そっと、生きてますっていう囁き
こんばんは。うっかり一か月放置しました。生きてます。生きてますけど死にそうです。いや本当に12月の終わりごろからずっとこんな感じね。
今はせとかの収穫も終わり、出荷もラスト一回となり、不知火(デコポン)の収穫を控えつつ、肥料を撒いたり剪定したり。とりあえず、毎日朝起きたら疲労のピークみたいな日々を送っています。
近々雨が降るそうだからその時にまとめて更新する。と思う。
最近の楽しみは、寝る前のライン漫画。課金しないので一日一話ちびちび読むんです。途中から課金になるからだいたいゴールできないんだけど、面白いかどうかは分かるね。ハマってるのはいろいろあるけど、なぜか熊に襲われる系の漫画を2つ読んでいます。なんかこう、好きだね、自分の、いや人間のスケールの小ささを実感するような物語が。
そう、そうなんだよ。熊なんてな、話が通じる相手じゃないんだよ。森のくまさんでもぷーさんでもないんだよ。あいつらにとって人間は「手軽に狩れる栄養豊富で毛も少ない便利な生き物」なんだよ。ただそれだけなんだ。それがいい、すごくいい。所詮人間なんてこんなものだと思えるから、だからしょうもない悩みやいじけ魂をふっとばして「好きに生きちゃおう」って思える。
そういやゴールデンカムイ(めちゃくちゃハマっている)でも熊に襲わせるシーンあったな。身の毛がよだつほど怖かったけど、でもアイヌの精神も含めてすごく良かったな。
なんでそんなこと考えたかというと、最近2連続で玄関マットにされた気持ちになったから。私は優しくもなければ慈悲深くもないから、玄関マットにされてなお「頼ってくれてありがとう」なんて思わないぞ。まぁこの話も後日まとめて書こう。というわけで、おやすみなさい。
農林水産省とBEAMSのコラボから思うこと
今話題のニュース、農林水産省とBEAMSのコラボについて。
news.yahoo.co.jp
現場の方々から白い反応が多くみられる。
農水省さんはワークマンの店舗に行って勉強した方が良くないです?
— クロス@Iターンのリーマン農家 (@Kurosu_iturn) 2022年1月28日
ワークマンはもう作業着で使えるスーツジャケットを作っていますよ。
どんなオーダーをしたのかわかりませんが、ユーザー目線から乖離し過ぎていて、beamsブランドとデザイナーさんが気の毒になります。https://t.co/sL2URpxaA1
BEAMSさん。農業を知ってもらうためには農家さんが着たくなるようなデザインとか作業性を考えた形とかにしたほうがいいと思う。農家さんの共感得た方がもっと広がると思うんだけどなぁ。価格帯も。おそらくコレを買う人は農家じゃない。ふんわり農業をかっこいいと思っていてファッションが好きな人。 pic.twitter.com/foDqRbeHpN
— ミナトン農園陽だまりの芽|トロッと純白さといも (@hidamarinome) 2022年1月28日
これBEAMSの運転資金確保で農水の事業とりにいったパターンかな…
— うちの子@農業マンガ11万viewありがとうございます♪ (@uchinoko_vege) 2022年1月29日
実際事業成果とかは会計検査に引っかからなければいいわけだし、量産は事業経費からできるわけないから、あくまで作るまで
おそらく販売も一定期間置いて終了じゃないかな https://t.co/DspnqCLG6s
農水とビームスコラボを生産者のみんなが叩いているので、「いや、少しはいい面も見た方がいいよ」とサイトを見に行った。
— 黒木榮一@ 農作業安全 (@agristation) 2022年1月28日
コメントを読んだら、そんな気分では無くなった。何様だ、結局ビームスのことしか考えてないじゃん。
服に農水タグが縫い付けてあるのもダサい!
