生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

若いころはエネルギーそのものであるが、年齢を重ねると重圧以外の何物でもない虚栄心と都会のこと

 おはようございます。普通の人代表エッセイストです。もう1~1.5時間眠りたい(起きたの4時半)。

 「すべての始まり」が1巻になります。2巻であるこっちのころは、課金してたからちょいちょい読んでいたっぽい。

 吉本ばななさんでなくとも、同じように感じている人は多いんじゃないかなと思う。消費社会への疑問、うっすらと漂う詐欺っぽさ、嘘っぽさ、薄っぺらさとか。かといって、田舎ライフも知っている私は、横溝正史の世界もいいとは言い難い。ただ、目の前に海なり山なりがあって、自然があって、自分で食べ物を何とかできる環境があれば、いくらでも人以外のところに時間を使って向き合うことができる。

 たぶん彼女がほかでも書いていたけど、すっごい綺麗で愛想も良くて、SNSでもフォロワーめちゃくちゃいて、っていう人の何割かは、突然発作のように周りと縁を切り始めるんだそうだ。そのやり方がまた病的で、昨日まで「うわ~! お元気ですか? お会いしたいです! わざわざありがとうございます!」みたいな反応だったのが「知りません」みたいになるんだって。これをばななさんは「余剰エネルギー(嫉妬心・虚栄心)」のせいだろうって書いてる。

 分かるなあ、すっごい綺麗で愛想も良いわけではないが、SNSの場でそう振舞ったことがある。嫉妬心・虚栄心だけではないだろうが、なんかね全部どうでもよくなって消しちゃったことがある。発端は虚栄心、そう虚栄心だっなあ。あと、自分がややこしくした人間関係。おおむね自業自得です、はい。

 はてなブログはつかず離れずの距離(むしろ孤独の方が強いと思うのだが、道端のお地蔵さんにそっと供えられている新しいアルファベットチョコレート2つ、みたいな感じだ)だからか、ええい消してやるわ! と思ったことはないけれど。

 私は概ね平和なうどん県から出ることもなく、ネットやSNSにべったりということもないので、きっと世情には疎いだろう。だけど1つ分かることがある。東京の元気のなさだ。とてもとても、遊びに行こうっていう気持ちにならない。もともと都会に憧れが少ないタイプではあるが、それにしても昨今の東京の魅力激減には不思議を感じている。

 私は決して「田舎最高! 人は田舎で人を取り戻すのだよ!」とか思わない。ここはいくら大好きなばななさんであろうと、迎合できない。むしろ、若いころは一度は都会に出ろ(大海を見よ)と思う方である。だけどなんだかなあ、台北でも感じた「つまらなさ」は世界中の都会で起こっていることなのかもしれないなって思う。これは勝手な推測だが、画一化された街づくりもひとつの原因になってるんじゃないかなあって思う。効率のために、美しさのために、人が安心して住んで働けるために。そのはずなのに、妙に人同士はよそよそしく、警戒心が強い。おかしいな、そういう街づくりしてたんだっけ?

世界がもし100人の村だったら

世界がもし100人の村だったら

 私は思うんだ、人がいれば殺人はいつかどっかで起こるかもしれないし、不慮の事態は起こるだろうって。田舎は人間が少ないだけで、何十年も「あそこのあの人は性的に問題がある」っていう人が普通に生きてたりもするのが田舎だ。田舎だから、都会だからという問題でもないと思う。

 とすると、やはり効率重視の時間の使い方や、生産の犠牲になった自由、あるいはなんでも「起こらないようにしようと塗り固める」ことが問題なのかっていうと、それもなんだか悔しい気がする。だって「考えることを放棄した人間」みたいじゃないの。たぶんもっと「人力ではどうにもできないこと」とか「機械化することで得られることと、得られなくなること」「殴られたら人は痛いし、殴ったほうも痛い」ってことに価値を見るべきだったのかな、と思う。最後のはいらんかも? いるかも? もう少し考えてみよう。

 メーガンマークルも出ているスーツ6を見始めた。どうしても「ロイヤルウェディング…」という目で見てしまう。別に構やしないだろうが、このドラマはどちらかというとゴシップ的な、古くはビバリーヒルズ的な要素の方が強いので、大いにゴシップ的な視線になってしまうのだ。マイク・ロス(劇中の婚約者)とは結婚しなかったか、やっぱりマイクは肝が据わってないからな、とか思いつつ、出てくる女性のスタイルの良さに同じ人間とは到底思えない私なのでした。