生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

「昔から頭がおかしい奴はいるんだよ」

 おはようございます。私が所属しているボランティア団体、ごく一部ではありますが大いに叩かれている模様です。というのも、リーダーがなぜだか目の敵にされているようで、名指しでなかなかの誹謗中傷を受けています。さすがに見るに堪えない、、と思って連絡したら「盛大にやってくれてるねえ! けど私は負けないよ、後ろめたいことも後ろ指さされることも、一切してないんだから!」とのことで安心しております。 

 誹謗中傷する人たちの特徴は、SNS経由で暗になじる(伏字や住んでいる地域などを示唆する)、自分たちの活動を邪魔されたと思い込んでいる(邪魔など一度もしていない)、SNSの投稿をすぐに削除する(これをされるたびに、攻殻機動隊笑い男編で、バーチャルの議論場みたいなところで「ソースを出せ! ソースは!!」と叫んでいた人を思い出す。ソース命、証拠命。もし本当に証拠となる出来事が真実を映しているのであれば(※)、世界中の裁判はもっと簡単だと思う)、苦情等々を散々書いておきながらこちらが連絡すると「そんな暇はない」「連絡する暇があったら一匹でも助けろ」とSNSで伝えてくる(そして「あいつに言ってやった!」と書き込む)、やたらと陰謀論を持ち出す、心労とストレスで眠れないメンタルを壊したアピール(壊すのはご自由にどうぞだが、そもそもメンタルやられてる人が動物愛護ボランティアやっちゃいけない)。

 もう、無茶苦茶。すべて40歳以上の大人がしていること。なぜ、人としての話し合いもできないのか。

 ※のところ、私は真実がたったひとつしかないとは思っていない。コナンくんに物申すだけど、事実はひとつだろう、けれど真実はそれを目にした人たちの数だけあるものではなかろうか。また聞きや誰か一人の意見を聞いて判断するのは「真実」から程遠いのではないか、と私は思う。

 先日もツイッターをにぎわせた、軽トラックでの犬の散歩。田舎で時折見る自転車に乗って、あるいは原付に乗っての犬の散歩の拡大版みたいなものだ。確かに犬はかわいそうに見えたけれど、飼い主さんはご高齢で満足に散歩もいってやれないから、彼なりに工夫しただけのことだった(このことは、この犬の飼い主さんに会いに行った方の投稿から知った。飼い主さんは警察の事情聴取も受けたそう。ずっと犬を飼っていたからこの子も手放したくないのだけど、お散歩は十分にいってやれない、悲しい、とおっしゃっていたそうだから、なんとか地域のみなさんと面倒を見ていけるようにとお話ししてきたのだそうです)。

 私は車で軽トラックで犬の散歩をしていいとは思わない。けれど、この飼い主が犬憎さに引きずり回しているようにも思えなかった。ポスティングで飼い主さんを見つけたらよくあることだ。保護された犬は手入れも十分ではないことが多いし、明らかに外に繋がれてたよねえって子が多いけれど、飼い主さんは散歩コースを探したり、ご近所に「犬がいなくなっちゃった」と伝えたりして心配し、探している。保健所にいますよと伝えたら、急いで迎えに行ってくれる。犬だって飼い主さんを見たら顔が輝く。あの人たちは、あの人たちなりに、とても可愛がってくれているわけだ(だからこそ、飼い方の啓発を進めねばなと思う)。

 犬がかわいそう、犬が辛そうと、犬の気持ちにはなってやれるのに、どうして人が人の気持ちを汲むことができないのだろう。それは、多くの拡散者たちにとって「動物虐待動画」はナウな話題だからだろうと思う。虐待はナウな今行われているのではなく、ずーっとずーっと昔からある事実だというのに。

 拡散文化にうんざりだ。田中角栄の言葉「政治は数であり、数は力、力は金だ」は悪い格言みたいにとらえられるのに、ツイッターでは拡散は力、弱者の正義みたいに考えられるのはなぜだろう。フランス革命は大衆の力によって起きた。今の空模様はフランス革命や日本の幕末と似ているところがある。大衆の力は弱くない、数は力は事実の一つ、そして力は暴力にもなりうるという事実も認め、もっと一人一人が己の「正しさ」を追求して質の良さを目指せばいいのに。

 世の中は本当にしょうもないニュースが溢れている。しょうもなくないニュースを見ればいいのだけど、視界に入ってくるとついつい考えてしまう。ということを、塩鯖に言ってみた。そしたらタイトルの通りのお返事が来た。

「昔から頭がおかしい奴はいるんだよ」

 そうでしたね、そうですね。そして続く。

「リアルとバーチャルの区別もつかないほど、ネットの世界を生きている奴らが多いんだ。大事なのはこの現実で何をするかだよ」

 まったくその通りですね。

 塩鯖、ちょっと具合が悪いです。心配でござる。