生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

産直茶屋”かん味処” に参加しました

 ツイッターで見かけていた #かん味処 に参加した。テーマは以下。そしてこれは、講義を受けてのレポートでございます。

 この講義は主に生産者向けのものだと思うけど、参加希望の消費者さんもいらした。生産者さん向けだと思っていたのだけど、知識の吸収って喜びだから、誰が参加しても面白いと思う。

 基本的に講義の内容そのものには触れず、全て私が思ったことをアウトプットする形でレポートに変えさせていただきます。

 私は生産技術の習得が先で、販売はもう数年あとになると思うので、今できることは限られている。けど、知識は腐らないからいいよね。

産直茶屋”かん味処” #8 売れてる商品に学ぶ商品の磨き方

 本題に入る前に、いろいろと「今」のお話を聞く。歴史上、人類が感染症に脅かされたことはあったけれど、今生きている人たちは初めての出来事だし、ペストやコレラ天然痘のころとは時代が違うわけで、改めて「歴史から学ぶ」だけでは足りなくて、その時代の人たちだからできる工夫とか努力が、きっと次の時代の感染症の流行の時に生きるんだろうなと思う。

 なんかこれ、人の悩みみたいだな。これをしておけば絶対大丈夫っていうものは、ないんだよってことを思い知らされている感じ。だって、衛生設備を整えても、抗生物質を作っても、それでもまだまだ人類は菌やウイルスに脅かされるわけで。

 あと、風が吹けば桶屋が儲かるというように、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶ、それが経済であり、社会だから、今何が起こっていて、これから何が起こるのかを考えることは楽しい。でも、現代はすべての流れが速すぎて、そして情報も多すぎるぐらいだから、自分にとって大切な情報を拾い、読み解き、次の行動に活かす力も必要。これは経験と創造力の合わせ技になるのだろうから、視点さえ変えればとても楽しいと思う。

ヒット商品の秘密

 あまり流行に敏感ではないので、このセクションはとても興味深く面白かった。売れている理由を解析したこと自体がなかったなあとおもう。自分がいかに販売とは縁のない生き方を(単純に、コミュニケーションが苦手だから避けてきただけだけど)してきたんだろう、もったいないなと思う。

 だって、ヒット商品って時代や世論や人間の行動や心理パターンがもりもりだもんね。面白い。

本質的価値の追求

 本質というと、やっぱり視野をぐーんと広げて、客観的に見ることで、例えば売れているものだとか、流行っているものだとかの、共通点が見えるものだなと思う。例えば、自分が栽培しているものだとどうしても「自分の体の一部」みたいに思えて、客観的に見えていないこともある。ということをまず認識しないといけないなと思った。

 私は重箱の隅しか見えないタイプだから、ぐーんと視野を広げたつもりになっても重箱から出てないやんってことが多いので、そこは訓練だろうな。日々、意識して過ごしていこう。

ベストセラーを目指す

 サイレントマジョリティーの存在が大事だという話もあった。今はSNSで発信することが当たり前ではあるけれど、それはSNSをやってる人間がそう思うのであって、年齢に関係なくSNSをやらない人だっている(ネットで買うということをやらない人だってたくさんいる)。

 私がやれることは、ちゃんとお客様にお届けして、喜んでもらうこと。ここは絶対に間違えないようにしないといけない。今の時代って、SNSで人と繋がることへのデメリットよりメリットの方がスポットを浴びているけど、だからこそできる巻き込み型の集客もあるけど、SNSだけが世界じゃないということを忘れないようにして仕組みを構築していきたい。

どう活かすか

 どうするか、を考える前にまず「自分の現在地」を確認することが、私にとってはとても大事。そうしないと、ただただ不安になる(笑・小心者ゆえ)。

 そして、私は「どう暮らしたいのか」も明確にしておきたい。じゃんじゃん儲けて暇がない、家族間ぎっすぎす、なんてことになったら、農家をやってる意味がないから。

 そのうえで、どう活かすか。うん、果物はまちがいなく嗜好品にカテゴライズされる。果物全般的にあってもなくてもいいものだから。値段が高かろうと安かろうとこのポジションは変わらない(一瞬「温州みかんは必需品じゃないの?」なんて思ってしまう生産者脳)。