見たら怒り爆発だった。 pic.twitter.com/v7L462OkzF
同じようなことを、農林水産省のYouTubeチャンネルが開設された折のインタビューや動画を見ても思った。
一言でいえば「農業のこと考えてないじゃん」だ。
BEAMSがBEAMSのためにするならどうぞ、農林水産省の職員が農林水産省のためにするならどうぞなのだ。だけどどちらも「未来の農業のため」という大義を掲げる。だから、今現場にいる人からすれば「そんな的外れな」と思うのだ。
これは別のところでも思った。具体的にはスピな世界でのビジネスの話になった時だ(全く別件だが、なんでも安直にビジネスに結び付けるのは本当にいただけないね。もともとアイデアの才覚があるならちょっと見れば革新的なスタイルを思いつくのかもしれないけど、凡人が数日うんうん唸って考えた程度のビジネススタイルなんて素人の浅知恵を出ないんだ。だからプロがいるんだ。今は簡単にプロを名乗れるから詐欺まがいのコンサルもたくさんあるから本当に気を付けないといけない。しかもそれが無知から来る善意の塊の玉石混合だから手に負えないなと思う。相手が善意の塊だからって悪いと思って受け取ると、あとでえらい目に遭うこともある。どんなに善意しかなくても自分に不要だったらNOを言えないと、関わった人がみんな不幸になるなって実感している)。
主語の大きな大義を掲げるならば、本当にあらゆる人が傷つかない取り組みを考えなければならない。それが今の挑戦だと思う。
とはいえ、誰も傷つけない取り組みなんてないのだと思う。いろんな人がいるのが多様性の世界だ。誰しもにちょっとずつ優しい=誰しもがちょっとずつ不愉快な世界だ。でもだからといって「誰かが傷つくけどこんなメリットもあるんだからいいじゃん」ではいけない。なぜなら、そんなスタンスでぐいぐい進んだのが産業革命であり、近代の戦争なのだから。何度も同じ過ちを繰り返しては人類は成長しない。これじゃいつまでたっても宇宙連邦に入れてもらえない。
だから少なくない農家の人たちは、いろんな挑戦をしていたり、少なからずアイデアを出そうと考えている。決して日々の仕事も楽ではないし、横になったらもう動けないーってぐらいハードさの中で、頭の中はそういうことを考えているのだ。
日本の農業という大きな単位で結果や成果を出していないように見えるかもしれない。でも、ひとつひとつの農家がそれぞれに考え、挑戦し、成功なり失敗なりの成果を蓄積している。それはあまりに小さくて見えないのかもしれない。だけど確実に意識は変わり始めていると思うし、動きも出てきている。大きな単位での結果や成果が出ていないからといって(自分たちの目に見える形になっていないからといって)、未着手の分野だと思わないでほしい。
もちろん、今はそんな小さな単位での活動が主かもしれないけれど、いずれ大きな単位での動きが必要になってくるときもあるだろう。それぐらいに日本の農業の未来は明るくない。そんなとき、じゃあどうしたらいいんだろうかって話だけど、なによりもまず現場の話を聞くってことだと思う。どこの現場か? 身近な産地の現場だろう。その土地の食や産業を支えている現場に。
農林水産省ともなれば、日本全国に拠点はあるだろう。だとしても、多くの農家から話を聞くなんて簡単な話ではないし、簡単に済ませられる問題でもないのは理解する。だって長い年月を費やして今の形に到達したのだから、これを変えるには小手先の意識転換だけでは到底無理だろうと思う(バズったから、注目を浴びているから、といった一過性の人気だけでは根本的な改善は困難だと思う、という意味)。
でも今はSNSが新たなシーンを迎えて間もない時代。生活にSNSが浸透してきた今だからこそできるやり方もあると思う。SNSという仮想空間から現実へ、アクションの波を広げることもできるんじゃないかと思う。
究極を言えば、自給自足ができる農業従事者にとっては、日本産の野菜がスーパーに並ばなくなるかもしれないなんてことは問題ではないのだ。だって作れるんだから。困るのは消費者なのだ。だから消費者こそ危機感を持ってもいいとは思うんだけどね。もちろん、農家だって消費者だからこそ危機感持ってるんだけどね。それがあんまり伝わらないなと思うから、もっといろんな言葉で発信は続けていかないとなと思う。
