生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

ゴールデンウイークの予定と、高齢者の事故

 こんばんは。昨日は京都に行っていました。プロフィール写真なんて撮影してきたよね。もうあれよ、拒絶反応すげえ。といっても、どんだけ拒絶しようがこの面で往来を歩いているわけだ私は。諦めろ、この丸いのが私だ。

 ゴールデンウイーク。10連休もあったって困るという人が多いと聞きます。そうですよね。でも同意をとったところでゴールデンウイークは縮まりません。私のゴールデンウイークは3日間甥っ子と遊ぶ、3日間瀬戸芸に行く、に決まりました。我が家始まって以来じゃないかな、6日間連続人が泊まるのなんて。問題は甥っ子が2名来るのに布団が一組しかないということ。チビだから布団を横にして使うか。

 4月の終わりと5月の初めは瀬戸芸に終始すると思います。といっても、船に乗るのはかなり危険なので、高松エリア(港・屋島あじ竜王公園)と沙弥島ぐらいになるでしょう。あじ竜王公園、遠いな。展示1つしかないから諦めるかも。逆に沙弥島は近いのでチビーズを連れて行こう。私は小学生男子の扱い方など知らぬからな。

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 高齢者による痛ましい事故のニュースがあった。ネットの声では「一律返納にすればよし」というのも見かけたが、予想通り非難の嵐だった。車がなければ生活がままならない人も少なくないのだ。

 といっても今住んでる骨付き鳥市や周辺地域ぐらいならば、なんとか車なしでも生活できなくはないだろうと思う。事実、姪っ子は車なしで出社している(電車+徒歩20分)。歩くのも辛い年寄りも少なくないだろうが、ならば運転なんてするなよと思う。車って体の動作は少ないけど、決して少ない動作で運転できるものではない。この辺を誤解している年寄りは多いと思う。

 でもスーパーなどの駐車場でギョッとする相手はたいていおばさんだ。一番多いのはバックで駐車しようとしているところに頭から突っ込んでくる人。「信じられない」って顔してるけど、それこっちだからね、っていつも思う。

 公道以外の場所は治外法権だと思ってるおばさんが一番怖い。

豊島美術館(再訪)

 こんにちは。今日は体調がすぐれないのでカレーを大量に作っています。楽をする作戦です。

 昨日ふと思い立って豊島美術館に行きました。塩鯖も一緒に。前回訪れたのは3年前の瀬戸内国際芸術祭。今年の初めに塩鯖を連れていきたいなあと思っていたので、念願叶ったというわけです。

cimacox.hatenablog.com

 前回はどのようにしていったのかも覚えていなかったけれど、まぁ港に行けば船に乗れるだろう、自転車最高だったからポルポル(クロスカブ)で走っても最高だろう。そんな浅はかで無計画な状態で、ポルポル二人乗りして港に行きました。そこで知った、豊島直行は高速艇しかないってことを。車両を載せられるのは小豆島を経由する便のみです。ご注意ください。

 で、二人で高速艇に乗り込み豊島へ。もちろん、ポルポルに乗っていく予定だったからレンタルサイクルの予約もなし。見事に前代貸し出し中でした。ま、その日の朝に思い立ったんだから仕方ないよね。ということでシャトルバスに乗って豊島美術館に行きました。シャトルバスはまぁまぁ人がいたほうかな。

 バスを降りたらこの景色です。やっぱり気持ちがいいところだな。

 美術館自体は予約なしでもサラッと入れました。瀬戸芸開催中は間違いなく予約必須でしょう。チケットを買って美術館へGO。

 美術館と言っても順路すべてが美術館みたいなものだから、道中も楽しみます。気持ちがいい小高い丘をぐるっと歩いて到着です。

setouchi-artfest.jp

 写真撮影は不可なので作品紹介のリンクだけ。春の豊島美術館はとても気持ちが良かったです。シャトルバスで来たので帰りのバスまでは時間があるし、私はのんびりと火の光や風や水の音を楽しみました。塩鯖もいろいろ楽しんでいたようです。

