生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ここはメモ帳ですから

 思いついたら好きな時に好きなだけ殴り書きすることもあります。こんにちは。今日は病院から。

 よくよく考えてみたら、はてなブログは随分と長い間続いている。特に使いやすいエディタでもないし、気が利いた作りでもないし、利用料が安いわけでもないし(むしろぶっちぎりで高い、年間8000円のブログなんて逆にない)、と悪口ばかり出てくるが、一番最初に「あ、はてなにしよ」と決めたきっかけは覚えている。はてなリンクである。ただただこれが、なんかよかったからです。

 昔のはてなブログは圧倒的に男性ユーザーが多く、2chの住民よりはちょっと上品だけれどもどこかしらに怒りなり憤りなりを抱えている人が多かったように思う。当然そんな人ばかりではなく、私のようにだらだらっと日記代わりに使う人もいただろうが、今は全然違っていて驚く。はてなブログは情報系サイトが本当に多い。おそらくSEO対策の兼ね合いからだろうが、なんかこう、昔からの住人としてはとても複雑な気持ちになることがある。けれど、なんだかよくわからない分類しづらいブログもここには多い。アメーバでもライブドアでもFC2でもない人たちがここにいる。

 それはさておき。

 魔法のお仕事のお客さんがこのブログを発見してしまった。といっても、別に困ることはなんにもない。どちらかというとここは「ネタ帳・メモ帳」の位置づけなので、まぁまぁネタがかぶるけどごめんね、ぐらいの感じだ。でも「見て見て、私何年もブログ書いてるのよ」って言わないのは、はてなブログに書き殴るときには読む人のことをあんまり考えていないからだ。見出しのタグも入れないし、推敲もほとんどしない(誤字脱字は雰囲気で読んでっていう暗黙の了解)。

 その方が私の読書歴をご覧になったようで、触発されて同じ本を読んでくれている。なんていうかね、照れちゃってカーテンに巻き付いちゃうぞっていう気分だ。決して趣味のいい読書とは言い難いし、読書会事件でざっくり消しちゃったし、でも考えようによっては今のこのブログの状態が「私にとっての最低限で適度な場所」であるから、総じて良かったということにしておく。

 私はきっと読者がいようといまいと、時々怒って感情的に書いて消したり、ありふれたことを黙々と書いたりする。そしてその積もった書き物を半開きぐらいの目で見たら、なんとなく物語に見えていたらいいな、程度の気持ちでこのブログタイトルなんです。

 さてさて。

 塩鯖は土曜日に退院することになった。めでたい。減塩だし生活も本格化する。今回の塩鯖は本当に症状からの回復が早かった。主治医の判断が速かったのもあるだろうけれど、ストレスが少なかったというのは大きいと思う。二人部屋を一人で使っているからな。

 私は丈夫で長持ちだけが取り柄なぐらいなので本当の理解はできていないかもしれないが、塩鯖は4回目の入院にして本当の意味で「受け入れた」ように思う。それまでは元気印で生きてきたんだから、どっかで「間違いじゃないか」とか「治るんじゃないか」とか、健康への過信、傲慢さなどなどがあったのだろうと思う。40代半ば、働き盛り。若いころよりも仕事が面白いっていうのは素晴らしいこと。けれども、体の声を聴くことを、ここでしっかりと学ばされたと感じている。

 もちろんこれは、家族である私も同じ。私が彼の病から学んだことは、大人ばかりの二人暮らしの危うさとか(夜、一人になると本当に闇が怖い。光る存在感がなくて怖い。そして、この時間を過ごしたからこそ、子供や赤ちゃんが放つ光を知った)、未来の残り時間とか、自分の望みを彼に肩代わりさせてたこととか、あるいは病気という免罪符に隠れようとしていた弱い自分とかを知った。

 もしかすると、この年齢で学ぶのはちょっと早かったのかもしれないとも思う。でも早いとか遅いとかの問題ではないからいいんだ。

イヤシノウタ

イヤシノウタ

 同じタイトルに忌野清志郎のCDかな、がある。本当に人が癒されるっていうことは、どういうことを指すのかなと思う。リラックスとは違う(サービスや商品にある「癒し」はだいたいリラックスだけど)。時々ピリッとしたり、甘く緩んだり、下唇を噛んだりもする癒しがあった。特に父親である吉本隆明さんのことが書かれているところは、隆明LOVEの私にとってはひりひりと痛む。もう存在しないんだってことが、ヒリヒリするのだ。これは河合隼雄さんにも感じる(どうかどうか、YMOのメンバーはアホかってほど長生きしてください!!)。

 最近の私は、「癒し」って頑なさが消えることかなって思っている。恨みとか妬みとか悲しみという感情は雑草のように根強くって頑丈だ。人生においてこの感情に出会ったことがない人はいないのだと思う。その傷はある意味ではその人の人生とも言えるものだ。その傷を宿に、一見するとまともな外見の木を生やすことが、人生のある一時期誰しもにあるんじゃないかと思う。それはほかの木よりも簡単に早く、大きく立派になる。だけど本当の意味で傷が癒えてしまうと、この立派な木は宿をなくして消える、あるいは存在意義をなくす。人によっては、宿そのものを飲み込んで木が成長し、傷が癒えても木は残るということもあるかもしれない。いずれにせよ、強張った頑張りが具体化したのが「傷から得たその人の教訓」であり、人生なのだと思う。

 私たちは一度生まれて一度死ぬ。だから人生は一回こっきりなわけだけど、残せる木はひとつだけではないし、生きる指針やポリシーや大切なものはひとつしか持てないわけではない。時間の流れとともにそれらを変化させてゆくことが、おそらく「自然な姿」なのだと思う。自然な姿で生きている人にはきっと、現代日本の「癒し」は必要ないのだろうなって思う。

 いつからだろう。こんなにも息苦しくなったのは。

 今の私はかなり自由な時間で生活していて、塩鯖は私を尊重してくれるから、分かることがある。見えない「その他大勢」の顔色を窺わないから、のびのびとしていられるんだ。普通だとか、正しいとか、おかしいとか、そんなことはどうでもいい個人の世界にそういうものを持ち込んだら、人はどんどん窮屈に、ギシギシになっていくんだと思う。そんな環境から自分を守るために、傷から木を生やし育てるんだろう。そんな必要がなくなったとき、ふと「そういえば、あんな木が育ったこともあったよね」と振り返った時に、本当の意味で「癒しの時間」が訪れるんだと思う。

 ちょっとこの比喩、無理やりすぎたよねえ。

 まぁ、自分が鬱や生きづらさを感じたときって、なにがしか「違う」んだと思う。それがたとえ、DVうんこ野郎のせいだとしても、復讐したって傷は癒えない。むしろ、そんなうんこなんて見ずに、なぜ自分は傷ついたのかなって見てあげて、手当してあげる方が、よっぽど癒される。

 明日の朝書かないかも。