 単純に売ることだけ考えたら、必需品の方が断然安定するだろう。だけど、嗜好品は嗜好品だからこそ、必需品には必要ない演出だってできるだろう。でも、この演出に費用をかけていたら意味がないように思う。結局その費用ってお客様にいっちゃうわけだしね(もちろん、赤字でやる気なんてない。下に書いた「継続すること」が守れなくなるしね)。

 ハナウタカジツさんから購入した果物は、とてもスペシャル感があって、開けてワクワクして、本当に楽しかった。ほかの農家さんのものもいろいろ趣向を凝らしていて(ナスケンさんは箱に可愛い絵が手書きで書かれていて、かなりワイルドで楽しい感じだったし、草野農園さんは生産者ならではのレシピが入っていて良かった)、演出っていろいろやり方があるんだなと思った。

 しかし、これだけが全てではないと思う。購入してくださる方や、購入するかもしれない人にも届けられる演出は、もっといろんなやり方もあるし、利用できるもの(要素)はたくさんあると思う。

 期待を裏切らないということは、第一に「継続すること」と、情報を正しく届けることだと思う。ネット頼みではなく(ネットを使わない人もいる)、あらゆる手段で考えて、情報を正しくお手元に届けること。ここは考えるのが楽しいところかも。

 継続的にのろのろ読んでるこの本のことを思い出した。誠心誠意仕事に取り組むことは、当然大事なことだ。だけどそれ以上に大事なのは、到達目標よりちょっと先の未来を描けているかということ、そしてそれを本当に現実のものにするための努力をし、必ず到達するという強い信念と、そこに必ず到達できると自分たちを信じる力を持つことが、大きな目標を達成するために必要なんだと思った。

 そういう自分への信頼を築くためにも、ちゃんとひとつひとつ丁寧に考えて行動していこう。

コンクリート仕事をしたよ

畑の中に水路を作ってきたよ。

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この畑、大雨が降ると水浸しになり、土がどんどん流れ出てしまっていた。だから水路を作ってきた。すべての計画は父で、いつの間にか水路用の溝を掘り(溝というにはかなり広いししっかり深い。今回はこの作業をしていることにまったく気づけなくてやらせてしまった。申し訳ないと思っている)、ブロックとコンクリートで補強し、鉄板を橋として載せて完成といものだ。

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毎度ながらコンクリートを練るのはこの道具。機械もあるけど、機械が重く、かつ電源がないので手動が主。車に乗せて移動して、そのまま使えるなら機械の出番も多かろうが、そんな条件がそろった畑の方が少ないうちは手動セットが大活躍。

はっきり言って、手動はかなりしんどい。よく考えてごらんよ、大量の泥練りだよ。練り始めたら汗が一気に噴き出すやつだからこれ(でも重いものを四苦八苦して運んで、また片づけるよりはずっといい)。

溝は父が掘ってくれていたので(水平に掘るのもまた地味に相当難しい。父や塩鯖は上手にやるので、本当に器用だなあと思う。私はぼこぼこになるか、綺麗に傾くw)、私と塩鯖はコンクリートを練ってブロックを並べてゆくところから。半日くらいかけて完了。

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次は底をコンクリートで舗装する。この塗りつける仕事(左官仕事)も地味にスキルが必要。けっこう跡が付いたり、傾いたりするもんだ。今回は父が全部やってくれた。

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そんなこんなで、翌日午前中には完成。父は仕事が早いんだ。だからすごく急がされてる気がしてしまう(仕事が早い人の功罪)。

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 午後からは、道が傾いている場所へ。傾きが反対ならいいのだけど、畑向きだから染み出た水が全部畑めがけて入ってくるので、ブロックとコンクリで壁を作るのだ。今までは土のうと土管を置いて防いでいたけど、土管を使うアテができちゃって。いや、もともとこういう壁を作ることが目的でブロックを置いていたのかもしれないけど。

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 ブロックを置くにしても、基礎部分は綺麗に整えないといけない。私がやったらこれだけで半日はかかるのだけど、父や塩鯖は器用にこういう仕事をする。身体に水平感覚がなければ、なかなか真っ直ぐにすることはできない。こればっかりは、才能がないから練習するしかないなあ。

