生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

混乱した3月が終わる

 おはようございます。先日バイトを終えて本格的に片付けに着手しました。備蓄が謳われるけれども、引っ越しとなると備蓄らしい備蓄はできず。かといって引っ越し先は超絶不便なところなので持ってゆきたい掃除道具や買い置きの日用品などは持っていかねばならず、非常にややこしい日々を送っています。

 ぶっちゃけ、今の時期に引っ越しとかどうなのよ、とも思います。つい今朝のこと、香川県でも新たな感染者が発表されました。四国は関西地域から持ち込むことが多いみたいね。それも仕方ないかなとは思います。だって一番近くの都会が関西地域だもの。

 私は関西地域にも行かないし、関西地域から来た人とも接触していないけれども、でも無自覚感染者ではない保証はないので、心境的にはとても複雑です。なんせ6割は高齢者の島だよ。どうしよう。

 なんてことを思っていたら、妹ちゃん曰く「学校が休みになってチビたちが手に負えない親のうち、いくらかは島に送っているらしい」と聞きました。まぁね、愛媛も香川と似たような感じで、広く蔓延している可能性はどうかなーってところだけどね、だからって安心してジジババに預けていいもんでもないと思うんだけどね。

 今の私は何を言っても天に唾を吐く状態なので、うううううーむ、と思っています。

 そんな状態でも私たち夫婦が安穏としていられるのは、引っ越し先に仕事があるからに他ならない。もし今、当てもなく失業者だったらかなり絶望すると思う。でもコロナの影響で失業して先行きが経たない人も多いだろうと思う。本当にもう「頑張ってください」としか言いようがない。今の状況は、誰も誰のことを助けられない。接触しないように気を付けながら、声を掛け合うことしかできない。

 こんな時代を生きることになるなんて、想像もしていなかった。

 就職氷河期もITバブル崩壊も辛い経験だったけれど、正直に言って「社会は私たちの辛さを助けてくれない」と思わざるを得ないほど、厄介者扱いされた気さえしていた。でも、今こうして全世界が閉ざされ、経済が止まりかけている今、受け取りようによっては「全員が厄介者」だし「全員が被害者」だし「全員が不幸」だ。そうなると、一個人の不幸など埋もれて見えなくなって当然のようにも思う。そうなると、どう転んでも自分の不幸(痛み)なんてな、とうい気持ちにもなる。

 けれどきっとこういう考え方自体が「違う」んだ。誰かに「それは仕方がなかったね」と認めてもらいたいわけではない。世界一不幸になりたいわけでもない。誰もが等しく痛みを抱えていて、それでも明日も生きようとしている。それが全てだ。特別な痛みだから特別に不幸、だったとしても、それは人生を放棄する理由にも、誰かのせいにして逃げる理由にもならない。

 これは、日本が頼りない国だから自分で生活を守れっていう意味ではない(他国が羨ましいって部分はあるけど)。自分の人生だから、自分で責任をもって、自分を幸せにしような、っていう話。そうしないと、自分が守りたい人さえも守れない。

 この世で一番後悔したことは、守りたかった人を守れなかったこと。だから、今度はやれる限りやりたいんだ。

 深作欣二監督の「復活の日」を見た(Amazonプライムありがたい)。生物兵器によって地球上の人が死んでしまったら、という設定はSFの中では定石かもしれないが、こうして世界が閉鎖されてゆく中で見るとすごみがあった。

 それ以上に、深作欣二監督の映像に心がよみがえるような気がした。人の激しさ、美しさを描き出す天才だなあと改めて思う。

 今日は塩鯖の免許交付の日。人混みには行きたくないが、こればっかりは人が集まる場所に行かねばならない。マスクと手洗いは必須だけど、念のためにニトリル手袋もしておいた方がいいかなあ(よりによって青色しか手元にないという)。かなり異様だけどね。でも、免許センターって普段は県外にいる人も来るところだから、できるだけしっかり予防したい。

 志村けんさんの訃報を車の中で聞いた。あっという間の出来事で、とても心が追い付かない。志村さん、子供のころからたくさん笑わせてくれてありがとうございました。大人になってからも人としてありたい姿を見せてくださってありがとうございました。冥福を祈ります。