生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

瀬戸芸(秋)行ってきたよ

 台風の影響で本州の新幹線が危うかったので、三連休の中日からスタート。余裕があったらあそこもここもと計画を立てたけど、余裕がなくて本島と屋島と北浜アリーだけになりました。

 まず本島。船は大きめだし、乗れないことはないように思うけどピーク時はすごいだろうなと想像がつく。座るところもないくらいは乗っていた(座れたけど)。本島の展示は片道1.8km、だけど絶対に自転車があった方がいい。レンタル自転車は100台以上あるけれど、朝イチ組で出払っている可能性は高い。でも昼には一度帰ってくる(見終わる)そうなので、私たちは港付近を徒歩で回って、昼頃に港に戻って自転車を借りた。

 展示されている作品の多くは、正直微妙だった。悪くはない、けれど良くもない。何かがしっくりこない。なんかこう、もっとやりようがあったろうにと思う。これはこれでいいのかもしれないが、私としては物足りなかった。





 一番最後の写真の展示が一番好き。瀬戸内の空を飛びそうな自由さがいい。

 瀬戸内だから仕方ないけど、海にまつわるものが多いんだよね。それがまた、浅い気がするんだ。なんて言えばいいのかなぁ……包み込むような優しさは確かにあるよ、だけどそこには飲み込む怖さもあるんだよ。それを海と暮らしている人たちはみんな体感している。決して海が友達にならない。身近にある脅威であり、身近にある自然なんだよね。でも海に関連する作品の多くが、もっと表面的な「瀬戸内の海」を表しているように感じて、だから薄っぺらく感じてしまった。

 その日は夕方前に本土にわたって、飯を食いながらラグビーを見て終わり。

 翌日は高見島に行こうと思って8時半ごろに多度津港に行ったけれど、船は増便中だが駐車場がないのであきらめた。漁港に路駐している車も多くあったけれど、そんな迷惑なこと私にはできない。こうした催しは地域活性の効果も狙っているだろうが、人がたくさん来たって仕事の邪魔になるのだったらやめてくれ、という人も出るだろうな、と思うほどの違法路駐。私はこういうの一番許せない。ここで暮らす人の生活が第一だよ。どうにか考えてほしいものだ(だから意見書送ったけどね。変えないと本当に芸術祭が続けられなくなるか、過疎化が止められなくなるよ)。

 高見島を諦めて四国村に行くことにした。四国村までは一時間以上かかるのでお昼前に到着し、四国村を楽しんでわら屋でうどんを食うことにした。そして到着した四国村、ここがもう広くって広くって。でも芸術祭の展示作品も、芸術祭以外の展示作品も、大変興味深く楽しめた。

 一番好きだなと思ったのはこの作品。四国村に入ってすぐの場所にある。不思議なほど風景にフィットしているのに「忽然とそこにある」感じがとてもいい。豊島のトムナ・フーリや豊島美術館もそう。不思議なほどフィットしているけど、存在そのものが不思議でついつい存在意義を考えてしまう。全く普段使わない脳の神経が刺激される感じがアートだと思う。




 友人はこの夏、新潟の大地の芸術祭に参加した。田舎なので車を運転しない友達はバスツアーで参加して、それなりに大変ながらも充実した旅ができたそうだ。その理由のひとつは、展示作品の多くが自然に溶け込むようにそこにあり、時間や四季の移り変わりを感じられることが素晴らしいと言っていた。私もそう思う。

www.echigo-tsumari.jp

 千鳥の相席食堂で大阪のある街には芸術家たちが移り住んで町全体をアート化しつつ地域活性化を目指しているという話を聞いたが、私は何となく「うちの島がそれをし出したら嫌だな」と思った。少々奇抜な人に住まれるのが嫌とか、アーティストっちゅうものに偏見があるとかではなくて、そういうコミューンを作られることが嫌だなってこと。うちの島にも移住組がいて、それぞれの形で農業にいそしんでいるけれど、地域の人たちや地域のやり方に加わらない人たちもいるわけで、うん、それはそれでいいけど、俺らの島とか絶対に言ってほしくないね、と思う。

 土地へのリスペクトは作品や生活や、その他もろもろから香り立つものだ。もう嘘が通じない時代が来たのだなと思う。

www.echigo-tsumari.jp

作品の形態は、住民の等身大のシルエット。一人ひとりの姿勢や日常の細かい特徴をとらえ、大地にしっかりと立つ姿が表現された。住民は、すべてのシルエットが誰のものかはっきりとわかるという。

 友達が大地の芸術祭で見たこの作品に感動したと話していた。シルエットで分かるなんてすごいって。おそらくうちの田舎でも可能だ。なにせ田舎ってところでは何十年も変わらないメンツで暮らすことになるのだから。その数少ない登場人物で、人生の悲喜こもごもが織りなされているのだ。都会とは濃度が違う。この作品のシルエットにはひとりひとりへのリスペクトと愛があるんだと思う。だからみんなを感動させているんだと思う。

 そろそろネットの世界でも「田舎暮らしはつまらない」という移住者の声も聴けるようになってきた。そうだ、つまらないもんだ。なにもないのが自慢の場所なんて多い。そういう場所では、モノは古びて行き、人は老いて行く、それしか目に入らない人もいるだろう。そうなるとまるで面白くない土地だ。イオンもコストコもコンビニもない。ないものだらけだ。

 でもそれは、その人たちが「当たり前に思っているものがない」だけであって、それ以外のものがたくさんある。人の数だって全然少ないけど、世界が100人の村だったらという本のごとく実に様々な人がいて、時々役割を変えたりしながら生きている。

 私はそういうのも面白いと思っている。もちろん、都会の便利さはには心から感謝するけれどね。新製品すぐ食べられるしね(最近のヒットはLチキの胡椒味)。

 田舎には田舎の、都会には都会のいいところがある。生活の重きをどこに置くのかによって、田舎暮らしが向いているのか、都会暮らしが向いているのか、地方の都会暮らしが向いているのか見極めて、それぞれが快適に生きる時代になればいいなと思う。

 高見島や粟島は別の平日にでも行くかな。