生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

カラマンダリンが終わっちゃうのよー

 こんばんは。まだまだ終わらないけどね。4月いっぱいはカラマンダリンの出荷が主軸。

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 以前は5月のGWごろも収穫していたのだけど、年々早まってきているようで今年は4月に全部が終わりそう。早くなったからといって味が悪いということはない。むしろ、味が早く仕上がるから収穫が早まっているのだ。

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 こうしてみると、柑橘が実っている姿は本当に美しいなあ。地面には落ちて腐ったやつとか転がってるけど、たまにその上に座って「うわー、つめたーい(やっちまった)」と思うけど、それでもやっぱり美しいなと思う。

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 どうでもいいけれど、仕事中にラジオを聞くことがある。お気に入りはラジオ第一。ローカルAMも聞くことがあるが、正直言ってあまり聞けたものではない。その理由は、番組内で本当に宣伝が多いんですよ……トゥルースリーパーとかなんとかベリーとか薄毛のサプリとか。それだけではなく、大変申し訳ないがクオリティも低く感じる。

 それに引き換え、ラジオ第一の番組のクオリティの高さといったら。すごく安心して聞いていられる。安定してずっと聞いていられる……。大変ありがたいです(平日の鉄板コースも大好きだけど、土曜日の山カフェも大好きです)。

 さて、今日はもう一つ別の話題を。私は書きながら考えるタイプ。イコール、書かないとまとまらないタイプ。だからはてなブログチラシの裏なのよ。

父親の「今までこうだったんだから」という謎ルールで採択されない事とか知識でのマウントがめっちゃしんどい

 親子で農業をしているのだろう。こんなだから仕事が嫌いになりそうっていうツイートを見た。

 第一印象で「分かる!すごく分かる!!」と思った。今までこうだったんだからという謎ルール。私の場合は、母が時々頼んでくるパソコン仕事がまさにそれだ。「ここが不便なの」という割に「こうしたらいいよ」はほぼ聞き入れられない。それでイラっとしたことはある。

 でもすぐにSE時代を思い出して、慣れないことをするのが億劫なんだと思い直して、望むとおりにしたけれど、確かに私はあの時イラっとした(※SE時代、導入先のクライアントの対応をするのが仕事だったのであります)。

 じゃあSE時代も菩薩の対応ができたのかって言われると全然だった。毎度カチーンと来てたし、あらぬ暴言を心の中で吐いたりもしていた。それぐらい腹が立つものだった。それをどうやって乗り越えてきたのか、真面目だけが取り柄の私は「時間をかけて信頼関係を築いた」のだった。

 今回の場合、相手は親だ。他人にできて親にできないことなんてあるだろうかと考えた時、思い当たったのが「甘えてるからじゃないか」ってことだった。

「親なんだから~してくれて当たり前」

 そう思っていたらどうだろう。腹が立つのではないか。

「親なんだから、子供のことを思って譲るのが当たり前」
「親なんだから、子供のことをやってくれて当たり前」
「親なんだから、子供のために折れてくれて当たり前」

 そう言いたい気持ちもわかる。そうしてくれることが、親から子への愛情だとか、思いやりだと思ってる人もいると思う。しかし、おそらく親と働いている人の多くが成人している立派な大人である。

 もちろん、そこには私も含まれる……。ひぃぃぃぃ。

「親なんだから」これはなかなかのパワーワードだと思う。もし自分が親になっていたとしたら、いい大人になった子供にこう言われたとしたら。

 そう考えると、ああ、私甘えていたんだなあと思う。母からすれば、あれもこれも言わないと分からない、まだよちよちの一年生なのだ。例え20年以上外の世界に出て、一応社会人として生きてきたのだとしても、実際に目の前にいる私はよちよちのピヨピヨなのだ。

 だとしたら、母に「この子は、この子じゃなくて、”この人”になったんだな」と思ってもらえるような振る舞いをしたらいいんだと思う。今の自分が思う通りの関係性になるには、思っているより時間がかかるかもしれない。でも、母から「一人前になったんだな」とお墨付きをもらえる時、私はたぶん、今よりもずっと成長していると思う。

