生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

大河ドラマ記録 太平記40-42

たった3話でこんなに進むか。

40話は新田義貞のお話。その前に不知哉丸が直義の養子になって直冬となる。尊氏と直義、この時点ではそんなに仲悪くないんだけどな。で、新田。新田はどこにいるかというと、越前。後醍醐天皇が叡山から下る時に越前に行ってくれと言われて行ってたんだ。

そもそも新田は太平記の序盤にも出てくる、源氏方の由緒正しきお家柄。鎌倉の北条を倒したのは新田(尊氏は京に行かねばならなかったが、新田がいたから安心してたと思う)。でも由緒正しき家柄なのにずっと不遇の扱いだった。貧乏だし、なにしても足利の二番手三番手だし。しかし北条を倒して公家どもに京に呼び出されて宴会三昧しだしてから様子が変わってしまった。あれは現代風にいえば、都会に来たことない田舎者が夜のお接待をされたようなもの。勘違いもするだろう。

後醍醐天皇vs足利さんになったとき、後醍醐天皇側(公家側)についたのが新田、なので新田は足利と戦わねばならなかったわけです。越前にいてもね。で、その新田さん。ついに落ちます。が、私は楠本正成を見殺しにした時点で「浮かれすぎなんだよ新田!!」と思っていたけど、さすがにやるせなかったな。こんなところで、こんな死に方なんてな。

ちなみに、新田殿の胸キュン話もあったんだけど、全然入ってこなかった(ごめん)。新田討ち死にの知らせが届いて、翌年念願だった足利幕府が開かれる。

で、41話。後醍醐天皇が病に倒れるところから始まる。簾子たちに看取られて旅立つが、これで平和が訪れるわけがない。むしろ吉野に開いた南朝方との和睦がほぼできない状況になったわけだ。主をなくした南朝方と足利幕府との戦いが激化し、幕府は力でねじ伏せてゆく。といっても、要するに強い武家たちの力でねじ伏せるわけだけども、幕府の政治を行っているのは尊氏の弟直義で、戦に勝ったからといって恩賞をばらまいたりはしなかった。だから有力武将たちと直義との間に亀裂が入る。

まさか佐々木殿が寺に火をつけたり、師直がよその家に上がり込んだりするとは思いませんでしたよ。それだけ怒りや鬱憤が溜まっていたということなのだろうし、同時に人は変わるということなのだよな。っていうか、初めて京に行った時のトキメキを握り続けている尊氏の方が変わり者なのかもしれない。あの時であった後醍醐天皇への思いが、様々を歪ませているようにも思ったな。

そう、ここまで尊氏、妙なほどに揺らがない。揺らがないけどごり押しもしない。だから締まらないというのはある。お察し文化の日本で、一番の害悪は尊氏みたいな人なのかもしれないな。悪い人ではない、むしろ人格者だしカリスマ性もアホほどある。だけども、だけども、だ。

あ、師直の件は42話だったか。すまん師直。そう、師直は塩冶高貞の妻にぞっこんで忍び込んじゃったんだ。で、逆恨みして弱みを握り謀反の疑いで追討軍に攻められ自害。これは太平記の創作らしいが、吉野方(後醍醐天皇亡きあとは出家した簾子が実質主?)とつながっていたかもしれないらしい。

それはさておき、その前に上皇の列に有力武将である土岐が矢を射て大問題を起こす。土岐の処分で直義と尊氏は意見が割れるが、直義は強行突破。それを案じる母。この二人の母はずっとずっと心労が絶えないねえ。我が子の兄弟の仲もだし、孫の直冬と義詮も気になるし。母親というのは心配事を探してでもするのだろうけど、にしても大変だよね。

大変だっていえば尊氏の嫁もしんどい。自分の知らんところに隠し子いたし、しかも義弟の養子になるし、息子は跡取りだからずっと鎌倉だし、なにより自分は足利尊氏の嫁ではあるが、周りに味方がいるわけでもなし。なんだかしんどい、しんどいぞ太平記

で、師直の塩冶高貞の件で足利内部がぱっきり割れてしまう。が、尊氏はここで大激怒する。ずーっと怒り散らすことなんてなかった尊氏の逆鱗にふれ、足利幕府はどうなるのか。