記憶は手のひらからすり抜けて水たまりへと還る

 おはようございます。

 今朝の粉ものは蒸しパンです。もちろんホットケーキミックスで作ります。ちょっと出来心で「油分を入れるとマーラーカオに近くなるらしい」と聞いて、バターとサラダ油を入れてみたところ、失敗するという結果に終わりました。食えないわけじゃない、ただ、ものすごく食べづらい。油分が多すぎたのだと思います。

 料理で失敗する原因のほとんどは、計量ミス、雑、準備不足の3点に絞られます。今日はこの3点が、ばっちりそろっていました。塩鯖がいないときの料理はまさに実験である。

羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)

羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)

 芥川龍之介とか川端康成とか、名前は知ってて一度は読んだだろうけど内容は怪しいという人は多いのではないだろうか。私も大いにそのクチ。たぶん、芥川龍之介は絵本で読んだのが一番多いんじゃないかな。

 芥川龍之介が描くのは「言葉にしづらい共感」だと思う。心の中のほんのわずかな機微、だけどきっとそれが幾重にも重なって人の行動や決断に影響を及ぼすであろうこと。100人いて100人が「あ、それ分かる」って思うことを書くのは難しい。「上手く言えないけど」とか「なんて言えばいいかわかんないけど」みたいなところだからだ。

 芥川龍之介が天才だと思う理由は、一遍の美しさにある。川端のおっちゃんは「章の完璧な美しさ」であって、一遍はおおむね「退屈」だ。それとは違って、芥川龍之介の一遍はまとまりがあって、ルールに忠実で、それでいて誰にもまねできない「龍ちゃんらしさ」があって、それでいて美しいのだ。それは名人の落語のような感じだ。演目が誰かとかぶろうが、名人は名人の領域で誰もまねできない、ということ。

 いつだって芥川龍之介が新しいと感じられるのは、きっとその時代の一番フレッシュな感覚を描き出しているからだと思う。それは生きるのが辛いほどのナイイブさを持っているからできたことだろう。そのナイイブさはきっと、彼が死ぬまで育ててきたもの。彼はずっと「自分は狂って死ぬんじゃないか」という危機感に追われていたんだと思う。悲しいかな、だからこそ生まれた耽美で美しい小説たち。彼の描いた物語は、人間が生き続ける以上足元に広がっているんだと思う。

不思議な羅針盤 (新潮文庫)

不思議な羅針盤 (新潮文庫)

 もうそろそろ何がどこに書いてあった引き出しがぼろくなってきたようで、昨日書いてた「移動距離と世界の話」は「ぐるりのこと」には書いておりませんでした。だからこっちかな。
 塩鯖はよく「記憶の引き出しが開かない」というけれど、私は元来のずさんさから、間違った引き出しに入れっぱなしのものがたくさんあるようです。梨木さんは読み返さなくちゃダメかな。

 久しぶりに「ぐるりのこと」を読んだら、けっこう難しい、というか怒ってるように感じる。怒りたい気持ちもいろいろ理解できる。けれどもう、時代も過渡期。