生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

雑多にいろいろ

 お疲れ様です。アルバイトに行くと、多い日では1000枚以上の写真を撮ります。腰がかなり疲れます。お疲れ様です(二回目)。

 最近のカメラはすごいもんで、重い曇り空の日でもまるで晴れの日のような写真が撮れます。すげーすげーとアホみたいに驚きます。でも現物と色が違う場合も少なくない。それでは意味がない。というわけで、素人ながら写真加工の技術もスキルアップしてきました。ファッション誌は本当にすごいと思う。同じアイテムでも雑誌が違うと写真も違うんだぜ。使いまわしなんてしないんだぜ(したら一発アウト、手抜きだと思われて仕方ないぜ)。

 カメラの練習をしている人は、毎日モノを1000枚ぐらい撮ると聞いたことがあります。聞いたときは「絶対できない、すごい」と思ったけれど、バイト程度でやるんだから、やったらできることじゃないかなと思うようになりました。なんでもやってみるべし。案外できるかもしれない。

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 連日ニュースでローマ教皇の姿を見ている。正直言って、こんなに人気がある人だとは思っていなかった。だから毎回びっくりする。でもキリスト教の偉い人だから、お姿を拝見したいという方がたくさんいるのも当たり前なのかな。いや、たぶん私の良く知らない世界があるんだと思うわ。でも今のローマ教皇が伝えていることはとてもよくわかる。5年前の私なら「きれいごとばっかりぬかしやがって」と言ったかもしれない。なぜ変わったのかというと、自分だけが苦労してきたような気持ちではなくなったからだ。みんなそれぞれに人生に苦しんだ経験があり、それでも今生きている。その程度は比較できるものではない。だから等しく扱おうと思うようになってから、えらい人とかすごい人の話がよく分かるようになった。

 ほかの人は知らないが、私は自分のことを「運がなくてけっこう苦労してきた人」だと思っていた。そういうスタンスでいても別に良かっただろう。でも目が覚めてしまったんだから仕方ない。違うんだ、運があろうとなかろうと(時々、本当に心底運がないねえって人もいるし)、今生きている、そこが一番大事なんだ。どんだけ苦労していようと、今生きているのは自分だけの力じゃなかったんだって思えることが、本当の意味で人を成長させる。

 なんか話ズレたね。

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 昨晩の夜、寝る間際に塩鯖が「ジャイ子は心が美人」と言った。その前に「しずかちゃんは顔と頭が良くてお金持ちが好き、家庭教師にもなびきやすい」と言っていたので、なんかすごい啓示か? と思ってしまった。しずかちゃんがあのままのキャラで現代に来たら、SNSを通じて誘拐されちゃうだろう。

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 ヴィンランドサガが面白くなってきて、毎回ウルウルしながら見ている。今はアシェラッドをめぐってトルケルVSトルフィンが決闘をしていたところ(アシェラッド姫みたいだな)。強すぎるトルケル、無謀すぎるトルフィン。そんな死闘を繰り広げている最中、クヌート王子はお目覚めし、真の王になる一歩を踏み出した。

 私は、クヌート王子は途方もなく絶望したから「愛」を知ったのだと思った。ラグナルがしてくれたことすべてが「愛」だと思っていたのに、それは「愛」ではなく「差別」だと聞いて、納得して、絶望したのだと。クヌート暴君フラグが立ってしまったようなものだ。でもラグナルが願っていたように、彼は大きく成長した。

 アシェラッドには誇りがある。誇りがあるからこそ戦ってこられた人だ。その誇りとは、戦士であるとか、戦いが強いとか、頭がいいではなくて、母への、父への、祖先への愛だと思う。彼が背負っているものは大きい。いや、簡単に死んでいくキャラクターたちの肩にも背負っているものがあるはずだ。でも多くの人は気づかない。気づくこと、それが愛だ。

 トルフィン、目覚めよトルフィン! 復讐のための人生ならば、きっと生まれ落ちてはいないんだ。

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 ツイッターで脱サラして農業始めた人が、直売所で〇〇を10個で100円で売ってる人がいて、自分もやってみたけど到底利益が出ないから、みんなもっと考え直そうよ見たいなことを書いていた。言いたいことは分かる。でも、田舎育ちだから分かる。全員が全員、利益のために売ってるわけじゃない。うちの両親は「売る以上は売る品質のものを」と考える人たちなので、たたき売りみたいな値段で出すことはないし、そんな値段で出すぐらいなら自家消費しちゃうと思う。でも、できすぎちゃったからお隣さんに分けてあげるわ感覚でやってるじじばばもいるだろう(だから品質やサイズなどはごちゃまぜ。当たり外れもある)、あるいは、売れれば何でもいいという考えで品質の悪いものを平気で出しちゃう人もいる。

 その直売所がどれほどのハードルを設けているのかは知らないが(でも話の内容から、直売所に置くための品質のハードルはないと感じた)、利益のために売りたいのなら、利益が出るように、売る人を選ぶとか、売り方を考える必要があると思う。それ以上に、作ったものの市場価値をシビアに見る目が必要だ。単に売り方を変えればバカ売れするとは思えない。消費者はそんなにバカじゃないし、もし当たっても一時期で終わるだろう。

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 農業ってブラックボックスみたいなもんなんだなと思う。いつぞや聞かれた「みかん農家になりたいんですけど、収穫期以外はなんのお仕事をされているんですか?」じゃないけれど、本当に知らない人が多いんだろうと思う。

 みかんなどの一年かけて栽培する果実だけで食ってる農家は、一年中みかんのことをしている。毎月給料なんてない。収穫時期に一年分の生活費を稼ぐわけだ。ということは、何キロ単位ではなく、何トン単位で作るのだ。スーパーのみかんいくらで売ってるかを思い出せばわかる。買えないような値段では売っていないはずだ(高級柑橘は除く)。

 たくさん作るから暮らせるほどの収入になるのだ。といっても、量ばかり増やして品質が落ちたら売り単価も下がるので、そこのバランスを見極めているのが農家なんだろうと思う。

 流行りのハウスいちごなんかは投資額もすごいけど頑張れば回収+できるから流行ったんだろう。何ヘクタールならば投資はいくらで回収予定はいくらという見積(?)もある。でも必ず投資が成功するとは限らない。自然と市場は担保のないものだから。

 でももう今の時代、会社員でいることが、イコール未来への担保ではなくなった。どこに行っても未来が絶対大丈夫だと保証してくれるところはない。頑張っても報われないときもある。それでも続けていくことがプロになる道だと思う。だから、好きじゃないとやれないんだよね、なんでも。