作業日誌をさんざんすっ飛ばして香川に帰省しています。こんにちは。
恒例のうどん。そろそろ見る人も飽きるんじゃないかと思うけど、食べてる私は飽きてない。でも家族が嫌がるので昼は別のものを食べると思う。いいや、むしろこれだけうどんに付き合ってもらっているのだからありがたいのだけどね(本当に)。
さて作業日誌。
木曜日には週末めがけて産直に出荷するみかんの袋詰め。200近く出したのだけど、既にほぼ売り切れの模様。頑張って詰めた甲斐がありました。
それ以外の仕事の方はというと、ひたすらに不知火の袋掛けをしていた。
不知火はこちらのJAには出荷枠がない。だから農家が個人で販路を持っているか、自家消費程度の量しかない。
不知火という品種はデコポンという名前でも知られている。正確には、不知火の中からより厳しい企画を通ったものだけがデコポンと名乗れるという、愛媛でいえば紅まどんなのような存在だ。いや、紅まどんなの方が後から出てるんだから不知火(=デコポン)の方が先輩だ。
こうした差別化は、より間違いなく美味しいものを届けるために始まったのだと思う。厳しい基準をクリアしなければならない代わりに高値での取引が可能となる。
消費者は間違いないものを手にすることができる。生産者はより高い報酬を受け取ることができる。そうした効果を狙った取り組みで、しっかり成果を上げているとは思う。
けれど、ニックネームの方が先行してしまったが故に起こっている弊害というものもあると思う。例えば「酸っぱいデコポン」とか「小さい紅まどんな」などね。それぞれの規格を通過したものであれば、酸っぱくもないし小さくもないはずだからね。でも、ニックネームの方が知名度が上がってしまったので、今ではその線引きの存在を知らない人も多いし、売り手も名が通った方を使ってしまうわけだ。
細かいことだけど、いずれこういうところは整理するなり線引きするなりしなければ、せっかくブランド化したのに価値が落ちてしまう可能性があると感じている。
まぁ、温州みかん類も「みかん」でくくられているんだけどね。これもまたちょっとどうかなと思ったり、いいかと思ったり。温州みかんは特に栽培できる地域が広いから、地域ごとに(県ごとではなく、気候ごとといった方が正しいだろうか?)「これがこの辺の“みかん“です」っていうのがあるんだけど、それぞれに特徴があるから“みかん“でくくるのにやや抵抗がある。でもまぁ、今までそうだったからいいのか、というところがブンブン揺れている。
しかしみかんっていいな。綺麗だな。
で、猪の罠を掛け替えたりもした。ここのどこかに猪罠が設置されている。人間様にはわからないだろうけど、猪様にはどうだろうか?