生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ひよっこ見てる?

おはようございます。今日は朝から元気だよ。だっていきいきうどん行ってきたもん。

www.shikoku-np.co.jp

朝5時から開いてる、微妙に美味しくな(自粛)うどん。ノーメイクでするっと気楽に行けるところです。

さて、みんな朝ドラのひよっこ見てるか? 私は見ています。ついにお父ちゃんが出てきたね。これ、お父ちゃん出てくるまで長かったよね。

お父ちゃんが行方不明になってしばらくしたころ、実家に帰ったんですよね、私。ちょうどお父ちゃんはひったくりに遭ってひどい目に遭った、というところで終わってたぐらいのころね。

私は、こう思っていたんだよね。

実はひったくり犯はお父ちゃんで、お父ちゃんは悪の道に進んでいた。たくさんお金がもらえるよ、家族にたくさん仕送りできるよってそそのかされてね。で、結局胴元に脅されてお金ももらえず、ただただ悪の道を突き進んでいるのだ。

という持論を展開する前に、母がこう言ったんだ。

たぶん記憶喪失かなんかで、すっかり忘れて別のところで暮らしんているんだろうねえ。

さすが朝ドラ歴が長いだけあるな。大当たりじゃねえか。

見つかって良かったじゃん、五体満足で、食うに困ってるようでもなかったし、なんていうのは他人だから言えることなんでしょう。うちの父が知らん女のところでぬくぬく暮らしてたら……「あんた何やっとんじゃー!!」ってなるけど。うん、そうだから女のほうに矛先は向かないな。

ま、受け手もいろいろあるのが朝ドラです。

朝ドラ効果ってあるね。ディーン・フジオカの五代様はかっこよかったが、ディーンになったらどっちでもいい、とかね。

さ、今日は内職頑張ろう~!

よりどころ

こんばんは。スマホから書いてるから変になるかも。

今日は書きたいことだけ書きます。

 

塩鯖は開放に向かっています。放流してどうする。快方です。

そろそろ退院も見えてきたし、ようやく一山越えたかなって感じです。

 

でもね、ちょっと前、喧嘩になったんですよ。でへへ。それはもちろん私も悪いし、塩鯖も言い過ぎだったんじゃないかって思います。だけど、そーゆーんじゃなかったんだろうって思う。

 

先行きが見えなかったり、思うようにならなかったりしっぱなしだと、やっぱり人の心って折れるんだと思うんですよね。それが普通。折れない人もいるだろうけど、例えばさ、信仰心が厚い人とかね、考えようによっては神様のせいにして原因とか理由を棚上げしてるわけでしてね、違うんだよ。だからって向き合えば強いのかってゆーと、それも違うんだよ。折れるんだよ、弱ってると細く固くなるんだから折れちゃうんだよ。

 

折れたったわ、今。って認めるのが、一番きついことなんだと思うんだよね。

 

そんなとき、うっかり暴言とか、うっかり喧嘩とか、仕方ないよね。でもやりどころのない苛立ちとか、腹立たしさとか、悔しさってあるよね。

 

そういうのを、私は「病が言わせてるんだ」って思うことにしています。

 

……父が言ったんだが。はは。父、さすが伊達に年取ってねぇな。でもそうだよな。うん、そうだよ。

 

この世界は不平等で理不尽でクソだと思うことが多々あります。だけど悔しいほど美しいって思うことがたまにあります。この、たまにの価値がバカでかい。

 

病院で仲良くなった人が、予定より2週間遅くなったけど、明日退院します。すごく嬉しい。

 

塩鯖ももう少しです。

疲れてます(ずっとだね)

思い出したら書き始める。こんばんは。今日も暑いね。電気代が怖いよう。

塩鯖が入院してから早80日でした。長いねえ。

疲れているのは、塩鯖がいないからというのもあるけど、単純に暑いからです。暑い。ともかく暑い。日本は、世界はどうなってしまったんだ。外で働く人たちが蒸発して消えてしまうんじゃないかと思う。だけどまだ7月。梅雨真っ最中。マジかこれ。

前回の記事でえらく悲観的っぽいことを書いているけど、基本的に私は悲観的な人間なので、誇張でも何でもない。だけど楽しいことは楽しいし、笑うこともある。ごくごく普通のおばはんです。もうおばはんです。マジでおばはんです。

ええとね、いろいろ考えたんです。オンライン哲学カフェどうしようかなあって。疲れた頭で行われる判断がどれほどあてになるものか分からないけど、少なくともここんところの私は哲学カフェ関係の投稿を全く見たくなかったんです。なぜかな、哲学は元気があろうとなかろうと、人の心にあるものなのに。

たぶん全力の善意が辛いんです。良かれと思ってやってる、人に優劣はない前提で言ってる(優位だから言ってるじゃない、むしろ劣位だから言ってることのほうが多い)、超他人事で蚊帳の外だから言えてる。そんな風にしか見えなくて、ただただしんどかったです。

そんなことはないって頭では分かってんだけどね、なんだろうなあ、人間の力なんて遠く及ばないものを見続けていると、集団で求める「幸福」に何の価値も見いだせなくなったんだよね。

人は平等じゃない。

全ての発端はあれだろうなあという出来事はあるんだけど、それはまぁ個人攻撃みたいになるから書かないんだけど、いずれにせよサイトは閉じる方向です。すまん、関係者の方々。


世界中にはいい人と悪い人がいて、それは狭い日常でも同じ割合でいい人と悪い人がいるってことで、じゃあ私は人のいいところばかりを見て生きていこうとは全く思わないんですよね。綺麗事だけの日常もきっとつまんないだろうしね。だから目の前にある私の哲学を、ただただ研ぎ澄ませてゆく。できるのはこれぐらいだなって思います。

塩鯖が入院してから、谷崎潤一郎を改めて読んでいた。私は春琴抄が一番好きなんだけど、本当にあれほど美しく、変態的で、愛おしい。それでいて、とても純粋にストイックに「文学」であるんだ。すごいことだ。

いろんな文豪、文人がいた。山頭火のように拾い食いをしても、食っても食わねども生きた人もいれば、森鴎外のようになんでも消毒する怖がりもいて、宮沢賢治のように質素なメシ(ただし大量)で早死にした人もいる。長生きすればよい人生とも限らない、うちの祖母のように。でも、大量調理は味がぶれないのと同じで、長生きすればいいことも悪いこともたくさん経験してごった煮で、たぶん人間っていう限界のある生き物は死ぬ間際に処理しきれずに「おおむね良かったー」と思いながら旅立つんだろうから、そういう意味では長生きしたほうが幸せだと言えるのだと思う。

どっちがいいとかないんだな。でも、少なくとも私は自分が死ぬとき、邪魔にならない程度のお金をちょっと残すぐらいでいいかなと思ってる。