 美術館に入ってすぐ、太陽を見上げたらハロが出ていたので慌てて外に出て写真を撮ったよ、の写真です。綺麗にハロってるでしょ。とっても不思議で祝福されているかのような嬉しさがありました。気象条件がそろえば見れるものだろうけど、このタイミングでなのか、嬉しいなあって。

 この場所ではみんな静かに、それぞれが気持ちよく存在しています。立っている人、歩いている人、寝転んでいる人、寄り添っている人。私が行った日も海外の方が多かったと思うけど、言葉が通じない人だということを忘れるぐらい自然にみんながその場所にいて、気持ちよく過ごしていました。私はゴロゴロしながら「みんなきっと同じような気持ちだろうな。この空間が広がったら戦争はなくなるだろうな」と思っていました。別に日頃そんなことを考えているわけでもないのに。

 この美術館の素晴らしさは言葉では表せないと思っています。だから行くしかない。あの不思議で静かで平和な感覚をぜひ多くの人に味わってもらいたい。そんな場所です。

 で、ノープランの私たちは腹が減っていたのでショップに行き、豊島のいちごドーナツというお菓子を買い、ちょっとだけ腹ごしらえしました。ピクニック気分。いいね、いいねえ、お日様の下で飲み食いするのってなんでこんなに気持ちがいいんだろう。

 バスの時間までは余裕があったけど、のんびりのんびり動いてバス停へ。時間通りに来たバスに乗り港に向かいました。でも帰りのバスは満員でね、乗れないご家族もいたんだよね。そのご家族は「次のに乗るわ」と言ってたようだけど、次の便って一時間以上後なんだよね。これが予定詰込みTHE日本人なら「うわああ、困ったどうしよう。船にも乗れないし!」ってなると思う。私はまだまだTHE予定詰込み型日本人なんだなと思った瞬間でした。

 そもそも日本人と欧米の文化では「休み」の捉え方が全然違うのかもしれない。彼らは数日前後したっていいぐらいの緩いスケジュールなのかもしれない。そして日本はというと、有休をとるにも理由が必要だったり、みんな同時に休みだからあちこちで激混みが発生する。連休後の出勤日に「帰れませんでしたので休みます」なんて言う人はいない。限られた時間だからこそ有意義に使いたいと思い、スケジュールをばっちり組んでしまうのだと思います。それが悪いとは言わない。でも偶然を楽しむ余裕は減ってゆく。

 どっちがいいという話ではないんです。ただ、今回の豊島の旅は完全にノープランだったけどなんとかなったよ、楽しかったよ、たまにはノープランでもいいんじゃない? と思った、という話です。ノープランとはいえ帰りの船だけは絶対守らないと島に置き去りにされるので、ここは難しいところだけどね。

 塩鯖は美術館は展示があるものだと思っていたらしく、豊島美術館を見てちょっと驚いていた様子でした。でも、しみしみとこの美術館を理解していったようで、夜に「あれを作った人はすごいなあと思ったよ」と言っていました。私は寝落ち寸前だったけど「しめしめ」と思っていました。そう思ってもらえると一番嬉しい。なぜなら、私もそう思っているから。

 瀬戸内国際芸術祭の素晴らしさは、作品だけにあるのではないと思っています。旅行と同じで、計画の時点からすでにアートが始まっている。だから多少不便でもいいんだろうなと思います。にしても、飲食と宿が最もハードルが高いミッションというのが辛いところだけどね。

 今年はまだガイドが届かないので、どこに行こうか考えることもできない。けど、期間中最も混雑するのは最初と最後だと思うので、スタートダッシュの春はのんびり物色するために行くんだ、ぐらいの気持ちでいいかなと思っています。

雑多にまとめて

 こんばんは、今日は塩鯖が仕事をするというので、遊ばないためにも私もパソコンに向かっています。この人は私がゴロゴロし始めると一緒にゴロゴロするので在宅ワークはできないタイプでしょう(入院中とかはバリバリ働くのにねえ)。

