生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

いろいろぐったり

 おはようございます。最近はちょっとポスティングしてなくて、というか収容所はいっぱいだがポスティングの甲斐なくなかなか飼い主が見つからないのでお休み中、というわけで。ちょっと風邪気味だったりもしたので、高松地域はまるっとお任せしたのだった。たまにはいいでしょう! 近くないし!

 先日、手書きの解説までつけた事件の後、また似たような事件に遭遇してしまった。なんかもう、不毛すぎる会話を続けようとするので、最終的には「不毛だからやめます」って伝えたんだけど、ショックを受けられていて、私の方がダブルパンチっていうかなんていうか。

 まず最初に「送ってくれてもお返事はするかどうかわからないよ」とやんわり断ったのだが、やんわり過ぎてポジティブ返還されてしまったようだ。かといって、きっぱり「不毛だ」なんて言うと「傷つくわー」っていうのも分かるんだけど(だから言う方も傷つくのよ、それなりに)、こっちが振った会話を「(ちゃんと読んだけれどお返事するかどうかは私の自由♪)」で返されると、私としては「話が届かない相手なのだな」と思うほかない。もちろん、これは私にも押し付けてくる。聞いてきておいて最後に(お返事するかどうかはあなたの自由!)みたいな感じ。いや、ならなんで会話しようとしてるのよ、って思うよね。ボールを拾わないドッチボール、しかも投げる方向は人のいないところ。なんのためだ、なんのための投球だ。

 理由は分からないが、不毛なこと、意味のないことは、極力避けたい傾向がある。遊びでアホみたいに無駄なことをすることもなくはないが、楽しくない無駄なことは本当にただ無駄なだけだ。謎だ、謎過ぎる。仕事であれば、終わりのない文化的雪かきも何とか自分を言いくるめて頑張れるのだが、それ以外は本当に心が枯れる。

 私は心根が優しいのでちょっと考えた。世界は広い。実に、実にいろんな人がいる。私の想像の範囲なんて世界から見れば手のひら以下だろう。気にするまい。

 と、今ちょっと悟った感じではあるけれど、お友達の一人に「もう私はどうしたらいいのだ」と聞いた。私は結構な確率で困ったことを人に聞く。その友達は「私なら、、白〇のふりをする! ナイス〇痴! いい〇痴だった!! って言われるぐらい」と言った。天才過ぎる。でもこの方法は史記の中にも出てくる。皇帝に気に入られてたんだけど、どっかから入れ知恵されてそろそろ命が危ないかなと思った側近の一人が、気が狂ったふりをして街中を意味不明なことを言いつつ去ってゆくシーンがある。あれだけ長い物語の中で、このシーンが一番心に残るってね。いや、他にもいろんな印象深いエピソードはあるのよ。

 彼女は本木雅弘草野マサムネヨシフ・スターリンと同じ誕生日。パンクだ。