 ちなみに、塩鯖ならばきっとアプローチ方法が全く違う。彼はまず、完璧に相手の望むものになる。それが彼の生き方だ。私には真似できるものではない。でも、私は私なりの不器用な方法で、これから一年しっかりと成長していきたいと思っている。

移住から一年

 いろいろと整理が終わったのでやっとはてなと向き合えるタイム。こんにちは。今日は雨です。

 さて、去年の今頃は丸亀市で、引っ越し段ボールに囲まれて生きていました。移住したのが8日。塩鯖が来たのは11日ぐらいだったか。ちょうど一年が経過しました。

 この一年、私にとってはとても意味の深い、そして私自身が変わった一年だったと思います。もちろん、まだまだ全然事足りてないところもあります。メンタルも成長しきっていません。でも、少なからず一年前よりは大人になったかなと思っています。

 メンタルが子供とか大人とかってなにさ、っていう話ですが、要するに「全部自分でやるという気持ちがあるかどうか」に尽きると思います。

 こんなことを言うと、まとまに社会人やってる人からは「は? 今さら何言ってんの?」みたいな感じがするかもしれませんが、私はずーっと心のどこかで「誰かがやってくれるなら、私はやらなくていい」と思っていたし、親に対しては「親なんだからやってくれて当たり前だ」ぐらいに思っていた部分がありました。

 というのも、この方のこのツイートを見ては「そうそう、そうなんだよ」と思うからです。

 今は両親と塩鯖と4人で仕事をしています。当然、しんどい仕事はみんなしんどい。慣れてる父だって、母だってしんどい。当たり前です。でもなぜか「慣れてるんだから私よりはしんどくないはず」と思っちゃう愚か者が私です。だからすぐ休もうとしたり、帰りたくなったり、寝転びたくなったり、なんなら一日中漫画を読んで過ごしたかったりします。今でもそう。

 でも、そんな毎日の過ごし方をしていたらね、いつまでたっても柑橘栽培なんてできないんだよ。

 このツイートの中にもある通り「眠いよーしんどいよー」と思いながらも、「完璧な〇〇であろうとするために」頑張ること、それが大人なんです。

 そんな当たり前のことに気づいたのがこの一年でした。

 もちろん、自発的に気づいたわけじゃないというところが愚か者ポイントです。塩鯖に何度となく叱咤されて理解した。いやもう、塩鯖を生涯のパートナーとして選んだ私偉いね、すごいね、感動だね。激烈スパルタだったよ……(いや、それはお前がゆとり世代以上にゆとってるからだよ)。

 いつまでも、子供のように駄々っ子な自分がいて、駄々っ子に負け続けてきた成人以降だったんだなと思います。

 でも、そんなメンタルでいたから、この世界がなんにも思い通りにならなくて、敵だらだけで、戦っていないと生きていけないって思ってました。でも、そうじゃなかったんだなあ、思っていた以上に世界は優しいんだなあと思った一年でもありました。

 今の私はどうなのかなと考えると、まだまだ子供だし、元来のワガママさや自分勝手さは十分健在です。でも、前ほど自分の好き嫌いに自信が持てなくてもよもよすることは減ったなと思います。

 その理由は、毎日疲れ果てるほど仕事しているから、無駄なことは考えなくなったというのが一番じゃないかと思う。例えば今も話題のキンコン西野くん。以前は「彼が言っていることはまっとうなのかどうか」のために本まで買って読んだりした。実に、実に暇だったんだなあと思う。今はもうどうも思わない。

 それは暇だった時期に本を買って読んだり、いろいろ聞いたりしたから興味がなくなっただけかもしれない。でも、それを含めても「考え方が合わない」で終わり。終わりだ。それ以上もそれ以下もない。

 世の中は、白か黒か、好きか嫌いか、正しいか間違いか、そんなきっぱりとした二元論で語れるものじゃない。むしろ概ね濃いか薄いかのグレーでできあがっていて、自分自身さえもあっちへふよふよ、こっちへふよふよしているようなものだと思う。

 それを無理にどっちかにしようとしなくてもいい。ということは頭でわかっていたけれど、長年の「賢い人に見られたい病」が発動して、なんとか二元論に押し込めようと頑張っていたんだなあ、あの頃の私は、と今は思う。