 さて、雑多にまとめて最近の色々を。

 きのう何食べたがドラマ化した。おおむねコミックのドラマ化は認めないのだが、このドラマはとてもよくできている。特に二人が「生身のおっさん」という点が評価できる。漫画だとどうしても年齢的な実感がわかない。でも、西島くんと内野さんが向かい合った夕食や朝食で、にじりにじりと痴話げんかをする様子なんて「ああ、ゲイの人ってこうなんだろうな」と実感を伴って感じ入ることができる。

www.tv-tokyo.co.jp

 私はLGBTに精通しているわけではないが、いわゆる腐女子の元祖みたいな時代を生きていたためにBLに関しては抵抗がない。抵抗がないが、理解があるわけではない。だから今さらLGBTって何だろうってググった。

Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)

 これ一緒くたに語っていいですかね。共通しているのはマイノリティってだけで、あとは個々に問題が違う気がするんだけど。

 LGBT問題についてはニュースでも見ることがあったけれど、全般的に「なんかなあ」と思っていた。それが上の一文で解消した気がする。漫画やドラマの「きのう何食べた」はひとつひとつが丁寧だから感じないのだ、きっと。

 このドラマはお勧めでござる。夜中にやってます。

 さて。

 昨日うっかり、すっぽんをさばく動画を見てしまった。魚は一応さばけるけれど、さすがに亀は辛かった。でも淡々とさばくゆきゆきを見てちょっと感動した。塩鯖も「ゆきゆきは男だ」と言っていた。塩鯖はきっと魚もさばけない(可哀想になってしまう人。タコ釣りしたときもそうだった。じゃあ釣るなよという話だ)。

 でもすっぽんの解体を見て、すっぽんが食べたいとは思わなくなった。脳の仕組みとかは分かんないけど、きっとあるよね、なにかしら。

 さてさて。

 愛護活動をしているとかなりの確率で「菜食主義者」に出くわす。ネット上には菜食主義者以外の動物愛護は認めないという過激派までいる。幸いうちのチームにはそういう人はいないので平穏なものだが(活動そのものはアクティブです。今日は逃げた犬の捕獲のために4,5人で山に登ったよ。捕まらないよ、だって相手は大冒険中の犬だよ)、本当にもうネットの中の愛護活動家って怖い。

 そんな風に思いつつある投稿を見て、なかなかの罵詈雑言で閉口した。そしてふと思い出した。ああ、祖母はこれぐらいの罵詈雑言を吐いていたなと。もうね、祖母に対する恨みとかはないんだけど、子供ながらに受けた衝撃は覚えている。例えば「洗濯物を下ろしておけ」と言われ、5分でも放置していると「年寄りだと思ってバカにしやがって! 早く死ねとでも思っとるんだろう! そんなに年寄りは汚いか!」とか言い出すのだ。この人ぶっ飛んでるな、と思ったものだった。

 でも祖母の世界はそうだったんだ。みんな年寄りをバカにして早く死ねと汚いと思っている、という世界に住んでいたのだ。そう思うと、ちょっと本気で哀れになる。

 最初は嫁(母)が憎いのかと思ったが、どうもそうではない。緩慢な世界で生きるようになった祖母は意外なことに母の名前を憶えている(父は時々祖父になるが)。母が憎かったんじゃないのだ、父が可愛かったんじゃないのだ、世界が憎かったのだ。何一つ思い通りにならないこの世界が。

 愛護活動家の過激な人たちは、多かれ少なかれこれを思い出させる。私はとても悲しくなる。できることなら、そんな世界から救い出したくなる。でもそれは叶わないことだ。叶わないことかな。考える余地あるな。

※今これ書いてゾッとしたんだけど、私も時々冗談で塩鯖に「バカにしやがってー!!」と絡む。うわああ、沁みついている!!