生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

女子の遺伝子

女子の遺伝子

女子の遺伝子

 ハイペースで読んでいるように見えて、単に昨日は塩鯖が休みだったのでごろごろしていただけという。私の休みは塩鯖の休み。

 初めて「子供を産むのっていいことなのかもしれない」と思えた本。オニババ化する女性たちの作者である三砂ちづるさんと吉本ばななさんの対談集。この二人はフェミニストではない。だからとても読みやすかった。

 私はどこまでも偏りすぎたくない。偏ることはあることだけど、偏っていることを認識していたい。究極に偏った思想だけで日常を過ごしたくない。せっかくの日々が狭くなってしまうような気がしてしまうのだ。おおむね「どっちだっていいじゃん」で過ごしたい。けれどそれを許さないのが行き過ぎたフェミニストやビーガンや動物愛護だ。ホントもう、この人たち毎日怒るために生きてるのかな、とさえ思う。

 三砂さんはブラジルで出産、育児をした方だ。あちらは帝王切開が主流らしい。そしてお手伝いさんがいるから料理も家事もほとんどしないらしい。そう聞くと、日本の多くの女性は「いいなあ」と思うだろう。私ですら毎日のご飯にうんざりするときもある(外食しますけど)。日本のママは超頑張り屋さんだと思う。家事も、育児も、ついでに仕事も、何もかもをそれぞれに100点取ろうとして、とれなかったら頑張りが足りなかったと反省して。どうしてそこまで自分を追い詰めるのかなと思う。

 いろんなことを切り分けて考えるようになった弊害かなと思う。それぞれに100点なんてとらなくていいのに。

 誤解のないように言っておくけど、私はブラジルの育児が最高だとは思わない。どっちがいいという話ではないんだ。ただ、ブラジルのママたちは子供たちにあふれるほどの愛情を表現し、スキンシップをし、それで十分まともな人が育っているってことが大事だと思う。大事なのは手作りのご飯を提供することでも、家のなかをピカピカにすることでも、いつもきれいにしておくことでもない。ママはあなたが大好きだ、ということを子供に伝えることなのだと思う。

(その代わり、ブラジルのようなお手伝いさんがいるおうちだと、朝ノーメイクのパジャマでだらしなくごろんとテレビを見たりできないそう。ご飯も「今日はお菓子食べてお腹いっぱいだからいいや」もできないそう。私はそういうの絶対無理)

 そう考えると、私ですら「母親になれそうな気がする」と思えた。万が一今妊娠したら「高齢出産の初産」で「喫煙者」で「旦那が投薬治療中」で「未来の収入は未定」と非難されるネタには事欠かないが、そんなもん他人にあれこれ言われる問題でもないしな。

 私は育児を親の責任だと思っている。すぐに「社会が悪い」と言い出す輩がいるけど、あれはすごく変だと思う。逆説的に言うと、そう発言することは「この子は国や地域のものだ」ということになる。変だろ。当事者たちが大変ならば、当事者から「これが大変、助けて」って言うべきで、その声を聴いた行政や地域が、サポートなりサービスなり助け合いを起こせばいいこと。

 まぁ、日本はもうそうも言ってられないぐらい変に細分化され、マネタイズの力がしみ込んでいるんだろうけど。もうそのマネタイズ文化もやめちゃいたいね。

 あと、菜食主義のことにも触れていた。挑戦したことがあるお二人がそろって「よくないね」という。まぁ、この人たちにはよくなかったということだけど、その理由が納得できる。「本能が失われる危機を感じた」そうだ。私は肉食をやめる気がないのでこの危機感を感じられるかどうかわからないけど、一時的に肉を食わない生活をしたときに同じように思った。生きる気力のようなもの、生きるために必要な大事なエッセンスが、私の身体からなくなってきた気がするって。

 食べたくない人は食べなくていい、食べたい人は食べればいい。ただそれだけのこと。そしてきっとこれからの時代は、食べない人の食べない理由を聞いても、あるいは食べる人の食べる理由を聞いてもなお、それぞれを尊重しあって食事を楽しめることを求めていく時代なんだろうねと思う。

 そういえば、氷河期世代救済策みたいなのが出るらしいね。「人生再設計第一世代」に言い換えてね。アホじゃなかろうかと思う。何もかもひとくくりにするなよと思う。氷河期世代だけど立派にお仕事続けている人もいるし、非正規雇用で今生きるのが苦しい人もいる。それに「人生再設計第一世代」っていうネーミングがひどくムカつく。全部が国のせいだとは言わないから、この上から目線の「助けてやるわ」みたいな名前は本当にやめてほしいわ。