生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

引用スター=やる気の源

 おはようございます。タイトルに悪意はありません(つけろよお前ら、という意味ではないということ)。私も引用付けないこと多いしね。でも、このブログでも引用付けてくれる人がいるんだわ。それを見るたびに「そこが良かったのか、そうかそうか」ってほくそ笑むことができるわけだ。行脚もサボっているけれど、これからは引用スター付けていこうと思う。

help.hatenablog.com

 いつもいつも思う。このブログってなんなんだろうって。そもそもブログってさ、なんだろうな? 24歳ごろ、Movable Typeが上陸し始めたと記憶している。Wordpressはもっと後だったんだ。それはきっと、サーバーとか通信量の関係もあったんだと思う。Movable Typeは静的ページを生成するので負荷が少ないのが特徴で、Wordpressは技術者がカスタマイズできるというところが売りだったから。しかしまだそのころの日本では、HTMLをごりごり書くテキストメインのサイト+日記系CGIの組み合わせのホームページが猛威を振るっていたわけだけど、そこでさっそうと現れたmixiにみなが続々乗り換えてゆき、ほぼ同時期に、Movable Typeや劇的にプラグインが増えたWordpressが増殖し、それと同時にユーザーも増えたというわけだ。まさかPHP使える人がこんなに増えるなんてね(私は万年バブーレベルよ)。

 朝っぱらからガード下の親父かよ。

 違うんだよ、言いたいことは。侍魂でも機動戦士のんちゃんでもないんだよ。ここを私はどういう位置づけで使っているんだろう、ってこと。

 まず無料だから作りっぱなしだろお前、って言われても仕方ない時期がけっこうある(有料だった時期も2,3年ぐらいあるんだよ)。だけど存在を忘れたことはなくて、月1の頻度になっても開いて書いてたんだよ。他の場所でWordpressをごいごいに作り上げていたとしても、大量のテキストを吐き出していたとしても、それでもこのブログで「書くことはもうないな」って思ったことは一度もない。

 今の私には日記を書くほどの観察眼や敏感なアンテナもないので、日記を書くということは諦めている。だけど確実に「個人的な取るに足らないことばかりを本音で吐き出す場」なのであるが、本音を書けば私の中の何かは可愛いヒヨコちゃんになって飛び立つのかというとそんなこともなくて、だけど本音を書くだけだったら足踏み状態なんだよね、っていうのも分かってる。

 書くことは大好きだが、じゃあライターになりたいかっていうと全然なりたくないのだ。というのも、きっと偏ったライターへの偏見があるからだと思う。いやいや、でもやっぱりライターっていうのはテーマに即したもので、かつアクセス数が稼げる記事(やその構成で)を書かねばダメだろうね。でも私、そういうの自信ないね。もしそれが天然でできるなら、このサイトアクセス数が10や20ってことないだろうからさ。

 なんかいろいろ、思い浮かんでもすぐ蓋してしまうクセがついてるんだろうなと思う。臭いものじゃないんだから蓋なんてせずに、ちょっとその希望とやらを眺めてみようか。

liginc.co.jp

 残りの人生を気持ちよく過ごしたいと思うのだけど、私の余命はたぶんあと40年ぐらいある(とてもいい記事です)。

omocoro.jp

 懐かしいやね。

 冒頭のような話を読むたびに思い出す。同級生が金曜ロードショーのホラー映画でちょっとエッチなシーンが始まるっ!! と思って録画ボタンを押したのだけど、あとから見たら世界の車窓からが映っていたっていう話。今やどっかでパパになっているだろう。

問いかけてくる本

 塩鯖が入院している間、私はひたすらにクリミナルマインドを見ていたので録画が片付いていませんでしてね。まとめてマツコの知らない世界の録画を見ました。マツコは好きだよ、すごく好きだよ。マツコとミッツとナジャの賢さには、本当に感動すら覚える。できることなら今から女装家に生まれ変わりたい。

 で、マツコがなかった時に池上さんの番組があったんだよね。そこで「君たちはどう生きるか」がテーマにあったので見ておこうかなと思って垂れ流してる中、そういえば梨木さんの方がよかった記憶が、あれ? 私読んだんだっけ? って振り返ったら読んでたわ。

cimacox.hatenablog.com

cimacox.hatenablog.com

 アマゾンのレビューを見ると、おおむね高い評価ながらも「スッキリしない」といったやや評価の低い感想が目に飛び込んできた。私は自分が絶賛する本が、誰しもに絶賛されるべきとは考えていない。面白くなかったなっていうことだって当然あるだろう。私はだいたいそうだし(※1)。

