生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

瀬戸芸2022に行ってきたよ

随分と遅くなりましたが、瀬戸芸2022に参加したよっていうお話。おはようございます。今日は久しぶりの雨。順調に降ってください、カラカラなんですわ。

さて、過ぎ去りし10月22-23日で瀬戸内国際芸術祭2022に参加してきた。今年は粟島、高見島、伊吹島の3つをめぐる予定。いつも誘ってくれる親友に感謝だ。

当日、広島に住んでいる友人が愛媛に来てから一緒にスタート。土日ということもあって松山インターまでが遠い。松山市内はとにかく道が悪い。休憩なしで向かったので13時ごろ発の粟島行きの船には間に合った。そしてここでひと悶着。

私が駐車場の停車している車にぶつけてしまったのですΣ(゚д゚lll)ガーン

というわけで、私は駐車場で車の持ち主を待つことにし、友人だけ先に粟島に向かってもらう。

ちょっと説明すると、粟島行きの船の港はとっても小さな港で駐車場がない。だから別の場所に駐車場を確保しており、そこからリムジンバスで港に向かう仕組みになっている。港から駐車場までバスで10分ほど。歩くと結構な距離である。

しかしこの駐車場に車を停めている人は100%粟島に行っている。ほかの人は絶対停めない、そういう不便な場所にある駐車場なのだ。だから必ず車の持ち主は帰ってくる。

この駐車場にはスタッフさんがいらっしゃるので、車をぶつけてしまったことを報告し、警察を呼び事故の登録(?)をしてもらう。

車をぶつけてから警察が終わるまでの間が1時間ほど。スタッフさんにも警察さんにもとても良くしてもらい、みなさん「ここまでせっかく来たんだから島に行っておいで!!」と何度も仰っていただけた。でも私は残る選択をした。メモだけおいて(警察の方も相手の情報が必要なので張り紙をしてくれる)遊びに行ったって全然OKだと思う。ただ、私は直接相手に謝りたかっただけのことだ。

というわけで、約2時間ほど経過して車の持ち主が帰ってこられ、警察さんにも再度来てもらって事故の処理を行い、保険の話も済んだ時点で15時。

ああ、最終便があと10分で出るな、粟島は次回に持ち越しかと思っていたら「ボク、今から港に行くんですぐに車に乗ってください!」と瀬戸芸Tシャツを着た若者が。あなたは何者なの!?と思ったら、市役所の職員さんでこの地区のマネージャーを担当している人らしい。お言葉に甘えて車に乗り込み、ちょっぱやで港まで送ってもらって粟島に到着。無事に親友と合流し、粟島のアートを堪能することができた。

瀬戸内国際芸術祭は何度か参加しているけど、今回初めて「人の温かさ」を実感したかもしれない。もちろん、ほかの場所でも何度か経験しているけど、今回は本当にみなさんがいてくれて心強かった。ただでさえぶつけて凹んでいるしね(私も車もw)。一番感謝なのは「車は気にしなくていいから、気を取り直して楽しんで! せっかくの旅行だよ!」と言ってくれた夫氏だ。ありがとう、ありがとう。

ということで、初日は終わり。粟島は狭い島なので2時間もあれば十分回れたよ。

ここでひとつ(情報サイトにはあるまじき分かりにくいところに大事な情報をぶち込むスタイル)、瀬戸芸を楽しむためのポイントを書いておこう。

まず、船の時間は絶対ってこと。粟島のような近くの島ならばチャーター便で増便される可能性もあるが、必ずしもそれがあるとは限らない。現に高見島は朝に1便増えただけだった。「行けば何とかなるっしょ」が通用すると思わない方がいい。

そして島のサイズと干渉時間は比例しないってこと。高見島は狭い島だけど、登りが多くてすごく時間がかかった。ガイドブックの目安時間は確かに多めに書いてあるが、必ずしも「絶対多い」わけじゃない。実際に高見島は周回して帰りの船に乗るまでも含めるとぴったりの時間だった。当然、人が多ければ鑑賞時間もさらに必要になるから時間内で終わるわけがなく、さらに島内の予定が狂うと帰りの船の時間も狂うから本当に甘く見ない方がいい。

最後に体力のこと。夏開催に参加する場合は飲み物の携帯必須。どこにでも、あると思うな自販とコンビニ。それが島のジャスティスである。そしてこれは秋開催にも当てはまる。意外と暑いし、しんどいし、水分補給絶対必須。都会の人達ならたくさん歩いてるから平気だと思うかもしれないが、あんたらが日々暮らしている快適な道ばかりとは限らない。舗装されてないような場所やコンクリ打っただけの坂道なんてざらにある。だからすっごい疲れると思う。金比羅の階段を走って登り切っちゃう人達ならいけると思うけど、だいたいの人は思った以上に消耗する。だから体力チャージアイテムは絶対ある方がいい。

さあ、大事なことを書き殴ったので翌日。翌日は多度津港から出発している高島。前回は行こうと思ったけどあまりの人の多さに断念したところ。駐車場はいっぱいだし船もぎゅうぎゅう、無理だこれって諦めたのね。だから今回は始発の1時間前に到着した。が、駐車スペースぎりぎりだし船もぎゅうぎゅうだったよ。

高見島は狭い島だけど「ザ・瀬戸内の島」らしい坂道がいっぱいで迷路のようで、これは人気スポットになるよねって思った。

正直、アート作品の中には「で、これなに?」みたいなものもある。だけど今回その正体が良く分かった。

瀬戸芸の舞台になる島の多くは空き家が多い場所だ。空き家を使ったアート作品がたくさんある。かつて人が暮らし活気があった場所だ。でも島という立地の時点ですでにそこは「終わってゆく場所」なんだと思うのだ。

多くの人が都会の魅力は刺激だのなんだの言う。そうかもしれない。でも一番の魅力は「人が最も便利に住めるように創り上げられ場所」だと思うのだ。だから人が集まる。人が集まるから様々なことが実現できる。そして利便性はどんどん上がり、さらに人が集まる。それは少子高齢化している今でもそうだ。

一方で、田舎、とりわけ島という場所は利便性とはかけ離れた場所。アマゾンが届く今になってもやっぱり不便ではある。自分専用のヘリでもあれば別だろうが、様々な時間の制約、人間関係の制約、職業の制約などなどの制約だらけだ。そんな場所が嫌で人は都会を作ったのだ。

しかし終わり行く場所には終わり行く場所の魅力があると私は思う。静かで、とても静かで、終わりの想像ができるところだ。いつか、近い未来でこの場所は終わる。その思いが喚起する様々な感情や感覚が、たくさん詰め込まれて形になっているのが瀬戸芸なんだろうなって思った。

あと50年、100年もしたら、無人島になって船も行き交わなくなった高見島に、あのアート作品だけが静かに時を刻むのだろう。そう思ったら、なんていいものなんだって思った。

で、高見島はを離れて我々は伊吹島に向かう。しかし伊吹島を回っていたら私は私の島に帰れないってことで離脱し帰路に向かった。伊吹島も良かったようだから、いつかは行こう。

ということで、瀬戸芸2022のレポはこれでおしまい。