写真がない日が続いています。が、目は開けて生きてます。今日写真撮ったのはうどんでした。またうどんかよ。でも食べるのは久しぶりなんだよ。
牛乳がないなあと思って数日。道すがらのコンビニはいくらでもあるのに、どうしても止まれない、止まりたくない日々です。だいたいいつもそうなんだけど。でも今は殊更そのようで、いったいどんなタイムアタックを毎日しているのかと、家についてから呆れます。
そしてさっきまでぼうっとしつつ、何かに似てるなあと思ったら、通学中の自転車で、絶対に、信号待ちでも足を着かない子のようだと思い当たりました。なるほど、それはあれだな、マンホールを踏まないといけない病みたいなやつだな。あまりに些細な願掛けもどき。言ってやりたい「そんなのでは幸福も不幸も変わりはせぬよ」と、自分にもか!
大槻君の、いつかどこかのエッセイでそんなのあったな。たぶんこれだな。
- 作者: 大槻ケンヂ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/07/17
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ことあるごとに、脳みその容量の無駄遣いじゃないかと思う。
願掛けってしたことありますか。私はないです。失敗するパターンを考えるだけで心が折れて、願掛け自体をやめてしまします。「そもそも願掛けする自体がおこがましいことであった」みたいな結果も出ていないのに早々に結果出す、という不毛さ。いいんです、本当にかなえたいことは願掛けとかしないから(ちょっと、それ本題からそれすぎじゃね?)。
などと言いつつ、きっとマンホール見たら踏んでますから、こしょこしょと小さな生き物だなと思います。後姿のネガティブさ万歳です。
これってカラーの夢を見るか見ないか、ぐらいきっぱりと分かれることだと思います。しない人からすれば「なんでそんなこと」だろうけど、する人からすれば「なんでかしちゃうこと」。こっそりやっても、あっけらかんとやっても、どこかでなんだか「やらないと落ち着かない、むしろ危機感。なぜだろう?」と思ってる。これはルールじゃないんです。もっとゆるい、けどやるとほっとする。
私はこれを「ネガティブさんたちの安心行動」だと思ってます。だって具体的な何かのためにじゃないんだもん。もっと漠然とした「なにか」のための「いつもの」「なにか」だから。
私はネガティブですが、塩鯖はポジティブです。塩鯖がマンホールを踏んだり、路側帯からはみ出ないように歩いたりする姿が思いつきません。でも、毎日一緒なのでポジティブさんの精神もやや分かってきました。でも、いつか私が塩鯖のようになったとしても、きっとマンホールは踏み続け、路側帯は気をつけて歩くと思います。そんな日がきたら、忙しいな私、と今からほくほくしておきます。
おしまい。