生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

何だかもう死にそうなほど忙しい

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 BGMがかかっている間は遊んで良しとする。こんにちは。忙しすぎて免疫力がだだ下がりです。あれもこれも出てきてマジめんどくせええ。前の記事(12/4)から毎日予定があってだな、ここ5日間に至っては睡眠時間を削ればなんとか程度にまでなっている。なんでこうなったんだ。分からん。でもとにかくやらねばならないことが山積みである。

 つい先日は実家に帰っていました。輸出関係は私がお願いしたことだから、私も手伝わなければと思っていてね。でも父は「面倒って理由で断っていたら、なにも始まらないだろう」と言って、一手に引き受けてくれました。オレの親父カッコいいだろ?

 ま、できることはやるんですけど。例えば箱作りとか、年賀状作りとか、収穫とかサンテかけとか。

 塩鯖は美味しいものが好きなんだけども、肉とか野菜に限られていなくって、要するに「美味しいもの」ならなんでもいい。なので大量の野菜を食べ、かつ持ち帰ってきた。さて、オレに料理する時間はあるのか? 今日はマーボー白菜にする。無茶だとはわかっている。でももう頭が働かない(昨日は水炊き)。

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 妹ちゃんがイライラして電話をかけてきた。イライラの原因はちょっとやりにくいお客さんに出会ってしまったことから、私の何が悪かったんだろうか、という話だったけれど、小一時間姉と話してモヤモヤが消えなかったようなので、塩鯖に丸投げしたらすごく落ち着いた。塩鯖は魔法使いであった。

 塩鯖は自動車整備もできるが接客もできる。なので接客歴20年のアドバイスが魔法の種明かしなのだが、要するに「100人のお客さんがいて、100人を大満足させることはできない。だけど100人を大満足させるように最大限の努力と誠意をもって対応する。これがプロ。そして、何人かのお客さんがとっても不満を抱いて帰ったとしても、それが全部自分の非によって起こったことではない。だから自分を責める必要はないんだ」ということだ。もちろん、日々精進する気持ちと努力があって初めて「自分を責めなくていい」という言葉が出てくるわけで、「自分なりには超がんばったんです」であっても周りのレベルに達していないときや結果が伴っていなければ、「自分を責めなくていい」という言葉は出てこず、「もうちょい頑張れよ」になる。

 自分と他者を正確に評価できる客観的な視点が必要で、ある程度の大人(年齢的、経験的に大人)であれば身についている「客観性」で十分に事足りるはずだが、どこかしらに甘えやお気持ち主義がちらつくと途端にブレる。私もそうなりがちなので気を付けているけれど、ブレたり甘えが出たりしちゃダメなんじゃなくて、そう気づいたら中庸でいること、ニュートラルであることを意識して、必要であれば謝って(なんかやらかしたんならな)、でいいのだけど、なんかねえ、それでスネる大人が多いなと思う。

 妹ちゃんはやっぱり今日もごねていて、なんだかそれが母そっくりだなと思った。今きっと妹ちゃんは「姉は分かってくれない」と思っているだろう。でもそうであっても、姉は常に妹に寄り添っている。共有や共感は、同じ出来事に対して同じ反応を示すことではないし、同じように感情に振り回されることでもない。この出来事に対してこう思った、たったそれだけのことだけど、人の「こう思った」を100%そっくりそのまま「そう思う」ことが現実では無理だから、100%分かってもらう必要もない。自分の感情が立てた荒波は、自分が受け止めるしかない。それは、誰かに分かってもらうための荒波ではなく、自分が気付くべき感情の起伏のひとつだから。

 けっこうね、ただ単に、特定の人に「優しくされたい」人は多いんだと思うよ。難しいね、人って。でも簡単だよね、同じ人だからね。

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 新しいサイトを作った。こっちはやっぱりチラ裏的に使ってゆく予定。もうちょい記事が溜まったらその辺にリンクします。