「アングラ」って言われそうなところだけど、そうとも言い切れない。アングラと呼ばれる地下の世界ばかりが好きなわけではなくて、地上の日を浴びた世界も私は好きだしね。やくざ映画なんかは(位置的にはアングラだろう!?)辛くて見られないものも多いしね。

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 私はたぶん、物語がない人生など考えられない、ただそれだけなのだ。自分の世界にはない世界を見たい、ただそれだけだ。現実だろうが非現実だろうが、どちらでもいい。ただ私の中に集まった物語の欠片たちが、私の人生において、私の体験と人生を結び付けてくれるときがあって、そのたびに私は「救われてきた」だけなのだ。明日を生きるために物語が必要なだけではない。私にとっては、過ぎた時間の私と今の私を繋いで、新しい今の私を生きるために物語があったんだと思う。

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 最近、映画も本もそれほど必要としない。昔はもっと明確に「映画に飢えているうううう!!」とか「活字に飢えているうううう!」があった。けれど今はそうでもない。ということは、きっとチャージ完了ということなのだろうと思う。それが示すものは、退屈だなんて言っちゃってるThe Frameのセリフ「人間は神の目を通じてみる、神が自分たちに何を求めているかを知ることが大事なんだ」への準備が整ったよーってことじゃないかな、なんて思っている。

時々走る、そして映画

 こんにちは、ヤバい。あれをせねば。

 私は基本的にシャキシャキと動かないので、ダッシュするところを見たことがある人は少ない。けれどつい先日、信じられないほどのダッシュ力を見せた。それは、焼き芋屋さんが通りがかった時だ。この近辺、焼き芋屋さんが来たことがない。というか、焼き芋屋さん自体を見ることがほとんどない。車についたスピーカーから流れる「おいも~おいもっ」という声も、最初はさお竹かと思っていたくらいだ。

 でも、間違いなくお芋だ!! と思った瞬間、財布をもって飛び出していた。焼き芋が好物なわけではない。焼き芋屋さんから焼き芋を買うというイベントのためだ。もちろん、購入後は美味しくいただきましたけれど。今もいただいていますけれど。美味しいですモグモグ。

 今年のダッシュは使い切ってしまったかもしれない(ポスティング時のダッシュは除く)。

ベテラン検死官トミーは、同じく検死官の息子オースティンと遺体安置所を営んでいる。ある嵐の夜、警察から緊急の依頼が入る。それは、謎の惨殺事件の現場から全裸で見つかった身元不明の美女“ジェーン・ドウ"の死体の検死解剖だった。

いろんな意味で興味深く、面白かった。もちろん私はびっくりシーンでちゃんとびっくりした。途中経過のいくつかは音だけ楽しんだ(怖いんだもん)。

ツインピークスを彷彿とさせる美しい死体からは目が離せない。この陰鬱とした世界からも目が離せない。大きな出来事はないに等しいけれど飽きることなく最後まで見続ける感じ。この親子がそれぞれに大人で、思いやりあっているから、この二人の幸せを願わずにはいられない感じ。

ただ怖いだけではない、ちょっと新しいホラーだったな。あ、どちらかというとかなりオカルト寄りです。



The Frame

The Frame


次にこれ。この監督の前作は見ていない。かなり評判はいいようだったし、予告(予告って絶対予告専門の人がいるよねえって思う)が良かったので見てみたのだけど、ぶっちゃけ見終わった直後は「もうちょっと面白くできなかったんですか」と思った。ラストのためにそれまでの退屈があるという映画は、ベルリン天使の歌が最高だと思うが、あれは本当にラストスパートで「今までの1時間半が報われた!」と思うぐらい感動的。けれどこれは、うーん、そこまでではないような。

けれど時間がたつとじわじわ来る。中盤の

「過去に受けた仕打ちやひどい境遇に対して、怒りを抑えられないことも分かってる、恐怖を抱くことも。だけどな、人間は神の目を通じてみる、神が自分たちに何を求めているかを知ることが大事なんだ(日本語訳をそのまま転記)」

というセリフがずっと心に残っている。

主人公のアレックスが、自分の人生を嘆くシーンがある。彼は決して好き好んで両親を失っていないし、ギャングの道を選んだわけでもないだろう。サムだってそう、誰だってそう。今この人生こそが私の人生だと、天に向かって叫べる人がどれほどいるだろうか。

