生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

桜の季節がやってきた

 おはようございます。うちの桜子はまだつぼみが固くてとても開くようには思えません。そもそもこれは花なのか葉なのか。つぼみが固いうちは判別がつきませんことよ。山の上よりベランダの方が気温が低いんだろうね。

 さて、今年も例年通り青の山に行こうと思っています。一度でいいから行ってみたいのが紫雲出山だけれども、微妙に近くないんだってここ。それに人でも多いことだろうしさ……ぶつぶつ言う暇があったら行って来いってね。今年こそちょっと行ってみるかな(丸亀市内から車で50分ほどです)。

www.my-kagawa.jp

 道中にある多度津町のテツガクヤさんも一度は行ってみたいなあと思うのだけど、ちょっと機会に恵まれず行けていないところです。

tabelog.com

 前回のブログで30代のころのもやもやと書いた。30代のころのもやもやってなにかっていうと「私はなぜ生きているんだ」ということです。って言ってもね、壮大な疑問じゃないんですよ。かなり身近な感じよ。

 恋愛して結婚して妹が死んで離婚して、さんざん「嘘つくやつなんて〇ねばいい」と言っておきながら自分はしこたま嘘をついて。一体この人生何をしようとしているんだろうね私は、と思っていたころです。たぶんね、一番苦しかったころだと思う。大多数の30代前半の女子たちは結婚しててそこそこの年齢の子供がいて超忙しい毎日なんだけど、私ってまぁ仕事しかないから「誰かのために忙しい」ことはない。取り残され感半端ねえ、って感じだったんですよね。

 でも、ちょっと離れて考えると分かる。ただ単に、大多数の人が乗る人生の流れとは違う流れに入ってたと言うだけ。それももっと細分化すれば、みんなそれぞれ同じ流れのようでいて、そうではないわけ。例えばママさんしてる同い年でも、親の援助があるとかないとか、子供の性格とか、旦那のこととか。

 でも人って自分のことしか分かんないわけで、あーあ、なんでこうなっちゃったんだろうと思っていたのが30代前半の私、ということです。家もない、家庭もない。あるのは仕事と友達と本とパソコン、新社会人のころと何も変わってない自分に絶望してたわけですよ。

 そこから12年ほどたった今、相変わらず持ち家はなく、本とパソコンは変わらずあり、家庭は持ったが子供はおらず。そういう視点から見たら「お前変わってねえなあ」だと思う。けど今はあの頃の悲壮感がまるでない。それはなぜかというと、納得したからです。ただ納得しただけ。おー、これがオレの人生なんだなって。

 そもそも、人と比べなくてもいいんだよな、と思う。でも私は頻繁に比べちゃうし、人って比べるようにできてるんだと思う。だってね、人と比べて自分を知るんだからね。比べた後で、あーだこーだと考える必要がないだけなんだよね。そんな簡単なことができなくてしんどかった、それだけだよねえって思う。

 親友と顔を合わせるとたいていする話がある。年取って生きやすくなったねえ、ってこと。30代前半、しんどかったねえ、粋がってたしねえ。30代後半、楽になったと思ったけど、今考えたらやっぱりしんどかったねえ、いろんな重さで肩凝るしねえ。

 さて40代前半だ。確実にあのころよりも生きやすくなったな。お疲れ、自分。そしてようこそ、40代からの私。

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 最近はTwitterで炎上しているスレッドを見るのが趣味と化している。自分の中の野次馬根性が騒ぐのよね。どうしてかしら、実物の喧嘩は見たくないけど、オンライン上の炎上は面白いんだよね。

 愛護をテーマにしたコミックを買ってみた。これもひとつの声ぐらいに思うけれど、本当にもう、人って「甘く見てました、すみません」って言えない生き物なんだなあと思う。だから私は率先して「温かったです、すみません」と言いながら生きていこうと思った。