生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

またムダに長いよ

いつも回答を楽しく読ませていただいています。吉本ばなな、もう一押しで読みたくなりそうなんですが、ひと言(または一文くらい)で言って、彼女の作品の決定的な魅力は何ですか?


 インタビューありがとうございます! いつも読んでくださってどうもありがとう。いつもムダに長くて申し訳ない。今日もきっとムダに長いです。

 よしもとばななグループを立ち上げてる人として(ものすっごい放置してるけど)張り切って考えました。5冊読み返したよ。その割にぱっとしない答えだよ。

 彼女の小説の魅力。それは「むき出し感=生きることの野蛮さの肯定」です。多分前も同じようなこと言ったなー。すみません。

 むき出し感というのは、文字通りむき出しなんです。「愛しい」とか「生きたい」とか「食べたい」とか、そういう人間の本能の部分を丸ごと、そのまんま、書いちゃってると思っています。それこそ、ヘレンケラーの「Water!」です。自分も持ってるこれは、まさにこれかというのを叩きつけられるんです。彼女の父親は「マクドナルド」と表現していましたが、それは日本以外で通用するって意味だと思います。だから美味しいってわけじゃないって含みもあるんだろうから、うまいこと言うよなと思いました。

 彼女の本が異なる宗教圏の人にも読まれているのは、そういう部分を共有できるからだろうと思っています。「愛しい」とか「生きたい」とか「食べたい」とか、本能の部分です。わたしはゆるい宗教の家に育ったので神への葛藤ってないです。でも生きる上では葛藤があります。多分、あくまで多分ですが、宗教というのはこの「生きる上での葛藤」の問題を摩り替えてる部分があるんじゃないかと思うんです。うわ、襲撃されそうだな。ごめんなさい。悪いって言ってるわけじゃないんです。あくまで個人的に、信仰というのは団体ではなくて個人的なものだと思ってるんです。同じ神を神とする人たちが集まって宗教になるだろうと思っています。

 で、生きているといろいろあるんですよね。いろいろあると鈍くなるんですよね。あるいはすごく敏感になるんです。鈍くなっても痛みは蓄積されるし、敏感になったらそのつど痛い。結局どんどん磨耗してくるわけです。わたしは素直な人間じゃないので全肯定も全否定もしたくないんです。だから「頑張ったからいいよ」と言われても「もっと頑張れ」っていわれても、同じだけイラッとするんです。イラってところが野蛮ですよね。不条理だし、理不尽ですよね。でもこれが「生きる上での葛藤」の一部分ではあります。

 そういうとき、わたしは物語がほしくなります。平たい賞賛の言葉とか労いの言葉なんていらない。叱咤も激励もいらない。舌触りのいい単語の羅列じゃく、ただの物語がほしい。磨耗した部分を再生してくれる、というとすごくカルト(スピ)ちっくだなーと思いますが、言葉にするとこれです。しんどいときに滋養になる言葉をくれる物語を書く作家の一人が、よしもとばななさんである、ということです。これが「生きることの野蛮さの肯定」です。

 ついでにかなり適当なことを書いてしまいますが、狂気にまでふれてしまう才能というのは、一分野にとどまらない影響力を持っているものじゃないかと思います。ジャンルとかカテゴリなんて便宜上存在するだけのものだと思っています。小説も「書き物」の中の一つです。書き物は「文化」です。文化には「美術」も「音楽」もあります。同じぐらいのものを作り出している人であり、同じ時代に生きている人であれば、分野が違っても会話できるんじゃないかと思います。いくつか対談集を読みましたが、一貫して彼女は生きる姿勢が変わらない。そしてその姿勢に賛同できる。だから安心して読めるんです。

 わたしは趣味の範囲で本を読んでいます。その上で、彼女の先駆者っていないなと思います。後継者もいないと思います。それってすごい異端児ってことです。ジム・モリソンと変わらんのです。音楽でありながらカルトであったジム・モリソン。ヒロトでもいい。ヒロトより上手に歌えても、ヒロトじゃない。ヒロトじゃないと「がんばれー」に素直に「うん」って言えない。ばななさんはここの地点の人だと思っています。

 はい、長くなりました。すみません。読んでくれてありがとう!