バナナ剥きには最適の日々
- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/04/06
- メディア: 単行本
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はじめましての円城さん。話題になった時に読まなかったのはちらっと見たらギミック過ぎててこりゃ手に負えないタイプかもと思ったからです。その後本読み友達にこの本のタイトルを教えてもらって、サリンジャーに捧ぐ? なら読めるかも、と思って挑戦したわけです。このタイトルでなければ読まなかったと思う。そして結果としては読んで良かった。面白かった。
彼の書くものをすべて読んだわけではないが、彼は非常に物理学的に思考を構築し、文章にしているタイプなのではなかろうか。シュレーディンガーの猫だ。きっと今日は満月だ。それも見事な神々しいくらいの満月だろう。しかしそれは仮定だ。天気予報では今夜は雲もない空、雲がかかる予定もなければひまわりからの衛星電波上にも雲は映っていない。そして夜だというのに黒々と僕の足元には僕の影らしきものが存在するがそれは月が煌々と僕を照らしているからであると想定できるが僕はそれ(月)を肉眼で確認していないからそれはないに等しい。といった具合だ。下手で申し訳ない。
先ほどサリンジャーも引き合いに出したが、サリンジャーと似ている似ていないは問題ではない。あえて挙げるとしたら共通しているのは「焦燥感」だ。「ある」ことを知っていたからこそわかる「ない」ものへの焦燥感。
あるものと、ないものと、ないものの証明のためにたくさんのあるものを列挙する必要がある必要があるのか? というのはどうでもいいことだ。この謎めいた脈絡のありそうでなさそうな文章の中で、自分の琴線に触れる何かに出会えた時、この本を開いて良かったと思うのではないか。少なくともわたしはどの短編にも一節はそれを見つけられた。それは等しく哀しいものだった。正しい「哀しい」だった。キンとする、これに出会うために開いた、それは偶然ではなく必然ともいえる。とかもう回りくどいですね。とにかく面白かったよという話ですよ。
回りくどさを楽しめる人、琴線に触れる何かをずっと期待していられる人であれば、楽しいだろう。エンタメ的に楽しもうと思ったら三半器官がやられそうだなと思うけど。