 ただ、これを読んでひとつ思ったことがあるんだ。もしかして、幾人かの人の意識としては「本には答えが書いてある(あるいは、作者の意志としてのひとつの答えが書いてある)」と考えているのだろうか? だとしたら、ぶっちゃけ推理小説だけ読んでおけばいいんじゃないかと思うんだがどうだろう。少なくとも犯人は分かる=答えはある。っていうと、とてもトゲトゲしいということは私も分かっている。けれども、小説とはある種、自分ただ一人に向けた問いかけが書かれているからこそ、何度でも読み、何度でも感じることができるのではないだろうか。

 私はだいたいそういう妄想を抱いて本を開く。龍ちゃん(芥川龍之介)や谷崎潤一郎が私に話しかけている、と。江戸川乱歩なんて触ってくるわよ、エロいわねえ、とかむふむふする(宮沢賢治はちょっと別格で、私のような理屈っぽい人はこっちから歩調を合わせてないと賢治チャンネルは受信できない)。

 これは大いに勘違いだということは百も承知だ。春樹やばななが私に向かって問いかけたことなど一度としてない。だけれども、私はそう感じながら本を開くのだ。この物語を描いているときの作者をいつでも感じたいと思うから、わざわざ本を手元に置くのだ。

 きっと、このブログを読みに来てくれる人は、間違いなく文章を読みに来てくれている人だから言わなくていいと思うけれど(いつも読んでくれてありがとう!)。

 本当に誰かの答えに満足できますか?

 私は年を取り、けっこうなんでも「うんうん」言えるようになりました。塩鯖は「いや、そんなことは」って言いそうだけど、二十歳ぐらいのころは世界に楯突く生き方してましたんでね、丸くなりましたね。

※1について
 親切心で貸してくれた本が面白くないとき、非常に辛くなる。それが最初で最後だと感じられれば「ええ、良かったですよ。とても興味深い箇所がいくつもありました」とか言える。だけど一度や二度で終わりそうにもないとき、とてつもなく正直に「悪くないけど良くもない」とか言っちゃって本の貸し借りはほぼなくなる。これは興味のない本ばかりを借り続ける事態は避けるためであるが、まったくもってお勧めしない。

 そんな私の「直接のお断り」を軽く超えてバンバン本を貸してくれる人がいた。ロック野郎である。エレカシのボーカルが本好きだから、私はエレカシが好きだろうという気持ちの良いほどの安直さ。逆に見習えばよかったのかもしれないと思う。彼は傷つくことがあるのだろうか(地味にひどい)。ちなみに、1Q84を貸してくれというので、初版の単行本を気が気じゃないままに貸したのだけど、2週間後に「開きませんでした」とそのまま返してくれた。汚されるよりずっといい。

ロックンロールが降ってきた日 (P-Vine Books)

ロックンロールが降ってきた日 (P-Vine Books)

 これ貸したんだから、1Q84貸してよって言われたんだよ。いろんな意味ですごいと思わない?(※彼とはけっこう仲良しでしたよ)。

早起きの塩鯖である

 おはようございます。塩鯖、病院生活で健康になり過ぎて5時に電気をつけるの巻。3週間も病院生活するとそうなるね。今朝はサンドイッチを作りました。

 昨日は予告通り、塩鯖を退院させ、帰宅させ、出社させました。うちから彼の本社までは車+高速道路で40分の道のりなので、運転させるのはちょっとね。というわけで、私はマクドナルドで桜もち一号を広げてお仕事をしていたわけです。3時間でカフェオレ2杯、お腹いっぱい。

 桜もちのケースはtomtocにした。やはり餅は餅屋、PCケースを作っているところのものは包容力が違う。桜もち一号を優しく温かく、そして確実に包み込んでくれる(中がしっかり固めのもふもふです)。

 最初はぐるりとファスナーが開くタイプがいいなと思っていたが、落下の可能性がぬぐえない。このケースは横が開くだけ。そしてかさばりがちなコードやマウスはポッケに入れられ、入れた後でもポッケがそれほど膨らまない。そしてなによりいいのはこの柄だ。ネイティブアメリカンっぽい、よくよく見たらどの人物も全然可愛くないのだけど、総合すると可愛いっていうのがいい。しかもこの色なら多少汚れても気にならないしね。私の今までの経験上、可愛いとか好みばかりを詰め込んでも、飽きるのが早いだけという結果が出ているのだ。

 このケースはとても良い買い物だった。DELLの14インチノートパソコンにジャストフィットです。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

 この本は何度となく読み返している。初めて読んだのはいつかなあ、こっち読んだ後ぐらい?