 ブロックを据えて、コンクリを塗り付けて完成。これで水が入ってくることはない。

 今年の梅雨は雨が少なそうなので、こうした仕事もできる。ありがたいなあ。でも、雨がどうなるのか分からないから、雨に備える仕事は今しておきたい。冬の間にやるという手もあるけど、冬は冬でやること多いしね。

 こんな仕事をしているが、今は閑散期。肉体的には楽なはずだけど~全然楽じゃないので今朝も身体がバキバキです。

今、未来の選択肢に「死ぬ」が入っている人へ

ちょっとウザいなとは思うのだけど、言いたいことがありまして。さっき、母と若い子の自殺が増えているんだってねって話してて、思ったこと。

家賃も払えず、税金も納められず、仕事もなく、未来に不安しかなくて、誰にも頼れない状態だったら、そんな自分は社会には必要とされてないのかもしれない、居場所なんてないんじゃないかと思うこともあるんじゃないかと思うんですよ。

私が20代のころ、再就職がうまくいかなかったときがそうだった。

「お金を稼ぐ」方法が、どこかに雇ってもらって働くしか思いつかなくて、たいしたスキルも経験もないから面接に行けるところは限られてるし、それも落ちるし、もう私がいてもいい場所ってないんだな、私なんて生きてるだけで迷惑かけてるんだろうなって思ってた。

でもね、今はこう思う。

未経験のことに挑戦すればよかった。たくさん失敗もするだろうけど、そのたびに何度でも心底から謝って、いろんな未経験を体験させてもらえばよかったって。

失敗することは、人に迷惑をかけることじゃないんだって思うんですよね。

そこで逃げたら迷惑になるけど、そこで踏ん張ってスキルや技術を身につけたら、その場所で役に立てるわけですよ。そしたらそこが居場所のひとつになるわけですよ。

今の自分ができることって、今までに経験したことしかないんですよね。だから、今の自分はこれしかできないと思ってても、経験を積んだらできることが増えるんです。

逆に、経験しないとできることは増えないんです

苦手、不得意、未経験で避けていることって、実は自分の可能性なんですよ。

だから、生きることを諦める前に、ひとつでいいから挑戦してほしい。あえて選ばなかった、自分には無理だと諦めた道に、一歩踏み込んでほしい。それが「誰かに頼る」でも、「未経験分野で働いてみる」でも、なんでもいいと思う。

思うような結果が出なかったら、結果が出るまで試してみたらいいと思う。たいていの成功してるように見える人って、何度でも諦めずに挑戦してる。一発で思い通りにいかないのはデフォぐらいに思っていいと思う。

生きることを諦めるのは、それからでも間に合う。
だから一緒に生き抜こう。

***

失敗したらとことんまで責める人がいる。多分そういう人って「あなたがやったことは、あなたの為にならない。だから反省して二度と起こらないようにしてください」という意味でとことんまで責めるのではないと思う。「責める」という行為を分析できたとしたら、おそらく「機嫌が悪かった」「虫の居所が悪かった」「癪に障った」などの、要するに失敗した人自身には無関係の八つ当たりの感情が8割ぐらいで、あとは性質的にサディストであるか、それしか怒る方法を知らないとか、まぁそんなところじゃないかなと思う。

私の実感では、親以外の失敗をとことんまで責める人というのは、「失敗そのものを責めているわけではなく、他者の人格を否定することで優位に立とうしている人」だなあと思う。

失敗なんて誰でもする。みんな失敗する。それなのに、それがまるで「いけないこと」のように感じてしまうのは、失敗を責められた経験がトラウマになっているか、あるいは誰にも責められていないのに、自分で自分を責めているからだ。

後者の場合、そうして「私は責められました」と事実を作ることで、責めた相手を責めようとしているという心理が働くことがある。これはけっこうお手軽なので常習化しやすい。常習化するとクセになる。クセになると、それが自分の性格だと錯覚してしまうことがある。そうなると、自分が一番損をする。だって、メンタルに対してやらなくてもいい自傷行動をとる自分が「これが私だしね」になっちゃうからだ。

ここで何が言いたかったのかというと、要するに「理不尽に怒る、叱る、責める人はいる。だけど、あなたに必要なのはその失敗を糧にすることで、責められたことに対して何らかの代償を払い、犠牲になることではないんだよ」ということ。

失敗しながらでも、いろんな経験をして、とにかく場数を踏んでいこう。厚みのある経験が、きっと未来のあなたを助ける。