自分の人生(自分の命)は何のためにあるのだろうか。ということを考える。きっと好きに使っていいんだ。そうだ、きっとそうだ。

この映画は低予算なんだろうなと思うけれど、映像と音楽が素敵で眺めていられる。その点ではよかったのだけど、私が予告で期待しすぎて待っちゃってたのでとても退屈な時間が長かったような印象。決まり切った型にはめろとは言わないが、もう少し面白くしてくれてもいいと思うんだけど。ラストのバイオリンのシーンは好きなんだけど、劇中の出来事と結びつけると、この映画からもらった可能性を狭めるような気がして(過去のトラウマを超えてこそ行ける未来がある、にしてしまうと、それこそフレームが狭まる気がして)落としどころが見つけられない。

マツコの知らない世界でサーカスをやっていた。塩鯖も一緒に見ていたのだけど、私のサーカスのイメージが見世物小屋だと言ったら、いくらなんでも今時エレファントマンはないだろう的な顔をされた。え? マジで? 私だからサーカスって怖くて行ってなかったんだけどな。私の頭の中はレトロすぎたようだ。

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柑橘の香りは癒しの香り

 こんにちは、そろそろこんばんは。いよかんを10個ほど剥きました。あれは皮が固いから、剥くのが面倒だから、酸っぱいからという話を聞く。確かに温州ミカンよりは酸が強いかもしれない。しかし、糖度は高いおみかんなのである。なので、剥いてプレゼントしようという作戦。プレゼントした皆さんが喜んでくれて嬉しい。

 いよかんを剥くのは楽しい。文旦や八朔ほど本気にならなくても、刃物を使わなくても、剥くことができる。塩鯖に食わせるというわけでなければ、私は内側の皮ごと食べる。でも、塩鯖に食わせるならば、一応剥いておく。

 私はこのマジックピーラーで剥きます。実家に転がってた(両親は使わないそうだ。いよかんくらいならバリバリ手で剥く)のでもらってきた。危険な刃物部分が出ていないので非常に便利。ついでに爪が短いころはこいつが私の爪代わりだった。爪を伸ばし始めてさらに爪の代わりが必要になるっていう矛盾もあるが(爪が薄くて弱いので、伸びるほどに大事にせねばならないから、爪を使うことはできない)、便利なひとつである。いよかん以外の使い道は、ミルミル(3個パック)の開封です。

 この作業が、無心になれる。いよかんマーマレードにハマった時もだったが、柑橘の香りはリラックス効果があるんだろう。黙々と目の前の柑橘と向き合うだけなのだが、イライラが落ち着く。そう、今日は最高にイライラしていたのだ。

 イライラの原因は分かっている、ツイッターだ。個人的にツイッターは猫や犬の漫画を時々見る程度の関わり。ボランティアの活動の一環でアカウントを作ったので関わるようになったが、やっぱり性に合わないところだなあと思う。

 そもそも、ツイッターという場所ってなんだろうか、と考える。災害時には命が助かる要因にもなったSNSだが、同時にフェイクも多数出現した。玉石混交とも言えるのだろうが、その割に玉が少ないと感じる。これもまあ、何をもって玉とするかなんだけど。匿名性の高さは個人の身を守るのに必要だと思うけれど、情報の信ぴょう性には個人が明らかである方がよい。はてなダイアリーの匿名掲示板が国会で読み上げられたこともあるが、あれは「ある一つの意見」であって、国民の総意ではないと思っている。「ある一つの意見」が社会を変えることもあるし、変えないこともある。社会を変える意見が正義かどうかも、個人が考えればいいことだと思う。

 こう考えられるようになったのは、お役所で働いていたころの経験が生きているなと思う。真夏の冷房についての市民の意見は「こんなに冷やして電気代を使っていいのか」もあれば「冷房が全く効いていなくて役所に来ると体を壊す」もある。どっちが正しいかでもなければ、どっちが間違っているというものでもないのだ。市民の声は、市民の声以上でも以下でもない(今思えば、安心や安全や変わらない平穏は当たり前だと思っていたけれど、役所で働くと毎月激動、毎日何かがある状態だったので、平穏を保つということは「ほったらかし」ではいけない、そこには税金という名の資金投資も必要だし、維持運営する人員も必要なんだなと思ったものだ)。

 匿名性にも良いところがあり、悪いところがある。実名にも良いところがあり、悪いところがある。この2つの違いのひとつは発言責任の所在だと思う。匿名であれば発言責任の所在は極端な話「アカウントを保持している間だけ」だが、実名であれば発言責任の所在は明らかだ。このことから、その発言への重さを考えると、実名の方が明らかに覚悟がある。うちの場合「社会や人々の意識を変える覚悟」といってもいい。

