生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

四国の北側を行ったり来たり

 愛媛と香川の往復が続いております。おはようございます。今日の私は昼ご飯要員。それまで仕事がないのであります。

 13日~16日まで愛媛で母の手術の付き添いをし、17日~18日は香川でボランティア活動をし(疲れててほぼさぼっていたけれども)、19日~20日は塩鯖と実家で家業の手伝いである。そして22日か23日ぐらいからまた愛媛で今度はせとかの収穫である。忙しい。

 母の手術の付き添いで愛媛にいた時は、妹ちゃんのうちに泊まっていた。甥っ子3人がやたらと叔母になつくので、2泊しただけで叔母は「早く実家に帰りたい」と心から願った。だってな、11歳と8歳の間に挟まって寝るんだよ。裏拳とかかと落としが不意打ちで来るんだよ。寝れるかこんなの。それなのに、朝の5時に「おばさん、FLOしようよ(スマホのほのぼのゲーム)」と長男に起こされ、寝ぼけながらゲームをしていると「起きたらおばさんがいなかった(しくしく)」と次男、三男が出てくる。ちびーずの寝起きが悪いと妹ちゃんの寝起きも最悪になるので、なんとかなだめていると朝の怒涛の時間が始まるという、地獄のような二日間だった。

 妹ちゃんの寝起きはそれほど悪くなかったと思っていたのだが、結婚してからとてつもなく悪くなったと思う。そもそも、次女と母は絶句するほど朝の機嫌が悪い人なのだが、あの二人はおおむね「低血圧がつらすぎて意識がもうろうとして凶暴なゾンビ化している」感じだった。今はもう母もそれほど寝起きが悪そう辛そうということもない(若いころは忙しかったものね)。しかし三女はそういうタイプではなく、ただただ目についたものに全部ケンカを売っていくような感じ。当たり屋、と私と両親は呼んでいる。

 ともかく、ちび地獄は脱したのでほっとしている。塩鯖との帰省は父が喜ぶので(長女が帰ってくるより、長女の旦那が帰ってくるのが嬉しいのだ)、私としても嬉しい。塩鯖、激務のあとのホッと一息になればいいのだが、今日は朝から家業の手伝いである(昨晩は二人で釣りに行きました)。

 母は脊椎すべり症による脊柱管狭窄症と診断され、背骨のじん帯を切除する手術をした。術後の二日間ぐらいは痛いし身動き取れないしで苦しかったそうだが、今は管も取れ自由に動いている。40年間休むことなく働き続けた人の、初めての「一人でお泊り、しかも堂々と暇な時間」である。私が持って行ったiPadも動画再生で役立っているようだ。けれどやはり暇は持て余すようで、しかし暇なんて言えなかった人だからその時間すら楽しいと言っている。良い休暇になってよかった。

 退院は今週末ということだが、放っておくと働きだす人なので、しばらく私も実家に帰っておいて見張っておこうかと思っている。見張るっちゅうか、せとかの収穫だけどな。父が「収穫が、人手が、、」というと、勝手に罪悪感を感じて「じゃあ私もやろうかしら」とか言いかねないのだ。

 農家にとって収穫は唯一の稼ぎ時だが、体があってのお仕事だ。だから私は「最悪捨てるみかんが出てもいいじゃないか、母を長年苦しめた痛みが取れたんだ。今はゆっくり休ませてやろうぜ」と言いたいのだが、私は農家ではないから説得力に欠けるのだよね。だから母ほどの働きはできないが、代わりに頑張ります、ということです。

「勝手に罪悪感を感じて」と書いたが、これは意外と多い。私はけっこう感じない厚かましいタイプだから、罪悪感タイプからは「いいなあ」と言われるが、無神経だのデリカシーに書けるだの図太いだの言われ放題である。気にしない人だってダメージは食らっている。でも、言われ放題であっても守りたいものがそこにあるということですから、ご理解いただければ幸いです。

 そう、収穫のお手伝い。私はそれでもぼちぼち手伝いをしているほうだと思っている。母よりも遅いし、塩鯖よりも力がないけれど、それなりにやってきたつもりだ。しかし妹ちゃんは15歳で家を出てからほとんど手伝いなどしたことがないはずだ。その妹ちゃんが「私がやらねばだれがやる」ぐらいの気合で手伝うと言ってきているそうだ。姉と両親は、妹ちゃんのいないところで爆笑してしまったが、やたらと責任感が強くて空回り気味なあたりが愛らしい、いつまでたっても我が家のアイドル(36歳)である。

 さて、久しぶりに日記も書けたことだし、あとは掃除でもして待っていようかな。