生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

大河ドラマ記録 太平記35-37

うわ、3つも溜まってしまった。35話は鎌倉から出陣した尊氏が新田勢を蹴散らすところから始まる。で、尊氏は楠本正成と密会。この二人は分かりあっているから大丈夫と思いたいけれど、やはり話し合いは決裂する。仕方ないよね、望む未来が同じでも合意できないこともある。その後、足利軍は新田と楠木の連合軍に追いやられ九州に追いやられる。

36話は新田勢が播磨の赤松を落とせないところから始まる。播磨の赤松さんは帝の恩賞が少なくって怒って帰った人。そうね、あれはあまりにも不憫だった。そのころ尊氏は新たな援軍を得て京に向かっていた。船でだよ、瀬戸内はすごい風景だっただろうなあ。

その知らせを聞いた帝は河内に帰っていた楠木を呼び出して出陣させる。この時の楠木の帝への訴えもまた名シーン。でも帝に却下されて出陣させられる。おい帝、それは死んで来いと言ってるって分かってんのかよ。

新田・楠木で足利軍を迎え撃つつもりだったが、尊氏の奇策(っていうか、新田よ、それに引っかかるのは兵法以前の話だぞ)にかかって新田と楠木はバラバラになり、楠木軍vs足利軍。楠木正成は負け戦になることが分かっていたからわずかな人数しかいなかった。先の帝への訴え、息子を叱って河内に帰らせるシーンと、戦に勝つとはどういうことか、なぜ戦をするのか、兵法の天才と謳われた楠本正成の全てが詰まっていたと思う。

そして37話。楠木軍の最後が描かれる。とても静かな夕日のシーン。弟の正季は生まれ変わってもまた正義のために戦うという。私はそれを聞いて「それは修羅の道だよ」と思うのだけど、兄の正成はにこにこと「わしは家の木庭に花を作り、外には戦いのなき世を眺めたい」と言う。そこで分かった。ああ、私もまだ修羅の道を行ってるんだなと。正成ほどの人になれるとも思っていないが、修羅の道を歩むものすらも見守れる度量こそが真の悟りというやつなのだろうなと思った。とても悲しい兄弟の最後。

正成の首は最終的に楠木家に届けられる。尊氏の正成への思いの表れだろうけど、やはり悲しくて悔しくて辛い。歴史って辛い。けれど、分厚い学びに満ちていると思う。