生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

隔日の日誌になりつつある危険

世の中には毎日日記をつける人がいるらしいが、私には到底できないことだなと思い、心から尊敬します。こんばんは。

昨日はひたすらに「はれひめ」を収穫し、今日は日陰のため後回しにした「はれひめ」を収穫した。

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実っている場所で味が全然違うから、別に保管しておくために収穫もずらすというわけだ。これは2時間ほどで終わった。

そして次の畑で「M温州」を収穫。

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去年はカラス対策が遅れてしまって、すごく収量が減ってしまったのだけど、今年はカラス対策バッチリだし表年ということもあり、たくさん収穫できた。そりゃもう、これくらいかなっていう予想を超えそうなぐらい。空キャリー足りてよかった(足りなかったら取りに帰らねばならない)。

非常に生産量が少なく貴重なこのみかん、味はというと「美味しい温州みかん」だ。酸もいい感じで落ち着いていて、甘酸っぱいTHEみかん。

温州みかんにもいろんな種類があって、それぞれに味が違うのだけど、私の未熟な語彙力では違いを明確に言葉にできない。悔しい。ともかく、濃くて甘酸っぱさが美味しいみかんです。

 

 

Twitterをフォローしてくださってる方はご覧になっただろうけれど、ちょっとしたぼやきにたくさんの反響をいただいてびっくりした。Twitterに限らずSNSは♡や👍などのポジティブな反応だけのものが多いけれど、今回の私のぼやきの♡は同意のハートばかりではないだろう。

でもいいのだ。そもそもSNSとはそういうものだ。

いろんな方の様々な反応を見て思ったことが2つある。

ひとつは「みんな地域おこし協力隊に対して思うことがあるんだな」ということ。そしてもうひとつは「常日頃、無意識にでも思ってることが人に対して言葉になって出てくるんだろうな」ということ。

前者はそもそも論になるので割愛するけれど、私は地域おこし協力隊の最終目的は「定住を目指すもの」だと思っているので、期間終了後は地域の人になってくれるのかなと思っていたけど、そういうわけでもないらしい。というか、それこそ人によるんだと思う。ぐいぐい地域の人になる人だっているし、その逆も然りだ。自由だ、なんだって自由だ。もう大人なんだから自由なんだ。

でも思う。人口減少、過疎化、高齢化の中に住むということは、さまざまな役割を(もちろん住んでいる人たちはなんらかの役割を引き受けているわけで)、引き受けることも含まれるんじゃないかと。それを移住者だからってスルーすることは、この地域の人ではないんです、関係ないんです、って体現されているようで少し寂しいなと思ったのだ。

まあ本当にこれこそ口を挟むことではないのだろうけど。

で、後者の「常日頃、無意識にでも思ってることが人に対して言葉になって出てくるんだろうな」のところ。

なんらかの問題提起となるようなツイートがバズった時、いわゆるクソリプと呼ばれるものがつくことが多い。実際に私もいくつか見て、びっくりするほど的外れだったり、曲解だったりして、こりゃ主さん大変だなって思うことがあった(大体は通知切って無視してるようだけど。余談だが私もTwitterの通知は全部オフである)。

書いてもいないことを、想像力で補填して、見事に被害者じみたことを言い出すあたり、このリプ主さんは日頃からストレスが溜まってるんだろうなーと思っていた。そして今回ももれなくそう思った。ああ、書き方とか伝え方だけの話じゃないんだなって。もちろん、配慮は必要だと思うけどね。

SDGsの取り組みには「誰一人取り残さない」ことがあり、そのために「他人事ではなく、自分事として考える」というテーマがある。何にでもそれを当てはめて、無作為に議論したところで話はまとまらないだろう。完璧なゴールなど今の時点で分かりはしないのだから、できることはなんだって試していくのも一つの手だと思う。

そんな風潮の中で、自分は関係ないんですスタンスが多様性だとするならば、我々は誰とどこへ向かっているんだろうか、と夕焼けを見ながら思った。

そして、いつぞやTwitterで「多様性の豊かな世界というのは、みんながちょっとずつ居心地の悪い世界」という趣旨のツイートを見た時、ああそうだ、そうだよなあと感慨深い気持ちになったことも思い出したのが今日の仕事終わり。

お疲れ様でした。おやすみなさい。