生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

「プライド」と聞いて、イメージしたことを自由に書いてください。

 マルコムエックスの「Nothing!」ですね。プライドは教わるものじゃない。

 shameって「恥」という意味だそうです。日本人のメンタルとしては自分で自分を恥じることがあるけれど、あちらの文化圏では「恥」はかかされるものなんじゃないかなと思う。全部とはいいませんよ。shameって「恥を知れ」みたいなときに使われてるなーと思って。それって訳を変えると「恥をかかせやがって」みたいになってるなと。いや、わたしは一部しか知らないのよ。ごめんね。

 先日リーマンはなぜ起こったのかというドキュメンタリーを見て、CDSを発案した人のインタビューもあったんですよ。素晴らしい、完全なモンスターと言ってました。あれだけの大事を引き起こしたって言うのにね。でも学者たちにとってはそうであったんだと思う。どのような結果がもたらされ、なにが起こるかは彼らにとって関係なく、あくまで学者は学者の領分でそれを発見し、提出した。問題なのは学者に権限があったことだと思っています。だって学者が言うんだからリスクって少ないんだよ、軽減されてるんだよって、普通の頭で考えたら分かることでしょう。リスクは常に一定の量がかかり続けているもののことで、そこでいう軽減されたかのように見えるリスクは理論上のものだと。常にかかっているリスクは度外視した純粋培養の理論だと。彼女はCDSの欠点を知ってもらうために会社を設立し貢献している的な終わり方をしましたが、わたしはウォール街を去って牡蠣の養殖をしているおじさん、「生きていくには十分だ」と笑って言う人の方が好きでした。だって結局CDSという出来損ない(失礼、わたしにはあの理論は肌に合わなかったの。リスクのない金儲けなんてないだろ)にしがみついてさらに金儲けしている人を支持できないんだもん。

 ただ、この二人にはプライドは同じぐらいあったんだと思う。学者ゆえに倫理を通り越し手を伸ばしてしまう衝動と、より可能性のある理論を発掘することにおいてのみ。それは強欲と言われるかもしれないが、学者という立場ではその強欲さもプライドなんだろうなと。

 プライドがない人多いよね。一概に言っちゃいけないのはわかってるけど、自分の好きな分野であんまりにも節操がないのを見ると、そしてそれがプロと名乗っていると、残念を通り越して呆れます。けど、多いのは否めないんだな。震災直後に散々書き散らした作家はあまり信用していない。

http://theinterviews.jp/cimacox/4992604