なるほどの対話 (新潮文庫)

なるほどの対話 (新潮文庫)

 とにかく河合隼雄さんの対談本に書かれていることは、読んだその瞬間はすごく分かった気がするけど、熟成させて再度読むと絶対に「あれ、ここそんなに深いこと言ってたんだ」っていうのがある。

 人間なんて簡単なものだと言ってしまえばそう、その通りなんだ。理屈が人間を難しくしているのだ。

 今回読み直したことで、当時の村上春樹ねじまき鳥クロニクルあたり)がどのように小説と向き合い、物語を紡いでいったのかはよく分かる。だけども、もうかれこれと年数が経過してしまった。理解にこれほど時間がかかるのか、とも思うが、そもそも優劣の話ではないから、他者のそれを理解するのには膨大な時間が必要ということだ。

 気が合う友達がいて、趣味や好みがとても似ていたとしても、その二人は完全な一致ではないということ。双子ちゃんならほど近いものだろうし、姉妹ならばベースは一緒ということもあるだろう。だけど、一緒の人間がすごくすごく少ないから、人間の社会は成り立っているのだ。

 今の世界はどうなのかなって思う。コミットメント(関わり)とノンアタッチメントの時代は終わり(もうやる人がいないというわけではなくて、そこがピックアップされる時代は終わったということ)デタッチメントからいかに己の世界を築き上げるかが焦点かなと思う。だから結局広い世界とのコミットメントになるだと思うんだけどね。

デタッチメント(Detachment)とは、 ノンアタッチメント(non-attachment)ともされ、ヒトが世界における物事、人物、価値観などへの愛着欲求を克服し、それによってより高い視点を獲得するという概念である。

 間違いを選びたくない病の人がいる。こういう人はとても慎重だし、賢く見える。だけれども、間違いを引いたところで死ぬわけじゃなし、生きてる時間は少ないんだよといっても持てあますことは往々にしてあるんだし、じゃあ多少間違えたほうが経験増えるからいいじゃんって思う。なにより、間違えないと「あ、これ自分には合わんかった」というのが、分からないのだから。

 特に男女の相性って肉体関係だけじゃないし、かといってプラトニックだけでもない。なにかひとつで、あるいはあらゆることを含めて、満点を取らねば「最高の相性(より良いパートナーシップ)」にならないと思って、最高の相手を探そうとすると、だいたいロンリーな結果になるんじゃないかと思う。今この現在の世界のどこかに、たった一人の運命の人がいるとしたら、それはなんて悲劇だと思う。最高の相手というのは、そういう唯一を探すのではなくて、お互いが寄り添い時間を過ごすことで「最高の相手」になってゆくことなのだと思う。

 村上春樹河合隼雄の対談では「井戸掘り」と表れている。肉体の繋がりを過ぎて、夫婦二人で「井戸を掘る」ことが大切だろうって。この「井戸掘り」を避ける人ほど、何度も結婚したり、結婚に至らなかったりするんだろうと思う。井戸掘りをしない、という選択もあるが、それ相応の忍耐力と根性が必要になる。それは片方だけが備えていたらいいものではない、ということを知るのが結婚だと私は思う。

 たとえ心理学の専門家であっても、必ずしも夫婦関係が成功しているとは限らない。なぜなら、夫婦関係はプライベートな側面であって、ビジネスではないからだ。仕事ならばできるけど、家に帰ったらやんないよっていう人は多い。

 一人で荷物を持つのは大変だけど簡単だ。コツさえつかめば重いものも一人で持てる。だけど、二人で持つのってどうだろう? 楽になるけど足並みをそろえないと運べない。相性ってそういうこと。例え最初(出会った瞬間)が最高にフィットしていても、生きていくうちに離れていくことだってあるんだ。だから私はあんまり相性をあてにしない。