 ボランティアカウントで投稿する内容は、主にリーダーが書いた投稿。リーダーの記事の趣旨のほとんどは啓発活動(私は彼女の啓発意識に賛同している、むしろ師匠である部分もある)、そして活動報告なので、リアルタイムではないことの方が多い。というわけで、ツイッターにしろFacebookにしろブログにしろ、すべては「動物愛護の啓発活動」を目的とすることにした。内容的にはずっと変わらないので、変わったのは私の意識だけなんだけど。

 基本的にボランティアに関する私個人の意見はここでしか書いていないのだけど、ツイッターではこの匿名と実名の違いについての考えも書きたいなと思った。けれどきっと書くことはないだろう。書いたところで伝わると思えないのだ、今の私には。その理由は、私自身が、匿名アカウントでうちの投稿を悪意のある引用や暗喩で叩いている人に、労力を割いてまで理解してもらいたいと思っていないからだ。

 ツイッターには拡散しまくって数を増やせば何かが変わると信じている人も少なくないのだろうと思う。実際にそういう例もあるのだろうが、それは匿名でも数が集まったから力を持ったということではなく、時代という流れの浮き沈みの中の一つに過ぎないと私は思っている。そこに賭けて続けるのは自由だが、私は本当に地域を日本を変えたいと思うから、インターネットの世界の外で実働してゆきたい。

 要するに、相いれないものを結合させようとして、ストレスためて、いよかんたくさん剥いたよっていう話だったんだな、って今思った。

 プラネテス、私の大好きな漫画。この4巻にレティクル星から来た男爵が出てくる。地球人はテレパシーが使えないことをからかって遊んだら、本国から追放されて帰れなくなっちゃったという、ちょっと変わった(異星人だから変わってて当然か?)人だ。この話では、この星系はまだ銀河連邦の一員ではないから、他星人や銀河共通文化に対する免疫がない、つまり男爵のような異星人がこの星系で友愛をはぐくむためには、地球のコモンライセンスやモラルを学んで受け入れることが必要なんだとか。だからわざわざ地球を監視しているわけだけど、宇宙連邦としては地球の参加を心待ちにしているんだそうだ。その条件は、地球人が自ら見つけなければならないそうだ。

 こうした異星人同士の交流やそれに関連する話は、ル・グインの闇の左手や所有せざる人々など、SFの世界で描かれていることだと思う、実際にどうなのかは分からない。けれど私は無下に「んなわけねーだろ」とは思わない。そうであるかもしれないねえ、と思う。

プラネテス(4) (モーニングコミックス)

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 こうした物語の中では、あまりにも規模が大きいからなんとも思わないが(いや、最初に読んだときは銀河連邦って上から目線設定だなと思ったけど)、今回悪意のある引用で叩いている人が個人メッセージで伝えてきたことで思い出した。自分は日本全国の権力者と繋がりがあって、秘密裏にうどん県に働きかけながら見守っているのだそうだ。

 ……。

 一人の頭の中にしか存在しない秘密結社ごっこに、いちいちムキになって疲れてしまったんだなと思う。自分の真面目さに疲れた一件でした。ちなみに塩鯖には「ツイッターで大量投稿や拡散をする人ほど、現実世界を見ていない人、現実に生きていない人なんだからさ」と、軽く諫められて終わりでした。ですよねえええええ。

自分のための日記を手軽に書けないものか

 おはようございます、今日は雨。2月に入ってから暖かくて気持ちが悪い。ぎゅうううううっと冷えてほしいのだ。あー、寒い!! 氷はってる!! とやりたいのだ。けれど、塩鯖は寒さに弱い生き物なので、これぐらいの冬の方がいいみたいだ。

 さて。

 日記というか、手軽なメモというか、ノートを取りたいことが多い。今はぼんやり頭に浮かんで消えてしまうので、書けていない。ここの読者さんはお察しだろうが、私は文房具に興味がないし、ノートにもこだわりがない。仕事をしていたころも裏紙がメモで、基本的に書いて数日後には捨てられていた。毎月の定例があったころはカレンダーに何もかも書いていた。分刻みのスケジュールなんて絶対に書いて管理しない。だって分刻みのスケジュールがあるときなんて、書く時間も惜しいでしょ。

 日記ならばはてなブログでいいじゃないかと思うが、まぁ確かにそうなんだが、一応ここは公開されている場所なので、あまりにも細切れな箇条書きは書きづらいし、どっちかっていうと「君の配線は大丈夫か?」みたいなことも書くことがあるだろうから、ここではないどこかがいい。

 今はメモといえばGoogleKeepを活用しているけれど、これは本気メモ。買い物で3回買い忘れた洗剤とか、いりごまとかが書かれている。あるいは、手紙や書きものの類はデスクトップとノートパソコンで共有できるようにKeepに書き留めておくために使っている。利便性だけで使っているけれど、おおむね使い心地は良いし、これ以外を使おうという気持ちも怒っていない。とても優秀ということだ。