 白か黒かといった二元論の世界から脱し、曖昧であやふやなグレーの世界に来たけれど、今の私は今までになくシンプルだと思う。

 だから、今興味があることは、どうしたら体力とスタミナが付いて栄養ドリンクが必要なくなるかということと、塩鯖と何を美味しく食べようか、くらいのことだ(もはや体重を減らそうとかスタイルを戻そうという思惑さえも二番手、三番手である)。

 実にシンプル。ああ、シンプル。そう、これぐらいで良かったんだよ、もともとな。

 そんな感じで、島に来て一年を迎えました。次の一年は、できなかったことが、できるようになりたいです。

カラマンダリンの収穫が始まった

 いろいろまとめて更新しよう。まずカラマンダリンの収穫が始まった話題。カラマンダリンは別名:南津海(なつみ)とも呼ばれるらしい。どっちが別名化は分からない。けど、とにかくいろんなところで栽培されている品種の柑橘だ。生産量は愛媛県が一番多い。

 昨今の流行りのオレンジ系の柑橘ではなく、バリバリ温州みかん系。でも、春に食べられるということが嬉しい品種だ。特徴は濃い甘さ。この濃さは温州みかんにはない。

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 カラマンダリンは父が力を入れている品種ということもあり、うちでの栽培量はかなり多め。昨日と今日で191キャリー。もちろんまだまだある。ゆえに収穫も、選別も、出荷も大変だ。だけどこれが終われば畑のみかんの実がゼロになる。

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 今の時期は始まったばかりなので、規格板でサイズを図りながら収穫する。といっても下の方で実っている実のみ。一本の木でも下と上で味が違うので、収穫時期を変えるのだ。この手間が大事。

 ゼロになれば閑散期かというとそんなわけがない。むしろ閑散期いつだよって思うぐらいずっと忙しい。そう思うたびに、生き物を扱っている仕事なんだなと思う。むしろ、収穫期だけなら期間は短いと感じる。品種が多いから収穫が何度もあるだけで、愛媛県南予地方や和歌山県のように温州みかんがびっくりするぐらいあるような地域から見れば比ではないだろう。ただ、ただただ、品種が多いのだ……(たぶん一軒の農家で対応している品種量は日本でも多い方だと思う)。

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 少し前に剪定の傷跡処理をした。大きく枝を落とした場所は、そこから枯れこんだり病気になったりすることもあるため、消毒液や写真のような銀のシールを貼って保護する。

 この日は父が一週間ほど前に剪定した後を保護して回ったので、一本一本確認する必要があり、まぁへとへとになった。なにせ段々畑が12段である。上から下に行くコースではあるが、降りてから気づくことなんてままある。上下運動がけっこうあったのでへっとへとである。

 このように、地味な仕事がたくさんあるのだ柑橘栽培。むしろ派手な仕事は収穫ぐらいで、それ以外は全部が地味な仕事だ。でも、みかんは必ずその地味な仕事に応えてくれる。これが素晴らしいと思う。

 先日、香川に帰ってきた。塩鯖の病院である。今回の検査もオールクリアで薬も減量した。良かったなあ、ありがたいなあ。

 香川に帰ったら必ずうどんを食べる。絶対だ。しかも昔住んでいた家のすぐ近くの行きつけのお店に行く。病院から近いこともあるのだけど、行きつけの味が一番いいのだ。

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 暑い日だったので冷かけを食べた。やっぱり美味しかった。冷凍のうどんにはない、しっかりとしたうどんの味がいい。そして出汁の美味しさもいい。香川のうどんは最高だ。

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 今年は桜の開花が早かった。ちょうど1年前の4月、8日にこの島にきた。その頃がちょうど桜満開だった。それがどうだ、今年は一週間も早い。

 そんな桜が満開な頃、ちびっ子3人が来た。おじさんが好きすぎてもはや襲撃だ。今回は2泊? 3泊? したそうだけど、最後の日は私たちが香川に帰っていたので、ばぁばお疲れ様でした。

 島に来て1年か。1年経過の記事も、どっかで書かなきゃなあ。