あと、自分ちの仕事で疲れ果てて一か月ぐらい考えてもなかった、ってことがないようにしないとなって。うーん、本当に横になると寝ちゃうんだよねえ。今はやりのメタバースもやりはじめたものの、やっぱり力尽きて寝ちゃってるので、そもそもの仕事配分を考えるべきか、自分の体力をアップさせるべきか、ずーっと悩みながら走り続けています。
相変わらず気づくとこれよ
気づけば五日間も経過。だからまず、今日のビックニュースから。
120cm75kgの猪を仕留めた。
今朝は連日の仕事で疲れてたので、ちょっと遅めに仕事に行きましょうということで、少しだけ遅めのスタートだった。で、いつも通り猪の罠の見回りから。イノシシの罠の見回りは、地域の罠の見回りと、自前の罠の見回りの2パターンある。自前の罠は自分で設置し見回りする。
ということで、自前の罠の見回り。だいたいこの見回りタイムは熊の事件を思い出していることが多い。主に三毛別羆事件と福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件だ。うっかりすると野生動物の恐ろしさを忘れてしまいそうだから。
そんなわけで、熊に出会ったら背を向けず逃げる……などと想像していたら、罠かけポイントにでっかい毛むくじゃらが大暴れしているではないか。今までさんざん罠の設置に同行していたけれど(罠の設置には免許がいるので同行とお手伝いだけ)、罠にかかった猪を見るのは初めて。軽トラの助手席で大慌てである。私が慌てたところで何もできないのだが。
夫氏は鉄砲隊なので何度も経験しているから安心だ。冷静に銃を取りに帰宅し、身支度を整えて再出発、そして猪を仕留めた。
で、問題はそこからだ。この猪を、運ばねばならない。
この時点では猪のサイズや重さなどは目測でしか分からない。だとしても、猪をケースに入れて指定の場所に運び、記録し、しかるべき処理をする施設に入れるところまでが「猪対応」なのだ。
で、夫氏と二人で頑張った。幸い罠をかけた場所は軽トラより上の位置(元段々畑)なので、まずは罠を外し、石垣の下にケースを設置して転がり落す。ここまではOK(けっこう長いこと動いてたので怖かったんだけどもね)。夫氏がしてくれたので私は直接触ったりしなくていいし。
問題はここから。この巨体を軽トラの荷台に二人で載せねばならない。
去年の私ならば間違いなく恐怖でパニックを起こして逃げていたと思う。それぐらい野生動物は怖いのだ。だけど今年は「”女は度胸”で逃げない一年にする」と決めたので、意を決して近づき、猪の入ったケースを夫と二人で軽トラに担ぎ載せた。素直に持ち上げたんじゃなくて、荷台に持たせかけてから滑り入れた感じだったけどね。いやそれでもマジで重いから。アドレナリン出てなかったら持てないと思う。
全力でひと段落である。あとはしかるべき場所に持って行き、計測、記録、保管で終了だ。
私はこの島で取れた猪を食べて美味しいと思ったけれど、正直言ってこの作業の後では全く食べる気がしない。これがオスだから(オスは美味しくない)ではなく、かなり精神的なダメージが大きくてショック状態だったのだと思う。
つい昨日のこと、左瞼の痙攣が2か月も止まらないのでストレスか疲れかって思ってたけど、ストレスや疲れはあって当たり前のものなのだ。だからストレスや疲れを否定したって始まらない。これらとどう付き合ってゆくか、どう逃がしてゆくか、それを考えないといけない。
だって、これからも罠を仕掛けるんだよ。ということは、このショックが強いストレスだって毎回受けるんだ。回数をこなして慣れて麻痺するのは、野生動物の命への冒涜にも近いんじゃないかと思う。だからそれだけは絶対にしたくない。ならば、強靭な精神力と体力が必要だなと思った。
稀に「野生動物を殺すなんてかわいそう」という人がいるが、そういう人は一度も野生動物の脅威を感じたことがないから言えるのだと思う。実際に目の当たりにしたら、目の前で殺されるのを見たら、自分も彼らと変わらない肉の塊に過ぎないことを思い知り、同じ肉の塊ならばあちらの方が圧倒的に強いと感じると思う。
そんな動物から自分や作物を守らなければならない。とても綺麗ごとを語る余裕などない。
私は、人生とは経験をどれだけ自分の精神性(スピリチュアリティ)に生かせるか、ということで充実度が変わると感じている。リアルな経験に勝るものはない。それがどれだけストレスフルでショックな出来事であっても、自分の人間性の向上のための糧になれば、なにひとつ無駄ではない。
だから私は、ある意味では一定の人たちとは分かり合えないかもしれない。それでもいい。今日出会って別れた猪から学んだことを大事にしたいと思う。