あり得ない場所の広告
なんですかはてなさん、ちょっと書かなかったらそんなところに広告出すとかなしですよ。ブラウザの両側にでっかい広告が表示されました。衝撃的です。こんばんは。
特に何かしていたわけではないんですが、どうも調子が出なかったんですよね。本業が忙しいっていうのがあるかな。なんかもう、いいいいいいいいいいいいい!!! ってなるような仕事が回ってきてて、もうホント、いいいい!! なんですよ。
そういえば、故インタビューズが本当に故になっていて驚きました。サービス変わっても飛んじゃうことはなかろうよと思っていたんですが、飛んじゃったんだって。データがなくなったってことだよね。いや実際はたぶんシステムエラーでデータは無事だろうけど、復旧させる義理もねえしってことかもしれない。どちらにせよ、サルベージしていてよかったなあって2年後に思ったわけです。あの頃の私は元気だったのか、それともなにかに怒っていたのか。どちらにせよ、今よりもずっと狭い視野で言いたい放題でありました。
いや、そもそも視野なんてずっと変わらないのかもしれないって思います。人は生まれて成長して成人して(年齢的にじゃなくて、精神的肉体的に)、ある程度の視野を持つことになると思うけど、それはそれ以上変わらないのじゃないかなって思います。集中力と同じです。最大限の熱量は個人にそれほど差がないが、コントロール出来たり、分散させられたりというのは個性の問題であって、集中力そのものはみな平たく平等な才能である、とかね。違うと思うけどそう考えたほうが幸せじゃない。なんか。
でもそうすると「個体差」ってなにから生まれるんだって思うよね。そのコントロールできないところや、厚みが違うところが「個体差」であって「個性」なんじゃないかなって思うんです。あくまでどこまでも「人」という単位の重さは同じ。だから自分ぐらい他人に、他人ぐらい自分に優しくできたらもっと平和な世の中になるよね。たぶんね。
最近映画を見る元気もなくて、本を読む元気もなくて、でもうっかり本は買っていたりして、まぁまぁ忙しいです。そのうえ、12月は24日まで予定びっしり。週末は全部埋まっています。すげぇ、歴代のオレで一番すげぇ。でも塩鯖と一緒にご飯を食べられない日が多いのです。ああ悲しい。カップラーメンが進むったらありゃしない。
アンドロイドは電気羊の夢を見るのかを買いまして、塩鯖が読みました。だからブレードランナーをもう一度見ました。私は本のイーランが最後に取る行動によってすべて救われたと思えるから好きです。映画のほうはそれがなくて、レイチェルとプリスの違いもそんなに描かれていなくて(あの二人は同じだとしたら、人間の好意を得られた方が勝ちっていう悲しい感じになっちゃうよねえ)、だけど世界観が歴史に残るほどかっこいい。そんな風に思っていたんだけど、塩鯖が「人間の悲しさは人間にしかわからない、アンドロイドは感情を感情として汲み取れないからアンドロイドなんだね」って言って、ぐうの音も出ませんでした。
占星術的に塩鯖は「感情=水」の要素が一つもない人です。感情もデータや「感情というもの」として扱う傾向が強い。でも感情がないわけではなくて、物事の判断に感情を組み込まない人と言うだけです。私は感情の塊の部分があるので、ある意味では「冷たいなあ」って思うんだけど、感情に流されないからこそできたイーランの優しさを思うと、感情ってそもそも飲まれるものじゃないんだなって思えて、同時に塩鯖の優しさの形はこうなんだなって感じ取れて、なんかこう、一粒で3度美味しかったです。
知らないことが多いというのは、とてもとても幸せなことです。アホになっていってる私。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
- 作者: フィリップ・K・ディック,カバーデザイン:土井宏明(ポジトロン),浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
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