 けれど、今回私が求めているものはちょっと違うのだ。GoogleKeepに心のメモ書きを記し始めたとしても、続かないことが目に見えている。あまりにも日常的すぎて、ルーチンのように「よーし、これを続けるぞ」と気合を入れても続かないことまで日常的ルーチンに組み込まれてしまうだろう。

 というわけで、継続できそうな形の日記なりノートなりが欲しい。開くのが楽しくなるような、毎日一度は開いてしまうような、そんなノートだ。アプリを作ってやろうかなとも考えたが、私はどこまでも汎用系ソフトエンジニア。WEBやスマホアプリは勉強しないと作れる気がしない。それに、最近は「書く」ことも結構楽しいのだ。電子化するのも写真をとったらいいわけだし。写真の文字検索はできないが、実際に手で書いたものであれば、いつごろ書いたものかを何となく覚えているものだ。

 スケジュール帳があるじゃないかと思う方もいるだろう。私は毎年一冊必ず買うスケジュール帳があるが、これがまた月1程度にしか開かない。毎日開けよ1400円もしたんだからと思うけれど、なんでかなー、やらんのだよなー。あんまり楽しくないんだよなー。

 ならば作ればいいのかな、自分で作ったものだったらやれるかな。そういうデザインは嫌いじゃない。デザインの心得は全くないのでどこまでも文書的になるが、それでも利便性やメンタリティは盛り込める。よっぽどいいものができたらデザインができる人に頼めばいいのだ。

 実はこの構想はけっこう前からある。あるけれど、自分が具体的になにをどう書き留めていきたいのかということが、洗い出せていないからできていないのだ。じゃあそれを今日これからやればいいね。作れるかなあ、、、(自信なし)。

お、そういえばバレンタイン

 こんにちは、今日は塩鯖の通院日につき昼は絶食です。最近明らかに暴飲暴食ぎみだったので、一食と言わず二食くらい、いや数日絶食したほうがいい私です。

 少し前にLOFTのバレンタイン広告が炎上しているのをどこかで見た。そこで初めて「バレンタイン」の存在を思い出した体たらくです。また今年も父にせびられるのだろうか。もう私はバレンタインのない世界に来ているのだけど。

 バレンタインに限らず、女子の陰湿さを強くアピールしたがる人がいるのは事実だと思う。けれど、女子だけではなくて男子もたいがい陰湿なやつは陰湿である。結果、陰湿な人間は陰湿である、というところに落ち着くはずだが、どうしてもそれを他人事として擦り付けたい人がいるらしい。

 陰湿だからなんだってんだい。陰湿上等、オレより陰湿な猛者は出てこい、くらいでいいんじゃないか? 

 今年のバレンタインは母初めての手術と重なっている。前日には父が手術する。バレンタインどころではないが、父の手術はインプラント。なのでバレンタインにチョコぐらい食えるかもしれない。私は手術に合わせて猫の番をしに帰省するわけだが(お猫様のために帰省って変じゃないか? 私も母の付き添いとかさせろよ妹)、一応ボンボン的な何かを仕入れて持って帰ろうか。

 そう、妹ちゃん。両親の手術にあたっての妹ちゃんが激しい。とてもとても「頑張らねばならない病」になっているように思えて仕方ない。スケジューリングしてどうのこうの言ってたが、そんなタイムアタック状態ならば、猫が一日ぐらい絶食して過ごしてだな、姉が父を運んだり母のところに行ったらいいんじゃないか? と、提案したものの、猫を家に一匹で置いておく上に絶食なんてありえないのだそうだ。なんだろう、姉妹間でこの交わりの一切ない感じ。

 私は犬好きで、まぁ猫も嫌いではないのだが、それにしても理解できないなあ。私は塩鯖を置いて松山に戻るというのに、猫は一匹で家に置いておけないって謎だなあ。

 妹の旦那は「一週間分ぐらい餌を入れておけばいいじゃないの?」と言っていたが、私もそれに激しく同意する。猫愛がないわけじゃない、人間の都合の方が優先だろうっつー話として。

 塩鯖はバレンタインも言わなければ猫の世話などいうわけもない。私がしたいのは猫の世話でなくて塩鯖の世話である。その次に親、最下位に猫である。なぜ、最下位の猫の世話のために冬の瀬戸内を渡らねばならんのか……。

 一応妹には訴えてみるが、500%聞いてもらえないのでここで愚痴った。まったく、家族のおもちゃの三女が張り切ると、しわ寄せが長女に全部来るっていう、これ宿命なのかね。